どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

旧唐書14000里

2010年11月20日 00時08分01秒 | 卑弥呼



旧唐書の14000里 地図に歪あり。

天地の相関の例示を出します。
魏志の12000里は、帯方郡境まででした。
これに、2000里を足せば、大城山へ達します。
すでにキトラ古墳の星座は、平壌の上空の星座図でした。
これを東海大学の画像解析と同志社大学の宮島一彦が解いています。
大城山は、大:狗ゆえに狗城山だから、窮奇山、九鬼山と読めます。
窮奇さんは、きゅうき、くきです。
熊野本宮大社の宮司さんは、九鬼さんです。
旧前原市の土器の文字、幡枝古墳の鏡文字とつながります。

共工は、23.4度の発見者で、窮奇ともいう。素戔鳴烏の先祖です。
さらに小倉洞海湖も「くきど」、加賀の潜戸も「くきど」だが、潜ると読める。
景行紀4年の美濃国の泳宮(くくりみや)。岐阜県可児郡久久利村。今の可児市。くくりは、八十一隣:九九隣。つづら織り、つくも神です。
みな、もと黄河の河伯(水神)、長江の水神、朝鮮と中国国境の長白山の神で、日本の白山:菊理姫、白山比味が絡んでいます。

およそ、水のあるところ全て、山の上の水源にまで、川太郎の河童がいます。
桜井市の穴師兵頭神社は、ひょうすんぼ、ひょうづべという河童でしょう。
神武紀の山代国造・天目一命は、鍛冶屋です。

稲荷山鉄剣の銘文は、辛亥年、171年、531年でした。
一大率の武淳河別の剣は、171年、桜井市の金屋で、「柴百」という人物が作りました。
たぶん、天目一命の後裔でしょう。

結果、平壌の大城山から「14000里の地点が固定され、精度が高まりました。

逆に、大洲市中心部から東2000里を取ると、愛媛県と高知県の境:地芳峠となり、これも精度を高める地点です。

どうだ、地は芳しいのだぞ、と云わんばかりです。

なお、出雲風土記の距離は、道路の距離です。

天地の相関6

2010年10月23日 07時48分52秒 | 卑弥呼

天地の相関6
北極星、主星は極星、自らは動かず、すべてはそれを枢軸として回転します。日本のみにある不動尊社の元[天御中主]でしょう。
北極星5星。第一星は太子で月を管轄、第二星は帝で日を管轄、第三星は庶子で五惑星を管轄、第四星は後宮。第5星は極星で、現在では、天御中主を指す星です。極星を囲む四星が、極星を補佐する四補で地上の四神・・・・以下、星はどの神に相当するか、日本での適用は、間違いやすいから止めます。
いま、大人の頭と小学校低学年のそれとが同居した人が居たとします。この方に、「やっかみ主」(七海の創作)がお尋ねします。

1雲は、なぜ落ちてこないのか。
2南半球の人は、なぜ地球から落ちないのか。
3極アジサシという鳥は、北極と南極を往来できるのは、なぜか。
ツバメは何処から来るか。うなぎは何処から来るのか。鮭は、生まれ故郷の川へ帰るのはなぜか。・・・鳩が1000km離れた元地へなぜ戻れるのか。
4海の向こうには、ナイヤガラの瀑布を巨大にしたものが在って、そこへ行けば、皆、滝壺に落ちる。3mの大タコ[海坊主]がいて、人間を食ってしまう。
中国神話で北極に大カニが居ると既述。・・・・極光(オーロラ)の発生源または異名です。ハマグリがアクビすると、月は満月となるという連中が言うのでしょう。

5中国の社会と民族。Aが老いた兎が虎を生んだという。Bがついぞ知らなかったと。(吉田隆英「月と橋」平凡社) ・・・なんのことか、解説は在りません。
・・・七海は5年経って今日気づく・・・子、丑、寅、卯、辰、巳・・・の順番を逆に回す奴です。大歳:木星(12年周期)は、はじめ逆回りで、年を記念していました。Aは、昔話を加工して言ったのでしょう。冗談ながらの表現ですが、なにもかも知った奴Aでした。どことなく浦島太郎の臭いがします。その理由は、一年を十倍しても同じです。兎の寿命10年が経てば、虎になると。さらに、月に兎が居るようにした帝釈天を奴Aは知っていました。中国の月には、スッポンとカエルがいるのに、これを言わないから、インドを知っている連中です。事実、中国製かどうか不詳の「兎が踊る鏡」が中国で出土しています。日本では、月と兎が有名で、スッポンとカエルが月に居る話の方は、あまり知られていない。なんたることよ。
宿題、卵が割れると、生まれる子の絵を描きなさい。ひよこの絵を描く子供は、現在ではまずいない。怪獣・恐竜を描く子供が多い。

6水玉は、なぜ丸いのか。水が、三態するのはなぜか。鳩は水面を鏡と知っているのか。
7卑弥呼を日御子と言う先学。歴史好きが出典をあげずに、追随していう。しかし、日御子とは、なんのことですか。
8 M・エリアーデがいう天空神。しかし定義は一切ありません。太陽神を信仰しているところは、文明度が高いという。・・・この点、みなさんは、如何に解されますか。
とりあえず、茅の輪を最初に潜ったアンポンタンのスサノオを贈呈しておきます。
日の暦だけでなく、月の暦、金星の暦、木星の暦、土星の暦も可能です。中国の暦は、最終的に19年に7閏月(旧暦:太陰太陽暦)でした。月と日の組み合わせで、月を知り、日も知る暦です。月がなければ、月見草ほか、咲かない花あり。そしてカニは、産卵できません。

9地神スサノオは、なぜ日の神や天照大神の宮殿・田畑で糞が出来たのか。・・・・さー、困りました。
・・・書記に答えがでています。・・・ホホデミの段、地下(地平線の下)から上がれば地(つち)のかげがある、という表現です。これを説明できますか。

地球の歩き方・・・・ところで、方向の「あっち」とは、どこですか。
先学は南方から船で倭人が来た、北方から騎馬に乗って倭人が来たという。
南方・北方とは、具体的にどこですか。また、船という乗り物と馬と言う乗り物は、大海原、大砂漠をつっきり、気象が乱れる時以外、間違いなく目的地へ到着します。
前2070年以前、高辛氏の時代に南海(東のこと)へ渡った人身狗頭の人、この人は、小笠原諸島:扶桑國に居ます。ここへ、505年、インドのカシミールから来る人あり。507年、扶桑国は、梁朝へ朝貢しています。(南史)
犬の信仰は、狼を含めて、世界的です。チベット地方のマスティス犬は、古代オリエント、アケメネスペルシャ、ローマへ導入されています。
中国の西のバクトラから、モンゴルの草原を馬(龍馬)に乗って、慶州や日本へ来た百済の連中もいます。海も砂漠を行くのも、天体の動きを知って初めて可能でした。携帯のナビゲ―タ―を持っているようなものでした。

天孫降臨とは、何ですか。偉人は、天から降るのですか。・・・・天と人の相関は、寓言の世界ですが、天と地は対応していました。
天を海に代えると、あっちでした。人の往来が天孫降臨でしょう。

最後に、龍神は、雲ひとつない快晴の日には、どこにいますか。

大局的に観て、地球の水平線、地平線が重要で、上か下か、これが最も大事な話でした。また、知恵ある怖い奴(やっこ)さん、油断も隙もない連中でした。

ナビゲーター・・・上記でナビを出しましたが、何か心当たりはありませんか。とくに伊勢の人、三島由紀夫の潮騒を読んだ人にお尋ねします。
神島のゲ―タ―祭・・・大晦日から元日を迎える祭り・・・グミの木の輪にわらを付けて、これを燃やし、その火の輪を棹竹で突き刺す。これを「日の虫下し」という。・・・・なんのこと?
まず、頭のナビを除外していう癖です。ナビゲーターでした。次の「日の虫下し」は、元日から日食は困るのでしょう。日はコンロの義ですから、鍛冶師スサノオらの後裔が考えたのでしょう。コンロは、その前が、ご飯炊きの「おくど」、産鉄のかまど:「へっつい」です。・・・大陸でのカマド信仰は、スキタイ、月氏、匈奴、鮮卑、元、満族と連綿と続いていました。

では、おくどを説明して下さい。・・・・狗奴でした。呉音でも拘奴(くど)です。前に「お」をつけるのは、呉の人です。おそらく、越も同じでしょう。さらに、久度山となる。ナビゲーターの意味は、まだあります。神奈備山の三輪山です。大山積[三島大明神]、スサノオもこの類です。糞を円錐に積むからです。脱穀後の稲の穂を積み上げるのと掛けています。そして上賀茂神社の円錐形の砂山は、地鎮祭の砂山にも応用されたのでしょう。
ついでに「おまえ」は、京都の御前通りの御前(おんまえ)からの由来です。御所さんの前の義です。むかし、東京の山手の奥さんが、「おまえ」という穢い言葉を使ってはいけませんという。・・・この奥さんは、無知識の人でした。

天地の相関は、これで一旦終えます。

天地の相関3

2010年10月20日 13時45分30秒 | 卑弥呼
天地の相関3

天鏡尊

神代七代の第2段 第2の2書に、
国常立尊―天鏡尊―天万尊-阿波なぎ尊―いざなぎ尊がある。
ここでの重要事項は、天鏡尊です。天は、鏡であると云っています。
従って、天人相関つまり天の星と地上の人は、対応します。天と地は、現在のナビゲーターと同じで、天地の相関と言ってもよいとみます。

キトラ古墳の星座図
鏡に映った姿です。皆さん、鏡面の御自身の顔を見て下さい。この世にない姿でした。なぜならば、鏡に映った姿は、実像ではなく虚像ですから、醜いという。もっというと、あなたの顔半分を右と左に分けて見て下さい。入れ替わっています。従って、この世にない顔でした。キトラ星座図は地上を鏡に映した天体で、死んだ人:天上他界者を指しています。言い換えると、鬼席が用意されていました。

鏡像の「醜い」を外して、古代は語れません。虚の状態で語ると、読者は理解しがたいが、このカラ繰りを知れば、虚から実を復元できると。歴史を語る味噌でした。

具体的には、はじめ、頭を横に傾ける人、唐へ行った熟蝦夷の夨(ソク人)の先祖がいて、(方位を90度左回転し)東が、北に変更されています。
次に、魏志にいう東南の方向と言えば、鏡に映った方向で、西北へ行けと云う意味です。また、東へは、逆の西へとなります。
これは、倭人が発言し、魏の書記官に書かせたものです。中国には、気づかれないようにやっています。陳寿は、書記官の記録をそのまま記し、倭人の先祖を文献から割り出して、知っていました。
注目すべきこと・・・明帝のじき直の口語が再現されていました。他は文語です。

地図
大八州生成章では、淡路島、本州、筑紫島、四国が生まれた。「国生み神話」が出て来ますが、先来の國神が、天体と連動した日本列島の測量を既にしていると看做します。神功皇后に地図と戸籍を渡した新羅大明神。これで解ります。

天御中主
七海は、北極星ではなく、天の北極点を天御中主という。その理由は、孔子の時代の前500年ごろ、現在の北極星ではなかったのです。(福島久雄「孔子の見た星空」大修館書店1997)

現在の天御中主は、北極星5星の小熊座のα星です。北極星を北辰という。
江戸期では、北極星は、子(ね)星といい、妙見星という。(野尻抱影)

古来、三光の日月星は、東から西へ運行しています。

天地を逆さにして言う新羅大明神:須佐之男の表現。
東に昇る日が改めて西から昇る時・・・・逆立ちした状態。
閼川(彦山川)の石が逆流して天に昇る時・・・石は星を暗示。
この様な時は貢献できないが、毎年、金銀タク衾を食御子:スサノオが献上しましょう。よくできた子孫です。まるで、スサノオが生きかえったようです。

神功皇后は、筑穂町大分宮で、筑紫の政を決め(首領を須佐之男と為し)、奈良大倭へ行きました。実際には、筑紫の首領は、須佐之男の後裔です。

また、宇佐神宮の境内末社として、大山積神は、亀山神社に祀られています。
天孫達を待ちかまえていたように、亀の上に大山積が乗っています。
大地は亀の上にのっかっている事の証明になっています。そのミニモデルで
しょう。大山積が亀山に載っています。この亀は、丹後の筒川の浦島子で安曇磯良です、天孫に亀の瑞祥を与えています。
高句麗の東明は、スッポンや魚で河を渡りました。鮮卑の檀石槐も然りです。みな、河の神:河伯女の後裔です。
831年、三殿が完成、応神天皇、比売大神、神功皇后が、祀られます。

三殿を遡る
応神を気比大神(スサノオ)、神功を櫛稲田姫に置き代えると原型が見えます。
宇佐神宮の比売大神
中央の比売大神の初代は、宗像三女神。次に俀女A、次に卑弥呼、次に壹與、次に俀女Bが連綿と続きます。
俀女は、2回出てきますが、織り女という星で普通名詞です。たぶん、投馬國(大洲市を代表地点)は、この南の松崎町にある伊予神社の伊予津彦、姫が後裔でしょう。初めの俀女Aは、天照大神が言う愛媛。壹與は、愛媛の後裔でしょう。
ここで、気がつくことは、
大巳貴とタギリヒメ(三女神の長女)が結婚しているから、
大巳貴、俀女、タギリヒメも祭られたと受け取ります。俀女は織り女です。
男系でいえば、スサノオ、大巳貴、卑弥弓呼素、応神天皇の順となり、見事に、国神から天皇へつながりました。

なお、571年、大神比義は、五穀(辰韓言語の乳のこと)を断って三年、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義が祈ると三才童児となり、「我は、広幡八幡麻呂なり、護国霊験の大菩薩」と託宣があった。注:広は光です。
大神比義は、大物主、大田田根子、大三輪氏の後裔で、大国主の代役を引き継いでいました。

親ガメの背中に子亀をのせてー、親亀、こけたら、みな、こけた。
事実は、簡単にはこけません。

天地の相関2

2010年10月19日 07時01分17秒 | 卑弥呼
天地の相関2

天地人三才
「夷は根本につくる意味である。根本とは、生命を恵み育て尊重し、万物が土地に根差してできる・・」とする。(中国史の通典)

根本
古代人は、天円地方を認識し、天体と地球の関係を科学しています。
天は円、地は方(四角形)です。

神代紀は、次の四段階に分けますが、きょうの話しは、次の1の記事から入り、4までの概要です。
1別天神と神代7代。
2三貴神誕生、天照大神、月夜見神、武速素戔鳴烏。
3武速素戔鳴烏を地上に追放、大巳貴の国造り、国譲り。
4国譲り後、天孫降臨から神武誕生まで。

別天神から再度、繰り返します。
古事記・別天神
1天御中主神・・・・あめのみなかぬし・天体の北極点、現在は小熊座のα星。
2高御産巣日神・・・たかみむすび・北斗七星で、月、時刻の神。(甘木:不死)
3神産巣日神・・・・かみむすび・常に水平線を保つ神。天地の境界線で天地を結ぶ神。
4宇摩志阿斯訶備之神・・うましあしかびは、三光「日月星」の運行を指す。
 神代7代の2~7をまとめた表現です。
(28の星座、杜星:酒、大気・雲・風などの天万神を一括表記。高天ガ原の神々は、他界して天上に居ます。帝という)
5天之常立神・・・大地と天頂を結ぶ神:天柱、梯子ともいう。龍が登る梯子です。

まず、人が大地のある地点に立つと考えます。

1頭の上は、常に垂直で、天頂までの線を引く。(天常立神、国常立神)
2天の北極は、常に地平線に対してその土地の緯度の位置にある。
3この緯度の軸を北斗七星が回転する。(高御産巣日は不死:甘木)
4日・月・星も同じように運行する。大気あり、うましあしかびあり。
5天地の境界を水平線で分け、天と地を結ぶ神。万神を結ぶ神(神産巣日)
6(中国の共工の発見)は、地軸の傾き23.4度です。
これで、天体の緯度経度が全て整い、なおかつ、地球の緯度経度と対応します。ゆえ、天地人三才というから、この人は、大人(うし)、雨師、牛で、スサノオでしょう。スサノオの先祖は、蚩尤、共工、窮奇、です。
中国での共工は、地軸の傾き23.4度を発見しました。

次の古事記と日本書紀は同じ記事で、2~7は、うましあしかびです。
神代7代(古事記)
1国之常立神・・・・・・人が動けばナビゲーターと同じ原理です。
2豊雲野神・・・・・・・八龍の神
3泥土神・巣土神・・・・・泥・土・砂洲。
4角蝕神・生野神[活杙神]・・山・川の境。
5大殿児神・大殿部神・・芦芽の雄雌。大山積の1柱。
6御面足神・敬畏神・・・日・月の表情を別表現したもの。
7伊邪那岐・伊邪那美・・竜座の2星
以上、3,4,6は、七海の当てズッポ解釈です。

神代7代(日本書紀)
1国常立尊・・・既存の地上人。天孫降臨以前の人々。
2国狭槌尊・・・山・川の境。境界神。大山積の子神1柱に同じ記載あり。
3豊斟野尊・・・八龍の森:八つの名を持つ神。
4泥土煮尊・沙土煮尊・・・泥・土・砂からの資源。鉄・辰砂など。
5大戸之道尊・大苫辺尊・・芦や茅の芽の様な雄雌。大山積の1柱。
6面足尊・惶根尊・・・・・日・月の表情。保食神、月夜見尊とは違います。
7伊弉諾尊・伊弉冉尊・・・淡路島一宮・新宮市那智大社。
(注記)八龍:豊国主尊、豊組野尊、豊香節野尊、浮経野豊買尊、豊国野尊、豊かぶ野尊、葉木国野尊、見野尊。
以上、4、6は、七海の当てズッポです。

別天神の次、神代七代の7代目に、「いざなぎ・いざなみ」が出来ます。これも、中国の星座で、竜座の二星座です。七海のブログ7月5日「二匹のヘビ」を参照のこと。

そして、いざなぎの左目から天照大神、右目から月夜見神、鼻から武速素戔鳴烏が生まれました。鼻には善悪両方の神が出てくるのでしょう。
天照大神の皇太子は、天忍穂耳命です。中国の星坐では[太子]で、筑紫の英彦山に祭られています。たぶん、はじめは、しし座の星、のちに、天上に帰って、北極星のガンマ星になったのでしょう。

一方、素戔鳴烏は、大蛇退治。大巳貴は、国造りしました。その後、高御産巣日神との誓約で、天孫に国譲りしましたので、天孫降臨となります。

天孫降臨の途次に、二二ギが生まれます。日・月・星の精を受けた神とします。二二ギが櫛降の峰に天降る。次に火オリが生まれ、580年間、日向に留まったと明記されています。たぶん神武即位年頃まで見守るため、お祭りしていた子孫が居ると看做します。

日向三代
二二ギは、大山積(山神)の娘と結婚し、山幸(火折)ガ生まれ、山幸は、の豊玉姫(海神)と結婚して鵜茅不葺合(うがやふきあえず)を生む。
鵜茅は玉依り姫と婚姻し、神武天皇が生まれます。海神は、わたつみ神で、海の神です。山と海の国・日本でした。



太安麻呂の率日

2010年09月18日 00時10分38秒 | 卑弥呼

出典 石原博道「魏志倭人伝他3篇」岩波文庫1993の原文:百衲本

太安麻呂の率日

左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳(奈良市此瀬町の墓の銅板に記載)
723年の墓誌の死亡日、埋葬日
(率年) 養老7年 7月6日・・・・・続日本紀の7月7日
(埋葬) 養老7年 12月15日・・・続日本紀の12月16日

問題 1979年(昭和54年)、墓の発見以来、30年を越えて、学者は、未だに壱日ちがいを解決できない。・・・なぜですか?

答えは、隋書俀國伝に因って、いとも簡単に解決できます。

俀:タイ・・・俀国の俀王:推古天皇(明日香の豊浦宮)・・・倭と同じだが表記代えしている。俀は、卑弥呼(171年)以前の國名を指します。57年以前も俀國です。ゆえ、古を推す天皇でした。(ただし、57年の倭奴国、238年は遣使の國名です)

百姓(国民)は、日がのぼると仕事をする。しかし、俀王(推古天皇)は、一足早く、日未だ開けない時刻から、政を聞く。(この記述は、曲者で、朝方のみと勘違いしてはならない)・・・以上、隋書からの七海の解釈。

一日とは、「よるひる」、または「ひるよる」・・・12時間の区切り方を指します。
天皇の執務は、夕方、日が没してから一日が始まるのです。
いま、天皇の一日を便宜上、6時間毎に区切り、現代の日時とします。

(夜)7月6日の夕18時から24時 天皇の執務開始。
7月7日の0時から午前6時 (天皇執務は7月6日)、6時に政を臣に伝える。
(昼)7月7日午前6時から正午12時(天皇のお休み6日)、民の日取りは7日。
7日7日正午12時から夕18時(天皇のお休み6日)、民の日取りは7日。

安麻呂は、遺言によって、日本天皇の祭り(政)にあわせた日取りとした。当然、隋書を知らなくても、熟知しています。
言い換えると、日本書紀、綏靖紀、神八井耳命は、神祇をすると明記。
天と地を祀ること(神祇)、これを本義としての暦に合わせた日付を記録させたと考えます。なお、安麻呂は、神八井耳命の後裔です。

従って、続日本紀の暦とも合致します。
すなわち安麻呂は、7月6日夜の0時から6時に死亡した。これ百姓の7日です。

(日取り解釈)天皇の一日とは「よるひる」、百姓の一日とは「ひるよる」です。日とは、区切りの方法と理解すれば、納得がゆく事です。夕方から一日が始まる用例は、方言にもその言葉が残っています。

なお、武蔵と小次郎の決闘時刻は、不定時で時刻に幅があります。前44年から1582年のユリウス暦、日本は明治6年のグレゴリオ暦採用。これらの暦と合わせること、可能です。
安麻呂を多(さわ)に信じてよろしい。中国を決してないがしろにしない日本。この時だけは、隋は古代の祭りを御存じないと、暴露したのでした。・・・言外に、もうすぐ国を取られますよ、とも。

石原道弘の岩波文庫本は、原本の俀を倭にして在りますが、あとあと、祟りますよ。七海は、大口をたたきますが、まだまだ序の口の話だと思っています。他の件で、七海の考えを、しこたま攻める骨ある相手が現れる事を期待しています。