自分の好きな食べ物は何かと問われると、「カレー、スパゲッティ、焼肉、ナシチャンプル、焼き魚……」と年齢によって答えが変わってきた。だいたい幼稚園の子どもが、「塩しゃけ」なんて答えたら聞いた方がひいてしまう。好きな食べ物というのは、たいてい、年齢とともに変わっていくものなのだ。味覚が変わるともいえるが、人生経験に比例して、食事のバリアントも増え、結果的に選択肢が多くなっているからだろう。
50歳に近づいた私が、食べたい大好きなものといえばヤキトリである。多少しつこく感じるかもしれないが、焼き鳥ではなくヤキトリである。私の中でカタカナでヤキトリと書かれた場合、その素材は「鳥」ではなく、「豚」の内臓である。的確にいえば、「ヤキトン」となる。
ヤキトリに対する嗜好というのは、不思議と子どもの頃から変わっていない。まだ小学校低学年のときだったが、父がヤキトリ屋に連れていってくれて、たんまりヤキトリをほおばったときの記憶は忘れられないし、たまに母が駅前で買ってきてくれて夕食のおかずにもなった。縁日では、当時一本10円だった「シロ」のヤキトリを一片5分くらいかけてクチャクチャと噛んでいた記憶がある。そうすれば、10円がより長く楽しめるからだ。シロは硬いことから、レバーよりもずっと長く味わうことができる、子どもにとっては効率的な縁日の食べ物だった。
このところ、東京にいくたびにガムランの仲間とヤキトリを食べる。最近はすっかり飲めなくなってしまったのだが、やはりヤキトリがあると酒が進むものだ。沖縄ではブタを食べるわりには、ヤキトリの文化が発展しなかった。最近、店は増えてはきているものの、東京の店とはやはり雰囲気が違う。そんなことを考えているうちに、またヤキトリが食べたくなってきたぞ。次は吉祥寺いせやで乾杯か!
50歳に近づいた私が、食べたい大好きなものといえばヤキトリである。多少しつこく感じるかもしれないが、焼き鳥ではなくヤキトリである。私の中でカタカナでヤキトリと書かれた場合、その素材は「鳥」ではなく、「豚」の内臓である。的確にいえば、「ヤキトン」となる。
ヤキトリに対する嗜好というのは、不思議と子どもの頃から変わっていない。まだ小学校低学年のときだったが、父がヤキトリ屋に連れていってくれて、たんまりヤキトリをほおばったときの記憶は忘れられないし、たまに母が駅前で買ってきてくれて夕食のおかずにもなった。縁日では、当時一本10円だった「シロ」のヤキトリを一片5分くらいかけてクチャクチャと噛んでいた記憶がある。そうすれば、10円がより長く楽しめるからだ。シロは硬いことから、レバーよりもずっと長く味わうことができる、子どもにとっては効率的な縁日の食べ物だった。
このところ、東京にいくたびにガムランの仲間とヤキトリを食べる。最近はすっかり飲めなくなってしまったのだが、やはりヤキトリがあると酒が進むものだ。沖縄ではブタを食べるわりには、ヤキトリの文化が発展しなかった。最近、店は増えてはきているものの、東京の店とはやはり雰囲気が違う。そんなことを考えているうちに、またヤキトリが食べたくなってきたぞ。次は吉祥寺いせやで乾杯か!