どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

金石文6 幡枝古墳

2010年05月31日 01時43分49秒 | 狗奴國

金石文6 幡枝古墳

幡枝古墳の鏡の刻字

この刻字は、盤龍鏡に似ています。なぜ、日向の高鍋市出土のものが、尾道
市耕三寺にあるのか。
また、幡枝の意味、京都市左京区の出土も不思議です。

文献
1実物は、榧本杜人「朝鮮の考古学」同朋舎1980に写真がある。榧本が、初めに間違ったのであろう。榧本は、夫火竟としている。
2次に「日本の古代遺跡 27京都Ⅰ」保育者 1986は、実物を示さず。夫火鏡と記載している。
3これを、平川南は、正確にトレースせず、姿を変えた字にしている。なお、平川は、榧本文献を引用していない。平川南「古代日本文字のある風景」
4明治大学所蔵のものは、不詳。

まず、解りにくい漢字や固有名詞を先にあげておきます。
丅:下、丄:上。
二上は、福岡県糸島市の二丈町の山。滋賀県、奈良県の二上山。
八龍は、前原の人物名の八つの名、豊雲之尊・・。

以下、1の実物を拡大してみる。漢文をつづります。

A解釈は、漢字を長めに描いたとみて
夫、燭龍、一、イノ。・・・6字、ただし、月の下は小断片の字。

B解釈は、漢字を細かく断片として忍ばせたとみて
B-1 二丄人、火卜人、ノ立目、イノ。・・・10字。
B-2 二丄丅人、小卜人、ノ、立月、イノ・・13字
B-3 土丅人、(上に同じ)

Aの解釈。
それ、燭龍の一は、倭丿なり。
倭丿は、カエイ。ワエイ(倭の裔、)夏の裔。
そして、倭至と書けば、鍛冶、ワシ。

燭龍のはじめは、倭裔なり。・・・建磐龍命(たけいわたつミコト)
阿蘇開拓の祖は、山城国から来た建盤龍命です。

注記(丿)は
1へッ、へチ、2ヨウ
右から左へ曲がる。首をあげて体を申びる。
3エイ。至る。

Bの解釈は、悩み多く漢字が特定しにくいのです。

B解釈の第一段階 読み三通り。
B-1 二上人は、火卜人、立て目の倭至
B-2 二上の下人は、小卜人、立て月、一の倭至
B-3 土下人は、小卜人、立て月、一の倭至
漢字音の注記 
()は、上下に通じる意味をもつ。
1コン、2シ、3ジョ、ニョの音。すすむ、しりぞく。
進む(下から上に引く場合)。退く(上から下に引く場合)。
(卜)は、ホク。慣例ではボクの音。
(小)は、於人、阿人とも解す。
襲於、曽於の於。初小であり、素、蘇。蘇人の宗、蘇るのであろう。
大きな、大きなかまど「竈」。おくど、阿蘇山でもある。

解釈の第二段階・・Bの漢字の解説
B-1二丈人は、鹿(志賀)卜人、立て目は、(四川省成都市の三星堆)出目王。
つまり、カタツムリ(蝸牛)
B-2二丈人は、始祖卜人
立て月は、武器の戈で、三日月の立った姿です。寝た姿の場合は、サカズキでしょう。
B-3土の下の人・・・死んだ人、過去の人。神代紀の過子[わこ]とも解せるが、デカ人、でかい人。・・・長大の人。朝鮮の白頭山の長白羽神が隠れているのではないか。
また、トカびととすれば、トカラの羅のない人、羅も掛けてやれない死んだ人。など、考えはするものの、これでは、不明確です。

そこで、はたと思案。
8年前に読んで、忘れかけていた朝鮮史の

脳室青裔、脳室朱日・・・是だ。

まだ、この人物、あるいは集団について、誰も解いていません。
のうしつおえい、しゅひ、と読む。何者とおもわれますか。
日本書紀の神代紀、景行紀、肥前風土記にも出てきます。

土蜘蛛、土知朱(つちぐも)といい、東北にもいます。おそらく日本全土にいたのでしょう。よく働いた。国栖もおそらく山東省から来たのでしょう。

七海は、はじめて、脳室青裔、朱日を読んだ時、日本書紀を読んでいたので、すぐに気が付きました。土蜘蛛は、木の下で寝る。これです。
脳室という漢字・・・土蜘蛛の胸の部分が、脳の図に似ていた。
子供の時に遊んだ結果、すぐに解りました。しかし、解っていても、脈絡なしには、書けませんでした。なお、クモは、昆虫ではありません。
縄文をかじる学者は、埒が明かないから、これを不埒という。名指ししてもよいが、止めておきます。玄学者です。

解釈の第三段階
幡枝地名は、八竜の幡、枝は、支流の支。三百年代に登場する応神天皇以前の後裔でしょう。
すなわち、怡土國の「八竜の森」にいます。
神代紀の豊國主尊ほか八つの名称を持つ人物です。
神功皇后のいう「八流の幡」(宇佐八幡託宣集)です。 

元祖は、韓國の三国史記にさかんに出てくる蚩尤旗(しゆうき)と推定します。
もとは、黄帝と二度争った中国古代の蚩尤です。
伊都國の官名、爾支は、虹。爾丈で二丈の虹。
支は(ジョウ)の音。支:濁音。
近くに、神有の地名あり。雲に居る仮想の龍が住む。龍族であり馬族でもあるのでしょう。

なお、イノは、イは倭。ノは至。倭至(かし、わし)である。
また、至(シ)は豕(シ)で、倭豕。猪信仰の人でもある。

そして、「でんぐりかえり」で、至人であろう。・・・・至倭・至和。しわは、皇の字。具体的には隕石と犬のパグのしわくちゃ顔であろう。また至和(しか)は、鹿でもある。
まだ隠れたものがあるが、際限がない、この辺でやめます。

「おそれいりました。」
もとに話をもどす。鏡に字を刻むのに、竟字は不要である。竟(おわり)なき始終。いそし(伊蘇志)。
蟻の熊野詣でのように、勤しむ。蟻は、人類でもっとも神聖な生き物です。
最(いと)、可笑しい。いいや、ゆかしい。
ご最も、ご尤(もっと)も。
                              蚩尤 袁珂「中国の神話伝説」

ねぶた考(2)

2010年05月30日 00時03分50秒 | 狗奴國
ねぶた考(2)

1五所川原市のみ「立佞武多」

立つは、位につく。
武多は、武塔大神に同じ。
(武塔の塔は、桜井市多武峯の多武は、トウの峯と同じ)
佞は、才ある。邪。へつらう。

1)才ある武塔を立てる
2)邪武塔を立てる、へつらった武塔を立てる。
みな、多:大:狗が、堂々と入っている。

復活であろう・・・甦る、蘇える。祭りは、古代の政(まつり)
やはり、須佐之男と考える。
以上、本州島最北端。A

2佞を阿に代える

立つ阿武多となる。

阿武大(多)を立てる。阿武は、萩市須佐町の須佐之男。
魏志にいう黒歯国・裸国です。
以上、本州島の最南端。B

整理
以上、A・Bの本州島全部(大八島)が、素戔鳴烏支配の時代あり。次に、素戔鳴烏は、養子大巳貴に、よい国つくりしてこいよ。こ奴という。そして、高木神のすすめで、天皇の祖先に国譲りする。

大八島は、瑞穂の国です。
瑞、福、徳、宝、樂、のつくところは、みな素戔鳴烏でしょう。さらに、食、清すがしい、須、角、久万、熊、球磨、隈の字もそうです。
もと、武速素戔鳴烏で、竹、笹は、クマザサで須佐之男です。筑後の高良玉垂神社の金明竹も同じ。

ささら・・・ねぶたで、竹製の火を消す道具あり。
ささら・・・きりこは、能登、能登には、任那彦神社あり、
こきりこは、ヘビに似た楽器。富山・岐阜の県堺の五箇山
五所川原という地名。
ささ・・・・島根県出雲の楽々福の楽々。もまた笹、篠。

古代のサ音は、タ音とすれば、蹈鞴(たたら)、多々良もありうる。(参考:多に、と書いて、さわにと読む。沢山の沢と同じです)

五は、梵語でパン、西域でペンの音、ペンタゴン(五芒星形)のペンタです。素戔鳴烏は、九ですから、やはり、五の天照大神を担いでいると、かんがえます。

佞(ねい)の本性は、是でしょう。

やはり、須佐之男:武塔大神。そして天照大神が隠れているとみなします。

卑弥呼は、その次の段階の話でした。

倭奴(57年金印国)、狗奴・・(拘奴)・・狗奴と続いてきた。
途中、(拘奴)が70年暴れて、国乱れがあっても、継続して、狗奴つまり大の奴さんが、仕切って来たと看做します。

ねぶた考

2010年05月27日 01時14分13秒 | 卑弥呼
ねぶた考


ブタの弁当箱[朝日新聞記事による] カタログでは、下記表記。
酒具噐、漆塗り 荊州市 前4c「中国国宝展」朝日新聞社2004

青森、弘前、五所川原のまつり
五所川原市のみ、佞武多と漢字表記される。

佞(ネイ)は、おもねると読みます。こびへつらう事です。

豚におもねる。ブタではおかしいので、豕におもねる
豕は、いのこ、ぶた。
やはり、狗奴は、亥の娘(こ)におもねるのでしょう。

むろん、九州の狗奴が、いのこに阿るもおかしいので、当時は、卑弥呼すなわち、少名日子建猪心命におもねた と考えます。
事実、たびたびの蝦夷征伐に、武雄の神・丸四天をかつぎ、護國・守護を祈ったと考えます。栃木県土浦市に、丸四天堂があります。小山市には、摩利支天塚天古墳もあり、栃木県最大の前方後円墳で100mです。
丸四天あるいは摩利支天は、卑弥呼を担いだ女性と考えられます。
宇佐は、神輿発祥の地、卑弥呼は死後も崇拝され、担がれたと看做します。

須佐之男は、またの名を武塔大神といいます。

佞は、阿と同じ意味です。阿武の多と読み変えます。
阿武が隠れています。阿武は、山口県の郡名で、阿武国造がいます。萩市須佐町は、韓国から帰国の途次の由来を持つ須佐之男をまつる神社あり。

阿武の多・・・アブの多氏、多は、ヤマト氏でしょう。倭、日本、和など。

山代大国の淵・・この大国をヤマトと読みます。国譲り以前の大国主もヤマトでした。

八幡愚童訓は、語る。(愛媛県の八幡浜市の八幡宮所蔵)
 愚童の童は、愚の意味です。
1 景行の子、小碓命、またの名は日本童男で、童がつく。
2 一方、倭の臣である熊襲兄弟は、西方に、兄弟を除いて、建て強き者なしという。
これら、二者とも、武力にだけ長けても、愚者だと、語っているのでしょう。
のち、日本武は、蝦夷を征討にゆけば、ヤマトヒメの大鏡だけで、蝦夷を平らげ和(やわ)したのでした。成長したのでした。

佞は、もまた、才人の意味ですから、やはり、熊襲兄弟は、死んでもただでは転ばず。小碓命に、武の名を残しました。
偉人いや碩人でしょう。碩人は、石人です。(詩経)
大分の語源でした。

日本書記は、日本と書いて、邪馬謄と定義しています。また、はじめから、日本です。日は、コンロでもあります。おくどさんは、生活の根本でしょう。
今日、火を尊重し、寺院でも祀られています。地・水・火・風・空の火です。

余談
始皇帝時代、徐福は、始皇帝を不老という餌で釣り上げ、童男華女を船2000隻に載せて、佐賀県佐賀市金立山へ来ました。
世界一の大泥棒は、童男を乗せてくる。

料理の包丁は、肉屋の姓名。姓は包、名は丁ですが、後世、大泥棒が居たのでしょう。にんにん、肉屋の大泥棒、はてな!

十腰内の鬼

2010年05月26日 00時50分07秒 | いのしし
十腰内の鬼

前回ブログで、隠れた部分を書きます。

あらすじ
刀を作るところを見てはならない。若者は、一晩で、刀を十腰作った。この後、寝てしまった。この隙に、庄屋の娘が一腰を隠した。庄屋は、十腰内(とこしない)といった。腰は刀。九しかない。

解釈
九という字義・・・・・もともとは、小の意味
九腰で、一つ足らず。・・・宇佐の九十九の階段と同じ
八雲・・・・・・・天上に七つの雲を描いて、八雲という。

鬼伝説というよりも、見てはいけないというから、鬼軍団がいると明記したのも同然です。

ここで、十腰ない、の結論になる。

しかし、無いとせず、内とする。なぜでしょうか。

内・・卑弥呼の母、鬱色許売の鬱と同じ。また、山代内臣・味師内宿禰は、孝元天皇の皇子:比古布都押之信命を父とする。
卑弥呼の母を祖神とするのでしょう。

鬱を考える。

1 日食の場合、月が陽を食いちぎる。センターで、金環日食でひまわりのようになる。鬱は、地球と日の内に月がくると、日は血豆のように、黒ずむ。
血豆は、金槌で、指を打てばできます。

2 月食の場合、地球が月を食う。金環月食は、月が金色になる。
鬱は、月と日の内に地球がくると、金丸になる。もまた、ウコンは、金色に近い色です。

内は、この両方をさす。

3 金丸は、月の別称です。
全国の金丸地名は、鍛冶屋ですから、山城国造の目一神と同じです。
つまり遠の蝦夷は、その先祖です。
鬼軍団は、宇佐にも居た九十九(つくも、つづら)です。

4 鬼は、隠れた存在だから、隠爾とかく。見てはいけないというタブーを持つ集団です。
洪水で村ごと流されたシルクロード説話は、後ろを見るのをタブー視する。
三輪山に昇る大物主神を倭トドモモソ姫は、禁を犯したので、驚いた。モモソ姫も、カマドでした。楽々福さん(7代孝霊天皇)の妃・倭国香姫の娘です。
神武の妃もホト多々良伊須須岐姫。みな、オボ信仰(かまど神)でしょう。

神武以前から、産鉄の連中が居ます。

5 遠の蝦夷
とおの蝦夷は、十の蝦夷。十は、戎ですから、中国の西から来ました。
証拠は、梁書の大漢國:白神山地の西端をさす。大は狗ですから、狗奴國と同じで、漢人の國でした。

6 月信仰
筑紫は、月そのものです。木を食い尽きし[過去形]から、スタート。
猿田彦は、猿沢池に写る月を、戯れ言で、白い餅とばらす。
餅の的を弓で射る民族行事あり。
行いよければ、瑞祥でした。

十腰内(とこしない)
金丸、金屋・・鍛冶の作業所でした。金は、蒙古語の[アルタイ]です。
漢字は、阿爾泰と書く。この連中でしょう。
すでに、山代内臣として、天皇の守りをしていました。

なお、日向の高千穂神社の紋は、ウコンです。前1000年ころ、倭人は、中国の周王朝へ鬯草(うこん)を献じました。

余談
政治家の金丸信。まるで、権化。
ネットの広告も、金のたまご。否、人のこころ、かなしばり。
それとも、鬼に金棒。

泣く子も黙る地震・雷・鍛冶親父
金柑(きんかん)三つで泣きやんだ。ナマハゲ。


十腰内の記号

2010年05月24日 06時27分17秒 | いのしし
十腰内の記号

弘前市十腰内の猪 土偶 弘前市博物館
上記の図は、見にくいので、次のブログを参照して下さい。

土偶(どぐう)や絵に見られる森の動物たち
http://www.komakino.jp/morinodoubutu/morinodoubutu.htm

記号が判明しました。臨時に書きました。
この猪に、丸い円が彫られています。
これに気付いていましたが、月か太陽が描かれています。
その上の船のような図が理解できなかったのです。
三日月か船のようで、理解しかねていて、ブログにかけませんでした。

意味がやっと解釈できました。

船と確信しました。
なぜならば、船は、水平線を帆走します。つまり、地平線を意味していました。なかなか、すぐに気が付くもではありません。

これで、ヤバは、野馬で、陽の「かげろう」でした。
つまり陽がまだ地平線の下にありますよ。
このことを、指していました。

卑弥呼以前の猪信仰・・・ヤバ臺(タイ)は、狗奴國でした。(後漢書)
卑弥呼の就任時点・・・・ヤバ壹(イッ)は、倭國でした。(魏志倭人伝)
イッは、日本語で、壱岐の「い」。一貴山の「い」です。
初代の意味、あるいは、シャレで、イの一番です。調味料ではありませんが、
CMに使えそうです。

ところが、もうひとつ、顔の横に円を書いています。
これは、幻日です。
陽が実際とは異なる位置に出来る現象、これを幻日といいます。
是でしょう。

卑弥呼は、衆をよく惑わす。
おちょ(猪)くっています。・・・まあ、なんたることよ。

注記1:臺(タイ)は、うてなで、載せるものです。花のうてなに、蜂が止まる。その留まるところでもありますが、この時代、巨大な地平線にかげろうが乗っかる意味でした。狗奴が、先行していました。
宋・元の時代に、はじめて、臺は、台と同じになりました。したがって、初めは異なる字で、後漢時代や卑弥呼の時代に、台とすれば、厳密には間違いでした。以上は(宋元俗字譜)に出ています。

これで、後漢時代の邪馬臺國、卑弥呼の時代の邪馬壹國は、納得できました。
また、証明にもなっています。

梵語で、マリーチ。漢字で、摩利支天。日本語で、丸四天。いずれも、陽のかげろうです。陽が地平線の下にあるとき、先にかげろうがたちます。
陽の切っ先は、
ギザギザの模様で表します。装飾古墳に描かれたギザギザ模様でした。
神道が、先行していました。

みな、卑弥呼の証拠だて、でした。

注記2、梁書で魏志に言う邪馬臺(コ)は、ヤバ壷(コ)で、都慕大王の末裔の伯済の活躍とも関係しています。上記のコは、かげろうの子です。
注記3、狗奴國は、漢音でクド。金屋地名です。
拘奴國は、呉音でクド。八十神です。これもカマド信仰族で、別所地名です。
竃は、さんをつけて、現代でも「おくどさん」と言います。