続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

新田義貞の記憶・反町館跡

2022-09-07 20:29:21 | 群馬県・東毛

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

今朝は、山上の元蓮田まで行ってみよう。

蓮はどうなったかな?

 

ますます、たくましく生きてます

稲が負けそう

まだ蕾も上がってます

耕作されて、かえってそれが刺激になってるのかな?

 

 

 

 

大通寺の後、近くだから久しぶりに反町薬師に寄って行きましょう。

ほどなく到着です。

古いながらも地域の案内板があります。

でも、ジョイフル本田は、まだありません。

矢止の松の左斜め上の交差点、その左右に店舗があります。

 

説明板を確認です。

築造は鎌倉時代から南北朝時代と推定されます。その後戦国時代になって三重の堀を巡らす城郭に拡張されたと考えられます。新田義貞がここに移住み、その後大館氏明、新田義興、矢内時英がすんだという伝承もあります。天正十八年(1590)、豊臣秀吉の北条攻めで廃城したと伝えられています。

新田義貞がここに住んだという伝承があるんですね

 

現在の照明寺(しょうみょうじ)は、以前は、堀の西側にありましたが、正徳四年(1714)火事に遭った際にここに移転したと伝えられています。照明寺の本尊は厄除け薬師として有名で、毎年一月四日の縁日には大勢の参詣人でにぎわいます。

 

あれ、正徳4年ですって

田中藤左衛門が竜骨を持って、上野国山上の常広寺にやって来たのは、正徳4年の夏です。

正徳4年のいつごろ焼けたのかな?

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』に、

しかし正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇の全てが焼失したため・・・(後略)

 

田中藤左衛門が利根川を越えてやって来たころ、照明寺には堂宇がありました。

竜骨を持って行っても売れなかったでしょう。

焼けて堂宇のなかった常広寺にこそ、必要だったのです

 

 

さて、境内の散策です。

左手の土塁は以前歩きました。

今回はパスです。

 

大きな手水社です。

その後ろは、どなたかおいでです

ここは真言宗のお寺です。

弘法大師の像です。

靴も脱いで、参拝です。

ちょっと失礼して中を覗かせて頂きます。

合掌

 

 

奥の方にも御堂があります。

龍がいます

獅子頭には、まだ色があります。

何様かな?

とりあえず合掌

 

 

本堂です。

大中黒の新田の紋所が目立ちます

本尊の薬師仏は石像で秘仏だと言うことです。

合掌

 

参拝のご夫婦がやって来たので、しつこく覗くのはやめました。

 

 

そこらでズーッと草むしりをしているおじさんが居ます。

「あのう、ここは御朱印をいただけるんでしょうか?」

「書き置きならありますよ。あちらへどうぞ。」

和尚さんでした

何度も来てますけど、はじめての御朱印です

 

 

本堂の右斜め前は、鐘楼堂です。

あれ、もしかしたら自動で撞く仕組みかな?

さっき、鐘の音がしてました

 

獅子頭は青と朱で彩色されています。

 

 

反町館の名残の堀を、藤棚の向こうに眺めて帰ります。

藤の季節に来てみたいなあ

 

折角だから、説明板の側にあった「おおたんのスタンプラリー」のスタンプもいただいていきます。

今年は間に合わなかったけれど、来年は参加しましょう

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