Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

不思議な建物

2013年01月15日 | 浜松・静岡
 昨夕、大学の9階から撮影した風景。関東各地は大雪のようだったが、浜松は午後まで雨で夕刻に雨があがって西の空には夕焼けが見えた。この写真には実に不思議な、ライトアップされた建物が写っている。まるでヨーロッパの街の旧市街に建つ教会のような建物。断っておくが、この建物は道路を隔てて大学の向かいに建っているもので大学とは無関係である。この写真を見ただけでおわかりだろうが、実に浜松の風景にはアンバランスで、「笑っちゃう」たたずまいなのである。ランドスケープということを浜松市は何も考えなかったようだ。
 以前、浜松に在住していた沖縄県立芸大時代の教え子の話によると、これはバブル時代に建てられた結婚式場なのだそうだ。それにしても大きい。新幹線からだって拝めるし、とにかく平らな浜松駅周辺だからどこからでもよく見えるのである。散歩をしていて大学の方向がわからなくなったら、この建物を探せばいい。
 これも聞いた話だが、完成した当時は、浜松に在住しているブラジル人が教会と間違えて礼拝にきたという。今は結婚式場として、また日曜日の夜には教会として礼拝に使われている。ぼくはこの後者の利用のされ方にひじょうに興味がわく。もともと結婚式を目的として教会風に建築されたものが、今は「教会」としての役割を担うという点。寺院や教会が、宗教的な利用以外で用いられることは多いが、本来宗教的な目的で建てられたものではないにもかかわらず、結婚式とは別に、日曜礼拝に転用されているなんて実にユニークである。詳細ないきさつはわからないが、どんな人たちが礼拝に来るのか興味津々。こういうパターンって、日本中にあるのかな?

初の黒はんぺん

2013年01月14日 | 浜松・静岡
 夕方、久しぶりに浜松のスーパーで食材購入。本日は焼津特産の黒はんぺんが特売で10枚で69円。躊躇することなくカゴに投入。これ、確か静岡出身の芸能人が子どもの頃、学校から帰ると毎日食べていたという話を聞いたことがある。ということは静岡で有名な食べ物なんだろうか?
 写真がうまく撮影できずに、はんぺんの色が見えにくいのだが、イワシのはんぺんらししく濃い灰色。だから黒はんぺんなんだろう。しかも骨もすべてすり潰しているので、健康にも良さそう。
 さて味の方だが、この写真を撮影する前に2枚食べてみた。これ、むちゃくちゃ美味い。ちょっと魚の臭さは感じるものの味は最高。酒のつまみにしてもいけそうだ。このままでもOK,たぶん何か調味料をつけても美味しいのだろう。しかも特売とはいえかなり安い。旨くて安いと二拍子揃った食べ物。これから客人にはこのはんぺんと餃子が必需品になりそうである。鰻はちょっぴり高すぎるので…。

木津茂理さんの民謡ライブを聞いて思ったこと

2013年01月13日 | 家・わたくしごと
 民謡歌手、木津茂理さんの実験ライブに行く。マイクなしのライブなので、声の響き、太鼓のリズム、三味線のサワリがストレートに届く。一番前で聞いたせいもあるけれど、一言で言えば「凄い!」。歌の旋律やコブシまわしもさることながら、その歌詞の力が聞き手の身体に容赦なく降り注ぐのだ。

 ぼくは音楽学者というせいもあるけれど、無意識のうちに、民謡を「日本の民俗音楽」として、日本のさまざまな民謡と自分との距離を当距離に保ってきた気がする。東京の新興住宅地で生まれ育ったぼくは、自分の故郷の民謡を強く感じる経験がなかったし、自分の住む社会の中で地域の民謡を聞く機会などなかったからだ。東京音頭も、中学や高校の頃、よく行った神宮球場で歌ったヤクルト・スワローズの応援歌で、「民謡」という感覚がない。だから身近な民謡とか自分の故郷の歌というものを感じたことが全くなかった。

 そんなぼくが、今日、不思議な経験をした。宮古島出身の大島保克さんの歌を聞いたとき、これまで感じたことのない不思議な気持ちになったのである。一つ言えることは、他の民謡との距離よりもずっとこの曲が近くに感じられたこと。

 民謡というのは、本来、その地に根ざした歌だったわけで、その地方の人々のアイデンティティと深く結びつくものだ。民謡がまだ生きている世界で育った人々は、今なお自分の故郷の民謡を聞くと、懐かしい風景やら、自身の過去や古い友人たちのことを思い浮かべるに違いない。それがなかった私は、民謡を「日本の歌」として、傍観することしかできなかった。しかし今、ぼくは13年間住んだ沖縄の響きの歌を聞いたとき、不思議とそんな感覚に陥ることができる。木津さんの歌う民謡の持つ歌の力はすごいと思う。それだけで民謡をすばらしさを十分に堪能することができるだろう、しかし誰にも見られることのない個々の観客の生き様は、その歌を別の意味で感動に導いてくれる。当たり前のことなのかもしれないけれど、ぼくは今日、民謡に新しい発見ができた。と同時に、沖縄が自分にとってどんなに大事な場所なのかということを、木津さんの歌を通して気づかされた。

もらったよー

2013年01月12日 | 家・わたくしごと
 浜松にいてほぼ毎日行く場所は、
1. 大学
 大学は仕事先だから、毎日行くのは当たり前か。自宅研修日も結局、一人で寂しくなって大学に行ってるしー。
2. ローソン100
 スーパーで買い物したいのですが、早く終わりすぎて行けない。夜10時まで開いているスーパーは高級すぎ。そうなれば行く場所はローソン100しかないんです。
 あるとき、ローソンでパンを買ったとき、ミッフィーシールを集めるキャンペーンをしていることに気がつきました。気がつくまで捨ててた!もったいなー。ということで庶民のPがこれを集めだして1ヶ月。家族の協力(2枚だけど)もあって、本日、各店限定50袋のミッフィーエコバックもらったよー。
 馬鹿じゃない?って言いたいんでしょう。わかる、わかる。おっさんのやることじゃねーよってか? いいじゃないっすか。ミッフィーの作家、ディック・ブルーナーは、オランダ、ユトレヒト出身。やっぱりオランダ滞在経験のあるPは、「オランダびいき」ですからねー。ユトレヒト大好きな街だしー。もう、お皿、いっぱいあるんです。ということで、このエコバックをもってローソンで買い物すると、5月31日まで毎回1ポイントもらえるんだよ。一日、5回、一個ずつ買ったら5ポイント!そんなことしないけどさ。ということで、Pはこれからこのエコバックをどこに行くにも持参です。あくまでもエコよ、エコ。1ポイントがお目当てじゃないわ。

本年初エッグカップ

2013年01月11日 | エッグカップ
 買っちゃいました!本年初のエッグカップ。いいでしょう?かわいいでしょう?これも最近はまっているポーランド陶器です。ポーランド製のエッグカップは、2年前にオランダで買ったものを含めると、もう10個近くになりました。毎日、違うエッグカップを使っても10日は楽しめるという計算。またまた収集癖に火がついてしまうか…。
 そうはいいながら、最近、朝は卵を茹でるよりも、薄焼き卵とか、目玉焼きを作る方が多くなっている? 理由は二つ。一つは、ゆで卵をエッグスタンドに置いて食べると、パンと一緒に食べづらいので、もう一品、ハムとかチーズとかが欲しくなってしまうから。それはちょっと栄養の取りすぎかなって。もう一つは、朝起きたらお腹がへりすぎていて、茹でる時間が我慢できないから。
 ちょっと悲しいな。いけないな。この写真を見ながら反省して、明日はしっかり半熟のゆで卵を作ります。はい。

昼間に見ると?

2013年01月10日 | 東京
 一昨日、東京芸大に行ったとき、上野公園を歩いて見つけたのが、ちょっぴりオマヌケな造形。昼間見るライトアップ用の造形物というのは、まさに笑っちゃう状況を呈している。しかも設置場所は人通りの多い公園の入口なのである。
 夜の蝶は陽が暮れない羽ばたかない。陽が昇るとは人目を避けて暗闇で眠る。でもライトアップの造形はどこにもいけない。その姿を白昼に晒すしかないのだ。はじめはきっと恥ずかしくて、でも動けないことにもどかしさすら感じていたのだろうが、今やもう悟りの境地に達したかのように、堂々と眠りについているようだ。
 ぼくは君たちの夜の勇姿をみてあげることはできない。だから、今晩も光り輝くであろう君たちの「本当の姿」を想像することにするよ。君は何色に輝くのかい?それは君のお気に入りの彩りかい?通りゆく人々のさまざまな心を、この場所で大切な人に会う若者たちの心を、親に手をひかれる子供たちの心を…ほんのつかの間、ポカポカと温めてくれているのかい?

テーブルクロス

2013年01月09日 | 家・わたくしごと
 いつの頃からか、テーブルクロスをひいて食事をするようになりました。大学の研究室でもちゃんとランチではテーブルクロスを広げます。もうほとんど食事の慣習です。食事をする時間というのは一日のうちのわずかですが(特に僕は食べるのが早いし)、その間に向かい合うお皿に並べられた食事とともに大切なものがテーブルクロス。やはり、あるのとないのでは心のゆとりが全く違います。
 写真のテーブルクロスは、今回バリで買ったもの。ちょっと柄が「バリすぎて」うるさいかなとも思いましたが、白っぽい単色の器を並べるのであれば、柄が引き立ちそうです。滞在中に行く場所はスーパーかコンビニ、あとは本屋という生活でしたから、たまにでかけた観光地でこんなかわいらしいテーブルウエアまで売られているなんてちょっぴり驚きでした。でもこのテーブルクロスだとポーランドの青色の陶器はだめですね。ほとんどカモフラージュされて、どこに器が並べられているかわからなくなりそう。
 日々の生活で使うものだからこそ、そこにちょっとした彩を加えたいと思うのです。一人でのライフスタイルを楽しむ方法でもありますが、それだけ歳を重ねて、さもすればあっという間に過ぎ去ってしまう時も「大切な時間」として、しっかりと見つめ、感じられるようになったからかもしれません。これこそが贅沢な時間の過ごし方なんでしょう。お金をかける「贅沢」が、淡雪のように瞬時に消えていく「プチ大人の贅沢」であるのならば、あっという間に過ぎゆく時を、心の中でゆったりと堪能できる贅沢こそが「本当の大人の贅沢」なのだと思います。
 

SUAC Wind Ensemble定演は本日開演

2013年01月08日 | 大学
 《本日休演》と聞くと、サティのバレエ作品を思い出します。幕間の意味不明な映画には、確かマン・レイや、デュシャン、ピカビアが出演していて、その間に演奏される連弾曲はものすごくシュール。
 本日休演じゃなくて、「本日開演」なのが、僕が顧問をしている大学の吹奏楽部 SUAC Wind Ensembleの定期演奏会。本日18時半開演。
 昨晩は会場での練習を見学。今までのプロを目指す芸術大学とは音楽を追及する方向性は違うけれど、それでも一年間のクラブ活動の集大成としての熱意は十分に伝わります。僕はこれから東京出張なのですが、開場時間までには戻る予定。ちゃんとカバンにチケットも入れたし。
 お近くの方、ぜひおいでくださいませ。ぼくはきっとホールの端の方で、演奏を見守っています。

 日時:2013年1月8日(火) 18時開場、18時30分開演
 場所:アクトシティ浜松 中ホール
 当日:800円
 指揮:土屋史人(第1部クラシックステージ他)

牛の皮からプラスチックへ

2013年01月06日 | 家・わたくしごと
 今回、バリで購入したのがこの変哲もないプラスチックの紐。細いパイプもつけてくれた。バリのガムラン関係者はすぐにこれが何だかわかるだろう。そう、青銅製の鍵板を吊るための「紐」である。
 本来は牛の皮を細く切って紐状にしたものを使っていたのだが、5,6年前から徐々に牛の皮からプラスチック製の紐へと変わってしまった。驚くことに、ちゃんと太く丸いテグスを熱でつぶして平らにしているのである。いわゆる細い「きしめん」状になっている。
 プラスチックは安価で、鍵板を吊り易いというのがこの変化の理由である。どちらがエコなのか、といえばそれは牛の皮なんだろうが、もはや時代の流れには逆らえぬ。私も1年前から牛の紐が切れるとプラスチックの紐に交換してきた。浜松のガムラン・アンクルンはまだすべてが牛の皮紐なのだが、これから少しずつこのプラスチックの紐へと変わっていく。ちょっぴり寂しい気もするけれど…。

謹賀新年

2013年01月01日 | 家・わたくしごと
 つい数時間前までは熱帯のデンパサールにいたのですが、今は雪景色のインチョン空港。昼には中部国際空港に戻ります。それから東京に移動。インチョン空港では《春の海》はかかっていないので、なんだか新年という実感はまだありません。
 さあ今年も始まり、ということで、ソーダ・グンビラ(「楽しいソーダ」)にまだソーダを入れていない写真からスタート。最後まで練乳と、ほんのりイチゴ味が楽しめるように上手にソーダをグラスに注いでいきます。「楽しい一年間が続きますように」という意味を込めて!
 皆さん、今年もよろしくお願いします。