Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

超おすすめ本 Benny & Mice Lost in Bali

2009年01月12日 | 
 今回のバリ滞在で購入した本の中で、バリ好きの友人たちにお勧めする本が、この12月に出版されたばかりのBenny & Mice Lost in Bali。書名のBenny & Miceは著者名なのだが、本のタイトルに含まれている。正確にはマンガ家、グラフィックデザイナーのBenny Rachmadi とMuhammad Misradの二人の共著。ユニークな絵で現代のバリが説明してあってまことに面白い。
 日本にもマンガや挿絵でバリを紹介している本はたくさん出版されているが、それらは当然、日本人から見たバリが描かれているものだ。しかしこの本、ジャカルタの芸術大学で勉強したジャカルタっ子が、ジャカルタを出発して、クタ、ルギャン、ブドゥグル、ウルワトゥ、パサール・スカワティなどで見たこと、体験したことを二人のインドネシア人の目から、するどく、かつユニークに描いているのだ。
 クタやルギャンのおみやげ屋の店員のインドネシア人の旅行者に対する冷たさだとか、彼らから見える外国人の姿など、とにかく絵になっているために多少のインドネシア語の知識があれば十分に楽しめる。とにかくこの本、超おすすめである。なんとボーナスとしてこの表紙のカラーポスター付き。ちなみにこの表紙、バリ人の儀礼着をきたおじさんが棚田に立つ二人にこう言っている。
「ここはウブドだよ。海岸なんてありゃしないさ。海に行きたいならあっちにあるクタに行きなさい。」
 ちなみに書誌データは以下の通り。
Rachmadi, Benny and Muhammad Misrad. Benny & Mice Lost in Bali, Jakarta: KPG (Kepustakaan Populer Gramedia), 2008である。


クバヤの生地屋

2009年01月11日 | バリ
 バリの女性は儀礼時にクバヤという衣装を着ることが多い。クバヤはレース生地だったり、綿布だったり、それに刺繍が入っていたりとさまざまである。もちろん似ているようでデザインもそれぞれ異なっており、数年ごとに流行があって、女性たちは流行のクバヤを作るのに相当にお金がかかるらしい。特に都市部だと流行に敏感で、古い型のクバヤを着ていると恥ずかしいと私のバリの友人はこぼしていた。ちなみに私の調査地はかなりの田舎なので、そういう心配はないらしい。
 私は男性だし、女装の趣味はないのでクバヤは着ないのだが、そんな生地が売られている布屋の光景が好きである。クバヤの生地を売るたいていの店は、それらをきれいに横にはった竿にかけるために、店先の鮮やかさには目をみはるほどだ。男性の儀礼着にはバラエティーがないためにこんなときは、女性が少々うらやましく思える。
 今日、そんな布地屋が多い通りを少し歩いた。さすがにクバヤの生地屋に男性が一人で入るのも気が引けるし、用もないために、使いかけのパレットをながめるようにゆっくりそんな色の世界を楽しんだ。バリの儀礼が生み出す色の鮮やかさは、その供物に使われる花や果物、色とりどりの旗だけでなく、女性たちのクバヤの色もまたその彩に一役買っているのである。


ランドリー

2009年01月10日 | バリ
 ここ10年くらいだろうか、デンパサールの街にはLAUNDRYという表示をした洗濯屋がたくさん見られるようになった。バリは観光地であるためにホテルなどの宿泊客を対象にしたランドリー・サービスは昔からあっただろうが、一般の市民を対象にしたランドリーの歴史はそれほど長いものではない。洗濯物を他者に依頼することができるようになったこと自体、豊かになった証である。
 普段の下宿生活では、襟付きの服やズボンなどアイロンを必要とするものや絞るのがたいへんなもの以外は自分で手洗いしてしまう。今回も10日ほどの滞在なので日本から洗剤を持って行きすべて自分でやってしまうつもりだった。ところが、今回は本当に天気が悪く、洗濯物がなかなか乾かない。乾かない時間が続くと、洗濯物が生臭くなり、Tシャツなどは着るのが結構つらいのである。
 結局、あきらめてTシャツもランドリーに持っていくことにする。昔から利用する洗濯屋は私のことを覚えていて、名前を言わずとも預かり証に私の苗字を書いてくれる。
「明日の夕方にはできないかもしれないよ。この天気だし、とにかく預かっている量が多いいんだ。アイロンかけるのは一人だけだからね。」
 やはり雨季には持ってくるバリ人が多いようで、商売は大繁盛のようだ。だいたい個人経営なので、大型の洗濯機や家庭用の洗濯機を使って洗い、大型乾燥機で乾かして、アイロンをかけるのだが、洗濯物が多いとアイロンに時間がかかるわけである。日本と違ってアイロンは洗濯屋用の大型機械ではなく、家庭用の手でかける小さなアイロンである。それだけ手間をかけてもTシャツ一枚は1,000ルピア、襟付きの半そでボタンダウンのシャツも1,500ルピア。120で割った額が日本円である。やっぱり人件費が安いことに驚く。とにかく、今回の滞在にとってランドリーはなくてはならない存在。


西欧風

2009年01月09日 | バリ
 息子にUMBROの腕時計をお土産に買おうと思い、一念発起してクタまでバイクを飛ばし、ショッピングモールのディスカバリーモールに出かけた。クタに行くことなどほとんどなく、しかも夕方に出かけたため、夕陽をみようと集まってきた観光客の車でとんでもない大渋滞。車を運転していたら完全にキレているが、そこはバイク。なんとか車間をすりぬけて、目的地に到着。ここに来るだけで相当に疲労する。
 UMBROの腕時計というのは、日本ではなぜか売られていない。UMBROファンの私としては息子にプレゼントする前に自分が欲しいくらいであるが、そこはグッと我慢して、息子に似合いそうな時計を選ぶ。といっても結局は自分が好きな時計を選んだだけである。それにしてもこのショッピングモール、とても中華系の観光客が多い。台湾の観光客なのだろうか?
 買い物を終えて、ふらりと海岸へ。このモールは海岸沿いに建てられているのである。外に出てはみたもののもうとっぷり日が暮れていて海の姿が見えないため、戻ろうとふと今出てきた建物を振り返ってみると、なんだかインドネシアではない別の国来ているような光景が広がっている。そうだ!この雰囲気は、オランダに住んでいた時出かけたデン・ハーグ郊外の海沿いの保養地とそっくりである。これもまた、バリ・・・。(12月30日記す)

スクーター大集合

2009年01月09日 | バリ
 ウブドの運動場ではインドネシア中から数百台のスクーター(大半がVESPA)が集まる大集会が開かれていた。とにかくそのスクーターがすごい。年代ものであるだけでなく、改造車や日本のトラックにみられるようなものすごくこったペインティング、サイドーカーをつけたものなど多種多様である。バイク好きの私としてはこれを見るだけでも胸が躍る。
 この大集会に集まった人々、なんとなく雰囲気が似ている。ラスタカラーを服のどこかに身につけ髪を伸ばし、いかにもレゲエ好きのお兄さんたちである。もちろん暑くても皮ジャン着用の人たちもたくさんいる。キャンプ用品を持参し、競技場にテントを張って寝る者もいれば、夜は道路にそのまま寝ているものも多い。とにかくこれまでのウブドにはない光景で、バイク野郎にウブドが一時、乗っ取られた雰囲気だ。夜には仮設舞台でダンドゥットの生演奏で踊り狂う参加者たち。伝統芸能の村ウブドもこの大音響にタジタジである。
 私は朝から一人でこの競技場に出向き、スクーターの写真をいろいろと撮影させてもらった。一見、強面のお兄さんたちもこちらがバイク好きだと知るともう大喜びで写真を撮らせてくれる。お兄さんやお姉さんたちが、その場でシルクスリーンをしながら作るイベント用のTシャツを一枚300円くらいで買い、ついでにステッカーも各種購入。バイク好きが集まるイベントはやはり心がなごむものである。日本でもホンダのカブを愛する者の大集会なんていうのが、富士山の麓で開催されたりしないのだろうか。私なんぞは愛用のカブとともにフェリーにのっても参加したいと思うほどだ。



高級なナシ・チャンプル

2009年01月08日 | バリ
 デンパサールでナシ・チャンプルを食べる時はたいていテイクアウト。紙にご飯を入れて、その上に選んだおかずをのせてくれて、最後にホチキッスで二、三か所をパチン、パチンと止めて終わり。所要時間1分以内である。開いたときには、ご飯におかずの水気がしみているし、見た目も決して美しいとはいえない状態になる。もちろん味には影響がないのであるが。
 ウブドで、デンパサールで食べる値段の3倍ほどするナシ・チャンプルを注文する。出てきたものがこの写真。美しい!まるで観光ガイドに出ているメニューのようである。彩り、盛り付けもそれなりに考えられているのだ。味といわれると、当然、庶民が食べるデンパサールのものとは別物と考えていいが、それでも外国人の私には十分においしく感じられる。観光客向けのお店なのだから当然である。
 調査地の田舎の村やデンパサールで生活していると忘れてしまいがちな盛り付けや彩り。そんなことを観光地のレストランは私に思い起こさせてくれる。


朝の弁当作り

2009年01月08日 | 家・わたくしごと
 今日から3月に息子が小学校を卒業するまでの間、かみさんが毎朝、弁当つくることなってしまった。もちろん、そのような親はたくさんいるのだろうけれど、息子の小学校は給食のため弁当を作るのは、季節のイベントだけだったのだ。
 この弁当作りの理由は、給食室の改築らしい。きっと親たちは「なんで今?夏休み中にできないわけ?」と考えているだろう。私の勤める学校ではないのでなんともいえないが、まあ、学校というのは思惑通りに予定が進まないものであり、決められた状況に対応するしかないのだ。
 本日が初日の弁当。数週間前からかみさんは「いやだ、いやだ」と連発していたが、もう諦めたらしい。作らなければ息子は「昼抜き」なのである。ちなみに、おかげで私まで「おこぼれ」が頂戴できるため、万々歳である。ちなみに写真は息子の弁当で、私の弁当にはフルーツはついていなかった・・・。でも奥様、ありがとう!

楽しいソーダ

2009年01月07日 | バリ
 インドネシアに来てこれだけは飲みたいと毎回思うものが、ソーダ・グンビラである。日本語にすると「楽しいソーダ」となる。この飲み物、1984年に最初に体験して以来、私が今宵なく愛する飲み物となったのだった。
 この飲み物を詳細に説明すると次のようになる。まず空のグラスの底に甘い練乳を1~1.5センチ程度入れ、その上に赤、あるいは緑の甘いシロップを静かに入れる。シロップはたいてい2センチ程度である。そうするとグラスの底に白、その上に赤あるいは緑の層ができる。このグラスとボトルに入ったソーダを使って、ソーダ・グンビラが誕生する。
 ここから先は飲む側がどのように楽しむかである。まず、美しい色が二層をなすグラスを見て楽しむ。これが重要で、ワインでいえば色を見るようなものだ。じっくりとそれを楽しんだのち、ボトルの半分ほどのソーダ水を静かにグラスへと注ぐ。すると、美しい三層ができるのだ。上から、透明な泡が踊るソーダ水、色つきのシロップ、そして白い練乳。注ぐ楽しみを味わい、再び三層となった飲み物を見て楽しむ。しかし楽しみはまだまだ続く。
 ドリンクなのだから「飲む」楽しみがあるのは当然だ。まず、ソーダ水だけを軽くストローで吸う。あっさりした炭酸を味わったあと、上の二層の部分だけを軽く混ぜるのである。この時点で三層すべてをかき混ぜると楽しみが一つ減ってしまうのだ。色つきシロップと炭酸水を混ぜると、甘いサイダーのような味になる。これが旨い。存分にこの味を堪能したのち、ボトルに残った炭酸を少しグラスに注いで、練乳部分まで混ぜ合わせて、今度はすべてが混ざった味を楽しむのである。この味がまた最高であり、楽しみも最高潮に達するのだ。注意すべきことは、上手に残ったソーダをグラスに足していくことである。少しずつ薄まり、甘さがなくなっていく過程を楽しむのもまたこの飲み物の楽しみである。
 さて、私のこの話を聞いた調査地の友人が、「40代の男が一人で、ニヤニヤしながらそんな飲み物を飲んでいるのを店の人がみたら、ちょっと普通じゃないと思われる」と言っていたが、それでも好きなものは好きなのである。楽しいものは、楽しいのである。


すべてジャワから

2009年01月07日 | バリ
 大編成のガムラン音楽にとって、ゴングという楽器は音楽的にとても重要な役割を果たしている。ゴングなくしてはガムラン音楽は成り立たないし、神が宿ると信じられるこの楽器には、たくさんの供物が捧げられたりする。神に近い楽器なのだ。
 ところがこの大きなゴング。もう30年近くバリでは作られていない。すべてジャワ島で作られ、バリに運ばれて売られている。もちろんジャワとバリではゴングの大きさや厚さなどが異なるので、バリ側が、バリのガムランに合うような大きさを注文して持ってきてもらう。バリの調律職人によって最後に音を調整するだけでゴングは売られていく。
 バリにはゴングを作る職人の数が減ったことや、人件費がバリの方が高いこと、ジャワのゴング職人の方の腕がいいなど様々な理由があるのだが、それでも自分達のガムランの楽器を自分達で作れなくなってしまったのは、ちょっぴり寂しい気がしてならない。楽器屋にたくさんの吊り下げられて並んでいるジャワから運ばれたばかりのゴングたちから、不安に怯えるこんな言葉が聞こえてきそうだ。
「ココハ、イッタイ、ドコ? ワタシタチ、コレカラ、イッタイドウナルノ? ココデ、ウマクヤッテ、イケルノカシラ?」

使われなくなったコインの行方

2009年01月07日 | バリ
 インドネシアでは500ルピア以下のコインがほとんど流通しなくなってしまった。もちろん貨幣価値がないわけではなく、単に流通していないだけなのである。たとえば、800ルピアのものを買おうと、1000ルピア札を出したとしよう。当然200ルピアがお釣りとして渡されると思いきや、コインが流通していないために結果的には飴玉をもらって終わりである。これに対して怒りをあらわにするインドネシア人を私はこれまで一人も見たことがない。にもかかわらずである。スーパーにいくと450ルピアなんて価格がつけられていたりする。これはどうみても500ルピアといっているのと同じである。値札に騙されてはいけない。
 少額コインが流通するのは、バイクの駐車料金である。たいていどこでも一回につき500ルピアなので、常にポケットに小銭を持っておかなければならない。大きい紙幣を出してもお釣りなんて持っていないからである。バイク乗りには必要なコイン、しかし流通が少なくなかなか手に入らないなんておかしいんでないかい?
 ところである楽器の調査で、カランガセム県にある工房を訪ねたとき、コインが楽器に使われているのに驚いた。通常、貨幣に手を加えたり、それ以外の用途に使っていけないものだからである。しかしこのコインは50ルピアコイン。100パーセントとは言い切れないが、このコインはもはや流通していないといっても過言ではない。流通しなくなったコインはこんなところに流用されていたわけだ。
 楽器製作者は「最近、50ルピアコインが手にはいらないから、それに似せた形を自分で作らなくてはならないんだよ」とぼやいていたが、まあ、あと数年もすれば100ルピアコインが流用されるようになるさ。100ルピアコインが死滅するのは時間の問題だもの。