Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

必着なのに!

2008年11月05日 | 那覇、沖縄
 本当は宅配業者名をブログに公開したい位ですが、ここはぐっとこらえて愚痴らせていただきます。ある宅配業者で神戸から荷物を送りました。担当者に直接会い、必着の日時を確認して送ったのです。それが今日の午後です。私は授業なので、他の方に着払いの支払いのお金を預けましたし、私に頼まれた方もたぶん荷物の到着が気になっていたはずです。
 なのに・・・到着しませんでした。私が電話で確認をしたら「今晩、沖縄に着く」のだそうです。どうしてですか?そんなこと許されるのですか?それだったら、預けるときにクライアントに対して伝えるべきです。沖縄から神戸に送るときは、同じ業者でもそれはそれはしっかりと日数を計算してもらい、「この日なら大丈夫」という日に預け、もちろん予定通りに届いていたのです。
 本番は終わったのだから、荷物が届くのは明日だって問題はありません。でも、そうしたこちらの都合は別にして、やはり宅配業者として、期日にもっと神経質になって欲しいと思いました。私は、たいていのことはスルーする性格ですが、この件については、かなり怒っています。もし間に合わないのだったら、連絡くらいするのが礼儀ではないでしょうか?

オペラ鑑賞

2008年11月04日 | 那覇、沖縄
 久しぶりにオペラ「魔笛」の観劇。当たり前のことだが、オペラにとっては役者(歌い手)の技量は当然ながら、演出がきわめて重要である。今回の演出は首里城での上演を考えていた「沖縄」を意識したもので、うちなーぐち(沖縄方言)なども取り入れた演出である。オペラの上演を観ることの少ない沖縄の人々に受け入れられやすい演出であることはいうまでもない。また回りの観客の反応からも十分に感じられた。
 しかし一方で、舞台設定や言葉を沖縄にしたところで、音楽はモーツァルトによって書かれた五線譜通りに演奏され、ドイツ語で歌われる音楽なのであり、結果的には、舞台上で生じる異文化の衝突の現場に遭遇したという感想を持った観客もいるだろう。
 ある芸術作品に異文化要素を取り込むという演出や行為は簡単ではない。私自身も常にそうした取り組みに直面して頭を抱えるのである。ただ、私がこだわりたいと思うことは、表象される文化にこだわるよりもむしろ、「文化のもつ世界観」の表現である。表層だけ姿を変えたところで、それは18世紀のヨーロッパの人々の持った「オリエンタリズム」の延長線上に位置するだけであり、キリスト教的世界観の正当性をアジアをまといながら強調するに過ぎないからである。

贅沢な乾杯 (西宮番外編4)

2008年11月03日 | 
 贅沢な乾杯。こんな高い缶ビールを普段に買うことはないもの。空港の待合室でメンバーの一人と軽く打ち上げ。これで二曲の現代音楽の演奏も終わり、またガムランin BALIにどっぷり浸かります。それぞれメンバーは皆たいへんだと思うけれど、やっぱり、もう私たちの生活は、ガムランなしにはあり得ないのです。ガムラン生活。ガムランを中心に生活が営まれていること。重要なのはバランス感覚。生活の中央にガムランをどっしり据えてしまい、それがどんどん膨張して、ガムランと関わらない生活の居場所がなくなったとき、われわれは疲れ果ててバランスを崩すのです。自分はこうした膨張するガムランの彫像をすり抜ける術を身につけてきたけれど、他のメンバーにはつらかったと思います。私だって年齢とともに、体の動きも鈍くなって、彫像がすり抜けられなくなり、なんどもぶつかり擦り傷を負ったのですから。
 でも、思うのです。一回きりしかない人生だし、好きなことができる幸せに感謝しなくてはならないのだと。ありきたりなのですが、神戸空港での贅沢な乾杯の写真をこうして見ているとそんなことを考えました。でも、日々ガムランができるのは仲間たちのおかげです。一人ではないから寂しくないのです。だから感謝をこめて、あなたたちへの贅沢な乾杯。

ご当地名物?(西宮番外編3)

2008年11月03日 | 
 旅先ではご当地名物が食べたくなるものだ。神戸に着いて、「ここの名物は?」と考えても、思い浮かぶのは「神戸牛」くらいで、これはご当地名物とはいえ、わたしたちが簡単に手を出せる代物ではない。仕方が無いので、ホテルに置いてあった観光マップを眺めていると、神戸南京町があるではないか!もちろん行ったことはないが、テレビのグルメ番組でもよく紹介されているし、中華のランチなら値段も手ごろ。これだとメンバーの分まで「えいっ」と支払いが可能である。
 ということで三人で南京町を訪れる。思ったほど大きなエリアではなかったという印象。というのはやはり横浜中華街のイメージがあるからだろう。それでも昼時だったせいか、たくさんの人々でいっぱいだった。お店に入るのもいいが、外で売られているものを食べていくのも楽しいそうである。これも中華街の楽しみの一つ。
 お店で昼食。中華料理はどこにでもある料理だが、やはりこうして旅行先の観光地の一つである中華街で食べる中華料理もご当地名物なんだろう。料理の内容ばかりでなく、場所も重要なのだから。

本家オランダ館 (西宮番外編1)

2008年11月03日 | 
 演奏会の翌日、午前中には楽器を那覇に送り終わる。夜7時過ぎの便で沖縄に戻るので、せっかく神戸まで来たのだし少しは観光もしようということで、旧居留地という場所まで三人でぶらぶらと歩いて出かけた。神戸の観光地としてはとても有名な場所で、観光エリアに入ると観光客がいっぱい。坂も多く、なんだか首里城のようである。歩いているうちに「オランダ館」なるものが存在していることを知り、「オランダびいき」の私は皆を引き連れて、有料のその場所に入ってみることにする。
 オランダ館は正確には、「本家オランダ館」。だいたい「本家」なんて言葉がついているときは、あやしい雰囲気を感じる。たこ焼き屋のように「元祖」なんていう冠がくっついている店がすぐそばにあったりするものだ。そう思って地図を見ると、やっぱりすぐ近くに「香りの家オランダ館」がある。「やっぱりね」といった感じ。
 さて、そのオランダ館だが、結論から言って「最も気に入った公開旧宅」だったのだ。まず他の旧宅が常に補修をして美しい状態に保っているのに比べ、ここは「そのまま感」が感じられる。さらにそんな雰囲気のせいか観光客がひっきりなしに来る雰囲気はなく、ちなみにわたしたちが訪れたときは、15分くらい独占状態だった。しかも、古いイスでゆっくりくつろげ、神戸の景色も一望でき、さらには紙コップに入ったアイスコーヒーまで、リビングで飲めるのである。観光客が多い場所は、ただ指示通りに歩くだけなので、この自由さがいい。ただし、外につけられた張子の風車はいただけない。オランダ個人宅に風車はないし、あまりにも日本人のイメージを利用しすぎた感がある。
 ちなみに、この家、無料でオランダの伝統衣装を着て、しかもチューリップの造花を持って、木靴まで履いて写真撮影可。帰り際に観光客のオバサンが、大はしゃぎで撮影に向かっていた。オランダに住んでいたとき、ついぞ、伝統的衣装を着たオランダの女性を見ることはなかったが・・・。

きょうは「参加者」

2008年11月02日 | 大学
 毎年恒例の大学芸術祭が始まる。普通の教員はこうした行事にかかわる場合は管理者側となり、参加者にとっての「嫌われ役」になることが多いが、私の場合は常にガムランの参加者である。学生の祭典に教員が参加するのはどんなものだろう、なんて言ってくる者もいるが、バリではこれが当たり前である。演奏者である以上、教員も学生も関係ない。
 ところで、芸術祭に関わる学生のタイプには二通りある。一つにはとにかく芸術祭が楽しみで、必ず何らかの形で参加するタイプ。このタイプの学生の一部は、普段、一限目の授業に起きられなくても、芸術祭準備には朝早く真っ先に参加する。もう一つのタイプは、芸術祭には全く関わらず、この期間は旅行にでかけるなど、完璧に「秋休み」と勘違いしている輩である。
 教員になった以上、どちらがいいとは一概に言えないし、学生個人の性格だって関係する。私自身、ガムランを演奏するのは好きだが、芸術祭全体を心から楽しんでいるのかと問われると答えにつまる。正直、にぎやかな空間にはうまく溶け込めない。
 実は明日、私は昼はガムラン演奏者として「参加者」になり、夜は、見回り役として「管理者」となる。後者こそ、学生時代、一番「憎たらしい」と思った役柄。せっかく楽しんでいるのに「もう片付けなさい」とか「早く帰りなさい」なんて言う教員は学生の敵だった。敵にはなりたくないので、そんなこと言わせる前にみなさん、テキパキ片付けましょうね。ワイロ、袖の下は一切受け取りません!

花束 (西宮編11)

2008年11月02日 | 
 ガムランの演奏を終えて花束をもらうことなんてまずありません。そりゃ、20年も演奏していれば一度や二度、花束をもらったこともあったと思いますが、記憶にないほど昔のことです。ガムランの奏者には花束より「食い気」だと思われているんでしょうね。
 でもね。食べ物でなくてもいいんですよ。私、花束大好きです。ちなみに今日と明日、芸術祭で演奏するんだけどなあ・・・。

再び渡航準備 (西宮編10)

2008年11月02日 | 
 本番が終了して再び渡航準備。さすがに片付けは早い。演奏終了直後、まだ演奏会が終わっていないうちから太鼓を二つ梱包し、他の楽器もこのように片付け。この日のうちに楽器はまた海を渡ります。今日の演奏を無事に終えたことを楽器に感謝。

TUTUPのはずが・・・(西宮編9)

2008年11月02日 | 
 それぞれミュージシャンは自分の楽譜に自分でわかるようにいろいろな注意書きをするものです。写真の楽譜の書き込みは私のもの。TUTUPはイタリア語の楽語ではなく、インドネシア語の「止める」の意味。ようするにたたいた鍵板の音をこの部分でミュートするように、という自分のための指示です。
 こんなしっかり書き込んで演奏したのに・・・グスン。最初に出てくるこの場所で、私は音を残してしまって、向かい合っている演奏者に止めてもらいました。というよりも、その様子に動揺した私は、あせって右手の掌で鍵盤をおさえました。このとき、私は観客には背を向けていたので見られずにすみましたが、正面の演奏家さんにばっちり私の動揺の姿を見られました。弱みを握られてしまった・・・。