Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

手を振られたら・・・

2007年09月21日 | 那覇、沖縄
 今日の沖縄は不思議な天気。青い空がのぞいて、真夏の太陽の日差しが大地いっぱいに差し込んだかと思うと、突然、ものすごい豪雨。なんだかその繰り返しで一日が過ぎていく。バイクが足の私は、午前中、総合病院の入り口の横に置かれたベンチで、横殴りの大雨が、南国の木々の青々と茂った葉を打ち付ける音を聞きながら、ぼんやりと雨の止むのを待っていた。私のすぐ隣には、入院用のパジャマを着た初老の男性が、私と同じようにそんな風景を眺めている。
 雨の中、次々に車が病院の玄関の前に寄せては、同乗者を降ろしてすぐに立ち去っていく。たぶん、多くはこの病院に来る患者で、運転しているのは家族なのだろう。振り返って運転してくれた人に一言二言、何かを言う人もあれば、振り返りもせずに、ただ黙って玄関に消えていく人もいる。何台目かの車に、中年の夫婦らしき二人が乗った濃紺のセダンがすっと玄関前に停車した。運転手は男性の方で、おりる女性に微笑みながら軽く手を振った。女性は半身だけ振り返ると、ほんの一瞬だけ、相手にだけ見えるように腰のあたりで小さく手を振った。あっという間に車は、玄関から駆け出していく。
 「手を振る」、「振り返す」なんてありきたりの風景なのかもしれない。しかし私は、中年の男性が、中年の女性に手を振る光景というのをあまり目にしたことがない。たいがい「さよなら」とか「おーい」と手を振るのは子供か、若者である。年をとるにつれて、手を振ることからだんだん遠ざかっていくのだ。そんな身振りは「子ども」がするものだと思うからだろうか?
 私はたまに大学の構内を歩いていると、学生に手を振られることがある。挨拶というのは、映画の一シーンのように、通りすがりに軽く一礼するくらいが大学らしくていいと個人的には思うのだが、とてつもなく元気な学生に「せんせー」と叫ばれ、遠くから手なんか振られると、想定外の挨拶にどのように対応していいかわからなくなってしまう。最初のうちは、赤面してしまうほどだったが、そのうち、笑顔で手を振り返すことを覚えた。
 かみさんは、私がバイクで出勤するとき、マンションの三階のベランダから、駐車場を出る私を見て手を振る。さて、振り返ると小刻みに手をふっている彼女を見て、私はどうしていいか悩んでしまった。はじめのうちは、ただ振り返るだけだったが、そのうち、聞こえるはずもないのに、「じゃあね」と言って、片手運転で大きく手を振ることを覚えた。
 手を振られたら・・・当たり前のことかもしれないが、微笑んで手を振り返せばいい。それが言葉を必要としないコミュニケーション。挨拶されたら、挨拶することと同じことなのに、どうしてそんなことを大人になるとできなくなってしまうのだろう。大きく手を振り返さなくたっていい。恥ずかしくて大きな声を出せない挨拶があるように、そんな時は、そっと隠れるように手を振ればいい。今日の朝、私が見た光景のように。
 そんなことをぼんやり考えていて、ふと我にかえると、もう真っ青な空が広がっている。