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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

地震と寝台列車

2013年06月08日 20時30分00秒 | 日記・雑記
16時17分ごろと20時39分ごろ、和歌山県北部で震度4の地震が連続して発生。
その影響で、電車の運転見合わせや遅延が相次いだ。

乗車していた特急くろしお30号も、徐行や一時停止をくり返す。


21時09分、電車は停車中。二度の地震でJRも慎重になっているようす。
しかしこの調子だと、最終の新幹線に間に合わない。


21時50分ごろ、新大阪駅に到着。予定では19時51分着だった。
帰りの新幹線はすでにない。

調べたところ、寝台特急・サンライズ瀬戸を使って帰る手がある。
問題は、空席があるかどうか。
人気の列車らしいし、地震の影響で飛び込みの利用客が増えていそうだ。
窓口で新幹線料金の払い戻しを受けつつ、空き状況を尋ねる。
「大丈夫、ありますよ」と係員。助かった。

乗車券を購入し、大阪駅へ移動。
いったん駅の外に出て、2時間ほど時間をつぶす。

 
翌0時25分、駅ホームへ。
サンライズ瀬戸に乗るのははじめて。というより寝台列車自体がはじめて。


0時32分、列車到着。鉄道ファンだろうか、外国人が熱心に動画を撮っている。


0時35分、室内へ。狭いながらも快適に過ごせそうだ。

身体は疲れていたが、しばらくの間は眠らず、外を流れる夜景を眺めていた。
ふだん日常的に見られる夜景も、照明を消した車内から見ると、また違った趣がある。


5時41分、まもなく熱海駅。


5時43分、熱海駅下車。

突発的にして人生初の寝台列車だったが、思いのほか気に入った。
今度は計画的に、高松や出雲に遠征するときにでも利用したい。

紀伊田辺の神社三社

2013年06月08日 16時40分00秒 | 寺社・教会
田辺新地のあたりの三つの神社。
どれかしら遊里と関係があるのではないかと期待していたが、物証なし。


恵美須(戎)神社。


恵美須神社。


錦水神社。
田辺城水門跡の近くに所在。治水の神なのかもしれない。


錦水神社。


大黒神社。
田辺新地内にあるので、もっとも期待していたが。


大黒神社。
真新しい社。改築前には何かあったかもしれないと妄想。

田辺 新地

2013年06月08日 15時30分00秒 | ◆近畿
大正期に花街が形成。
戦後は青線が存在したそうだが、花街と混在していたのか、独立していたのかは不明。

 
街のあちこちで新地の名を目にすることができる。
とりわけぼんぼり型の街灯は、ほかの地域ではあまり例を見ない風流なものだ。

 
現役の料亭。だいぶリフォームされているが、ひょっとしたら当時の建物かもしれない。

 
二戸一棟の建物。左手の入口に料理屋の鑑札が残っている。


手入れの行き届いた物件。庭木とのバランスが美しい。



 
照明カバーに屋号が書かれている。料理屋のプレートも健在。


新地への入口には、つい先日まで、「田辺新地」と大書きされた電飾ゲートが
設置されていた。
10年以上この地を照らしつづけたゲートは、4月22日夜の火災により全焼。
写真は、火災から一か月半後の様子。周囲の更地が火災の規模を物語っている。
ゲートの痕跡は、アスファルトにポールの根元を残すのみだった。

湯浅 新地

2013年06月08日 13時00分00秒 | ◆近畿
昭和2年、紀伊湯浅駅(現・湯浅駅)の設置をきっかけに繁栄。


電柱のプレートに新地とある。



 
[左]看板建築と和風建築が合体した奇妙な建物。巨大な石灯籠も目を引く。
[右]料亭を思わせる玄関。料理屋の鑑札が貼られていた。

 
ゆるやかなカーブが印象的な入口まわり。ドアの上にはカフェーの鑑札が。


二階を覆う大きな雨戸が特色。壁の色も見のがせない。

 
玄関戸に彫られた「古里」の文字。往時の屋号だろうか。


レンガ造りの塀と門が味わい深い銭湯。
中には、番号がわりに当時の芸妓の名が記された木製ロッカーがあるという。

海南 下津

2013年06月08日 12時00分00秒 | ◆近畿
由来不明の青線。
青線の定義・位置づけは、各地各様で定まらず、非常にあいまいなものだが、
和歌山県では青線という扱いだった。

旧遊里の所在地がわからないため、あてもなく駅の周辺をうろうろ。






廃ホテル。立派な建物だ。昔は需要があったのだろう。

 
旅館と民宿。
ホテルが廃業したとはいえ、いまも宿泊施設は多い印象。

 
玄関の欄間の装飾が目を引く。長押には料理屋の鑑札が。


歴史を感じさせる旅館。

駅周辺はあまりピンと来なかった。
遊里はもっと別の場所にあったのかもしれない。

海南 西

2013年06月08日 10時30分00秒 | ◆近畿
「黒江新地」「船尾新地」「東浜新地」と、じつに別称の多い遊里。
「名草新地」という名前も、このあたりに存在した遊里として挙げられるが、
同じ遊里なのか別の遊里なのかは、資料が乏しく、確証が得られていない。


黒壁が落ち着きを感じさせる長屋建築。



 
住宅のようなたたずまいの旅館。来歴が気になる。


飲み屋が連なる通り。

 
鉄平石が腰と巾木部分で異なる使われ方をしている。
出格子との調和も見事。


外観を眺めるだけで相当な規模であることがうかがえる。
間取りはどうなっているのだろう。

 
玄関上の装飾がおもしろい。彫り抜きは桔梗の図案だろうか。

海南 東

2013年06月08日 09時30分00秒 | ◆近畿
昭和9年、戸数40、業態者数65



 
ファサードを改築した物件。ビルのような重量感がある。


年代物の袖看板が印象的。かすかに残る文字は日本酒の銘柄。



 
二つの入口が隣り合っている。



 
玄関の欄間に「末廣」とある。かつての屋号だろうか。

野上電気鉄道

2013年06月08日 09時00分00秒 | 鉄道・駅
海南市~紀美野町を走っていた私鉄。平成6年廃線。


正面の大木の右脇を線路が通っていたようだ。


起終点である日方駅はこのあたりに存在したと思われる。


現在は跡形もない。

 
駐車場の傍らに建てられていた辻外科跡地の標柱。
略図に「野上電鉄」「日方駅」「野鉄本社」の名があったので掲載させていただいた。

和歌山 阪和

2013年06月08日 08時00分00秒 | ◆近畿
昭和9年、戸数13、業態者数27
昭和30年ごろ、30軒

 
界隈にラブホテルが数軒。これも往時のなごりだろうか。


スナックも多い。


旅館風の建物。古びた手すりが年月の流れを感じさせる。


角を大きく切った物件。大きな置き石も気になる。

 
左側のバーの壁面にカフェーの鑑札が残っている。

 
板や石の使い方がおもしろい。出格子や山吹色の外壁もあいまって華やかな印象。

 
なんの建物だろうと思ったら、入口に小さな温泉マークがあった。

和歌山 天王

2013年06月08日 06時00分00秒 | ◆近畿
昭和9年、戸数57、業態者数95
昭和30年ごろ、65軒

 


長屋形式の軒下に球形の照明が連なる。

 
庇の上から鍾馗が見下ろしている。
手すりの柱に取り付けられた金具は袖看板の跡だろうか。


床の小石タイルが目を引く。よく見るとしま模様になっている。

 
入口まわりのデザインがおもしろい。床にはふたたび小石タイル。


料理屋風のたたずまい。

 
一杯飲み屋を思わせる建物が並んでいる。
そしてまたまた小石タイル。地域の流行だったのかもしれない。

和歌山 芦原

2013年06月08日 05時00分00秒 | ◆近畿
インターネットで存在を知った、詳細不明の遊里。
場所も未確定。ひょっとしたら見当違いの場所を歩いていたかもしれない。




優雅な曲面が特徴的な建物。飲食店や理容店が入っている。


反対側にも同様の形状の建物が建っている。
気になるのは、赤線・青線時代よりも新しい年代の物件に見える点だ。


裏路地は落ち着いた雰囲気。


ところどころに和風の装いが見られた。