どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

近江の沙沙貴山君(2)

2010年09月29日 00時06分24秒 | 倭奴國
近江の沙沙貴山君(2)

熊手宮がテーマです。

1高倉神社 大倉主、菟夫羅姫・・高倉:たけくら(武蔵)。
2岡湊神社 大倉主、菟夫羅姫・・副神、天照大神。

3岡田神社(三宮)
A岡田宮、神武天皇・・岡県に1年留まる。(古事記)
B熊手宮、大国主、少彦名、奉祭:県主熊鰐・・・熊手?
C八所宮、高魂神、神魂神、玉留魂神、生魂神、
足魂神、大宮売神、事代主神、御膳神(御食神)
(事代主は大巳貴の子、御食神:大宣津姫、倉稲魂神)

熊手とは、何ですか。

熊は神と同義だから、神の手の義でしょう。
例示:堺市の大鳥神社(鳳)、酉の市で求める熊手は、縁起ものです。

しからば、何という神なのか。これが、テーマです。

天孫降臨の経緯は、大巳貴と少彦名が、国造りして、皇孫に国譲りした。

皇孫の後裔:神武天皇が小倉西区の岡田に来て、熊手と八所のお祭りをして、行軍の安全を祈願したのでしょう。

熊手宮の大巳貴と少彦名の子孫が、大倉主、菟夫羅姫ではないか。

大巳貴:大国主⇒大倉主、少彦名:粟殻⇒粒羅姫。
何処となく、親神を引きずった名前が伺われます。

倭國宇陀の阿閉臣伊賀彦が、大倉主、菟夫羅姫を祭る。
以上を和邇氏が知っていたので、神功皇后の船は動いた。

大巳貴は、
1少彦名の治癒で息を吹き返した。薬の神:少彦名。
2広鉾の光。月柱(ルナ・ピラー)の神格化した剣。
3岐神(ふなとかみ):河伯の支援。水星。
によって、八十神を平らげた。闇の帝王:梟師[八十神]は、光を嫌がる。
(月柱はネットで検索のこと、日柱と対)

熊手は、直接には、やはり国造り大巳貴と少彦名です。熊手宮は、大国主としているから、スサノオの7代目大国主、三輪の大物主も入っています。

熊手とは
高倉神社に武蔵が居て、直接に加護しているのでしょう。高倉は、宇佐の高倉(たけくら)神社古墳の用例あり。武蔵(むさし)は、「たけくら}です。たぶん、武蔵は、スサノオでしょう。(武蔵氷川神社参照)
岡田神社の解説に、神武天皇は、天・地・人を祭るとある。大国主や八所神を味方につけました。
そして、大屋根[天]には、岡湊神社の副神:天照大神が、加護しています。

なお、熊鰐は、3-Bで大国主と少彦名を奉祭している。
これも天理市の和邇氏の支流が熊野大神の娘を貰っているので、神:熊が付いていると考えます。

167年頃生まれた沙沙貴山君は、少彦名、菟夫羅姫の後裔から外れていません。
これを近江の沙沙貴山神社の由緒が証明していました。
沙沙貴山君の4世は、阿閉臣伊賀彦命、5世は、筑紫国造日道命でした。
そして、645年の安倍倉橋麻呂、平安時代の安倍晴明と子孫がつながっていました。
和歌山市友ヶ島は、陰陽道の修行場です。淡嶋神社の修験道と関連。
淡嶋神社(和歌山市加太)には、少彦名命を主祭神とする本拠があります。全国約1000の総本社です。粟嶋神社、淡路神社も同じです。(人形、針供養)

回顧的に観ると神魂神(かみ結び)の働きは絶妙です。
造化三神
天御中主・・北極点、北辰という。現在は、小熊ベータ星。
高木神・・・北斗七星です。月、時刻を知らせる。
神魂神・・・水平線。水平を保つ神です。

神魂神は、
天と地の境にいるから、天つ神と国つ神を
結ぶ神の原義でしょう。

神魂神は、少彦名を、山裾のへりに付け、天地を結ぶキーパーソンとしている。
なぜならば、山田のカガシ(少彦名)は、稲田の水面に立つからです。
全国何処へ立とうが、水面:水平線です。陸と海の際も辺津:水際線。
事実、三輪山では、辺津宮:少彦名、中津宮:大巳貴、奥津宮:大物主でした。山と平地も辺津です。

従って、神武天皇、神功皇后も、少彦名神を土台に、天神地神を祭り、味方につけたのでしょう。大巳貴の全国制覇にあやかっています。


近江の沙沙貴山君

2010年09月24日 00時06分56秒 | 倭奴國
近江の佐々貴山君

167年頃生まれた狭狭城山君は、安倍倉橋麻呂の先祖です。
安倍倉橋麻呂は、645年、左大臣でした。167年から数えて約500年前の先祖が、狭狭城山君でした。後裔の倉橋麻呂は、文殊院の建立者です。

では、167年頃生まれた狭狭城山君の本拠は何処でしょう。

沙沙貴神社 (滋賀県蒲生郡安土町常楽寺)
1神代に少彦名神を祀ったことに始まる。・・・紀元前
2古代に沙沙貴山君が大彦命を祭る。・・・・・200年頃
3景行が大規模な社殿を造営させた。・・・・・320年代
景行天皇は、志賀高穴穂宮遷都。

上記2の記事から、孝元天皇の長男大彦命を祀るとあるので、棄て子の狭狭城山君:沙沙貴山君は、必然的に恩人大彦命を祀ったと考えられます。
(九代開化天皇の大臣大彦命は、天皇と相談、封地を安土に与えたとみます)

少彦名神の後裔
九州岡垣町の高倉神社の大倉主と菟夫羅姫、
167年頃生まれの近江沙沙貴山君、
300年頃、神功皇后従者の倭國菟田伊賀彦と続き、
伊賀彦は筑紫に残って阿閉臣となり、その子が、350年頃成務紀で筑紫国造日道命となりました。(伊賀臣伊賀彦宿禰の後ではない)

4大鷦鷯命(おおさざき)
 沙沙貴神社の第三座には、仁徳天皇を祭り、その名前の由来は、鳥の「ミソサザイ」を示す。
5第四座には、宇多天皇・敦実親王(あつみのみこ)が祭られ、そして、近江源氏の発祥地と続いていました。

筑紫国造
350年頃、國造本記・成務朝、筑紫国造・阿閉臣同祖大彦5世の日道命。
これも、神功の船かじ取りである岡県主熊鰐が、知っています。4世伊賀彦の子が、日道命と。たぶん、和邇氏が、高倉神社を奉祭しているからでしょう。
日道命は、岡垣町高倉神社の大倉主と菟夫羅姫の後裔でしょう。

上記3で、景行が社殿を建てた記事。
膳夫臣磐鹿六雁は、卑弥呼の膳を作った彦稲腰別の後裔です。景行が蝦夷國視察の際に、膳を務めたので、膳夫臣となる。景行は良く弁えた人。宮を近江に移し、応神天皇に大倭を空け渡したフシが感じられます。
膳臣、膳夫臣は、若狭國を封國としています。旧三方町円山塚古墳の画文帯神獣鏡出土。

伊賀の敢国神社に、美濃国一宮の金山比命が祭られるのは、大彦命が金屋子神ともいわれているからです。
171年、大彦命は、桜井市金屋で、一大率の阿倍臣と卑弥呼の膳臣の為に、刀を作るに当たって、金屋の鍛冶:柴百(金山彦・姫)を祭ったからです。(柴百という人物:埼玉稲荷山鉄剣)
これに因ると、柴百とは、美濃国一宮の金山比命の協力でした。
なお、金山彦・姫は、いざナギ、いざナミの子で、竃神の祖で、全国にあります。
金屋子神は、全国にヤマとあり、普通名詞でしょう。
遡ると歴史的には産鉄のカマドは、女です。スキタイが最高神とする女神でした。
垂仁紀の本牟都別の言「あれは青葉ノ山の様に見えて、山ではない」
これが、竃祭りの初見でしょう。

文献の過誤
安倍倉橋麻呂の後裔・陰陽師安倍晴明は、大彦命の阿倍臣の後裔で、平安朝のころ、安倍に改姓したと記されています。間違いが、これで判明しました。
七海は、これまで、安倍倉橋麻呂、安倍清明の祖を阿倍臣と信じていましたが、すっかり、学者にだまされていました。

ささ+α
神代の鷦鷯:娑娑岐・・・神結びの子:少彦名命に因む。全国にあり。カガシ。
三輪山の辺津宮:少彦名、中津宮:大巳貴、奥津宮:大物主を祀る。
愛媛県大洲市菅田町大竹の少彦名神社。菅田の菅目はメッカチの義。
(投馬國:代表地点大洲市です。) のち少彦名は薬の神となる
滋賀県大津市の楽浪(さざなみ)の栗栖。旧美東町の隣接・佐々波町。
近江国蒲生郡篠笥(ささげ)郷。
・・・あさげ(朝餉)のケ。敦賀の気比神社、または笥飯神社とも関係あり。
仁徳天皇は冠の大を付けて大鷦鷯。ミソサザイという鳥名でした。
宇佐八幡の顕現、571年、大神比義の笹の葉。熊笹。
持統天皇の諱は、鸕野讃良(うのささら)皇女。末盧國:盧鳥:鵜。
デカンショ節の丹波篠山の篠。しののめは東雲、小竹(しの)。熊笹。
七夕祭りの竹・笹は、イネ科の植物。
こきりこの「ささら」:楽器で、薄板を重ねて、蛇腹にしていました。
以上、砂、沙、細・・・よく習合されています。又、糸がよく絡まり、お祭りしていました。

泡、粟・・・・濡れ手に粟、そして芥子粒。
幻灯機・・・フィルムに豆男を映すと、膨張します。
走馬灯・・・ぐるぐると馬が同じ所を廻っていました。

あとがき
大彦命は、調べたのでしょう。[稲荷山鉄剣銘]に日本で占力ナンバー1の大臣とあるからです。大巳貴を助けた少彦名と判明、養ってきた以上、隠すわけにいかなかった。ゆえ、系譜は、狭狭城山君と明示。また、安倍文殊院も決して、隠してはいないと思います。生年が大彦命と合わないと明示。
少彦名は、別名山田のカガシですから、余りにも有名です。
このように、読者が考えることを日本書記は、訓示しています。


狭狭城山君

2010年09月23日 00時14分19秒 | 倭奴國
狭狭城山君

下記七族の祖・大彦命の子に、唯一、君姓があるのは、なぜか
(以前のブログ:7月17日ヌカ喜びの続きです。なぞが解けました。)

大彦命の子孫 
1阿倍臣 武淳河別・・・171年、一大率着任。のち埼玉県北武蔵を封國。
意宇比跪其児多加利足尼(おおひきみこ・さわかるすくね)[稲荷山鉄剣]
意宇比跪:大率(おおひき)、其児:箕児(みこ)、多:さわ:沢さんの義。
狩野という船・・・多加利は、さわかり。
軽野という船・・・多加利は、さわかる。(利は音転してル音)
加利:狩野、または軽野という船の名前です。また、孝元の軽境原宮の軽。

2膳臣 彦稲腰別・・・171年、卑弥呼の膳夫。のち若狭國を封國。
 稲荷山鉄剣の二刀:錬り別作らしむ。武淳河別と一対の刀。
3阿閉臣・・・伊賀彦。
4狭狭城山君・・・167年頃、棄て児(赤子)を大彦が拾う。後述。
5筑紫国造・・・
350年頃、國造本記・成務朝、筑紫国造:阿閉臣同祖大彦5世の日道命。
400年頃、仁徳紀の松津國造は、佐賀駅南の小津で、物部金連。
  七海注記:日道命は、狭狭城山君の5世と看做します。
6越国造・・・頚城國造、深江國造も大彦の系統。
7伊賀臣・・・伊賀彦宿禰。

問題
安倍文殊院の祖の安倍は、前156で、167年頃と推定します。
孝元の崩御年の2年後156年に大彦が生まれたとしるすが、おかしい。
大彦の子ではないとすぐ解るようになっている。[文殊院の記事]

大彦命は、伊賀國開拓の祖ですが、伊賀で捨て子を拾った。

文殊院の大彦は、捨て子の貴人であろう。
これが、狭狭城山君始祖(君姓)とみる。
狭狭城山君は、645年の安倍倉橋麻呂(名代)の先祖でしょう。
当時の人・倉橋麻呂は、崇峻天皇(588~592)の倉橋宮に因む名代を引き継いだのであろう。
なぜならば、崇峻の子・蜂子皇子は、出羽の羽黒山へゆき湯殿神社を創建した。仏教でいう出家のような者となり奈良を出て居ないからです。

伊賀臣・阿閉臣の祖:伊賀彦宿禰は大彦命の曾孫(ひまご)ですが、
文殊院の記述は、
大彦命:狗彦の意味でしょう。狗:大の義。
一人は伊賀臣宿禰ですが、もうひとりの伊賀彦は、神功の従者で、300年頃に九州へ行っています。
伊賀彦の子が、五代目阿閉臣日道命となるのでしょう。以下、系統を整理します。

初代 狭狭城山君・・・167年生まれ。捨て子[赤子]
―2大稲奥命
―3彦家主田心命
―4伊賀彦宿禰-5稚山守臣―6へ
(-4伊賀彦:神功の祝となる宇田の人)
―4屋主忍男武雄心命 ここまで300-167=133、÷4=33年
  紀の山下影姫を娶り、武内宿禰が生まれる。隅田八幡鏡。
―5武内宿禰・・・300年頃登場、景行紀の蝦夷視察、仲哀の大臣。
―5日道命(筑紫国造:阿閉臣同祖の大彦5世:狗彦5世の義)
―6近江山君稚守山[仁徳40年]

伊賀市の一宮・敢国神社の祭神は、孝元皇子大彦命です。少彦名命と金山比も祭られています。

では、捨て子は、誰の子なのか。
まず、神功皇后は、洞海で従者伊賀彦に祀らせた。これは、直接には伊賀彦を指していますが、伊賀臣伊賀彦宿禰ではないと考えます。
神功は狭狭城山君を知っているのではないか。
理由は、偉大な大彦命を祀れと云わない、なぜか。

仲哀紀
神功の船は、岡湊から水門[洞海]に入ったら船が動かず、大倉主と菟夫羅姫の原因と判明。そこで、倭國の菟田の人・伊賀彦を祝として祭らされた。すると船が動いた。棄て子は、高倉神社の祭神大倉主と菟夫羅姫と関係あり。この子孫伊賀彦が祭ることで、船が動いたのでしょう。
(先祖をまつると、祟らない事例は、大物主と大田田根子の例ほかにみられます。)
また、神功は、六連島(没利島)、藍島(阿閉島)を御筥とする。
阿閉が出てくる。また、御筥が出て来ます。

筥:箱、
福岡市箱崎神社は、元筑穂町大分宮にあり、神功は、阿閉臣伊賀彦と分れて、大倭へ行く。阿閉臣は、筑紫に残りました。

埼玉稲荷山鉄剣による一大率の系譜
1武沼名川別・・・大彦命と沼名川姫の子。[以下女の家の姓がつく]
2豊韓別・・・・・・・豊国の辛島氏の後裔の娘の子。
3高橋別・・・・・・・奈良県桜井の高橋臣後裔の娘の子。
4多沙岐別・・・・・狭狭城山君の後裔の娘の子。
5果日・・・・・・・?
6風早・・・・・・・?
7猪将別・・・・・・卑弥呼の猪に因む名代にした。531年没。
8乎別・・・・・・・・埼玉県北武蔵の封國主。

5、6代の果日、風早に別がつかない。なぜか。

5果日・・・日道(ひじ)命の後裔。肱、肘・・・大洲市肱川に因む。少彦名神社。
果日は、伊賀臣伊賀彦宿禰と異系統で、阿閉臣の後裔でしょう。

6風早・・・四国愛媛県の風早國に因む。

やはり、安倍文殊院の大彦は、普通名詞として、狗彦の義と明確に区別したと考えます。狗奴国に属する。これが捨て子・狭狭城山君でした。

ややこしい連中ですが、丹念に観ていけば、理解できるようになっていました。元を手繰ると、狗奴国は、大倭國の守り神でした。
続きは次回。近江の沙沙貴山君

 一、壱、壹

2010年09月21日 06時47分40秒 | 歴韓国
一、壱、壹

製鉄で、山が坊主頭になり、初めに尽きた。
スサノオと五十迹猛命が、木を植えて山は再び茂った。
土蜘蛛、國栖等も含めて、尽くせぬ程の努力をした。

青森県弘崎市十腰内・・・腰(刀)がひとつ足りない。(九:小)
宇佐小倉山の北階段、鬼が99段造り、あと1段残した。(鬼神)
九十九・・・つづら・・・織物など
九十九・・・つくも・・・憑く喪神など
くねくねの人が、壱と百に、拘っています。

百済は、初め百家で海を渡ったので、クダラと命名した。
遂に、クダラのクを取っ払う。
(ダラ:太良の濁音、多田羅の多抜き。)

A クを取ると、タラとなった。代わりに冠がつく。
普陀洛山、ほだらか渡海は、梵語ポータラカ:観音浄土。

陀羅尼、梵語ダーラニー(忘れないこと)陀羅尼経。
陀羅尼助・・薬の名
江戸期、アホダラ経の流行。

コロボックル・・胡蘆+松ぼっくりの転音?或いは胡蘆ボ(ゥ)来る。
蕗の下に居る、ダイダラボウ、ダイダラボッチ。秋田の蕗は3mあり。
胡蘆:ユウガオ、ひょうたんの別名。

植木節、ホンダラ、ほだらか、ホイホイ。(自身に対してですよ)

B タも取る。
ラ[羅:うす絹]のみ1枚残った。ひれ:スカーフ、松浦の領布振山(鏡山)

余り壱
余ったものは、あまり壱。・・・目ひとつの神。老子の事初めは一。
スサノオ[大]は、与え過ぎて擦り切れましたが、壱に還って来ました。

ギリシャ語アリマスポィ(一目國)、中国の山海経海外北経の一目国、
神武紀の天目一命は、山代国造。

マツダ・ランプ(東芝製)は、アフラマツダの由来。光の義。
暗いところで、ひとつ火を灯すのは、日本古代のタブー。

C 最後の壱も無くなった。
無、空・・・縁起:仏教。 神道:延喜。・・・裸の天王:スサノオ。

百済観音
阿弥陀如来
南無阿弥陀仏

余談
百:一と白、白:古文の自。スサノオは、いざナギの鼻から出てきた。(自:鼻)
回という字。廻る、巡る義。囗の中に、百を入れた字:回の旧字。
箱、函、筥、ハコ、囗構えの漢字、五十あり。・・・際限なし、いや5分5分。
あまねく(遍)、すべからく(須)は、葉木國之尊[八龍の森]

寓言で破天荒男:須佐之男、だんだん(出雲方言、ありがとう)

気質

2010年09月20日 00時06分30秒 | 海(わた)
スピード違反

米国のハイウエイで、男が猛烈なスピードを出していた。
・・・二輪のポリスマン二人が、急行した。

君は、飛行機のライセンスを持っているのかねー。
・・・余りにも、低空飛行をしたので、逮捕する。

上記は、結構知られた話です。(七海の30年前の記憶)

今年、ネットで見た記事
何月何日何時ころ、どこそこで、俺は、時速200kmで走った。
・・・気分爽快、木立も、田舎家もすっ飛んで行った。

まあ、このようなブログを米国で書いた男がいました。(表現:七海創作)

州警察から、交通違反と罰金○○ドルの請求が来ました。

おしまい。

余談
"Situation in Asia"の著者、Owen Lattimore 
フィラデルフィアのブリンモァ カレッジ:オーウエン・ラチモア教授。
中国と米国の大陸的な風土と文化を比較。
短絡に言うと、両者とも、おおらか、気宇壮大に物を言う、としておきます。
また、ブリンモアでは、津田梅子が通い、卒論「蛙の子」を書きました。(津田塾大学創始者)
司馬遼太郎は、ラチモアの本をしばしば引用し、愛読していました。