どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

稗田阿礼

2011年09月18日 04時42分15秒 | 神社




上図:エリザべ―ト・ムンデル「星空への旅」人智学出版社1989
監修新田義之、訳者市村温司 この図は、人間が地球の北極点に立った時に、天の狩人「ゼウス」の見え方を指しています。
下図:橋本敬造「中国占星術の世界」東方書店1993

稗田阿礼

A売太神社(めたじんじゃ)
大和郡山市稗田にある神社で、主祭神を稗田阿礼とし、天の鈿女(ウズメ)、猿女の君を祭る。延喜式神名帳に大和国添上郡、賣太神社と記載、小社とする。(古事記編纂に関わった稗田阿礼とする)

角川説は、経緯と推定を次のように記す。

角川源義
特選神名牒では、売太神社の祭神は、稗田阿礼ではない。
稗田阿礼は、宇治土公の庶流で、天の鈿女の命の末裔であるとして、猿女の君氏から出ていたとする民族学者柳田国男氏の説は、学界の通説となっている。
しかし、その説の根拠となった「大倭社注進状」は、最近全くの偽書とされた。神道学者西田長男氏によると、作者大倭直盛繁は、架空の人物で、万里小路家の家侍今出川文斎が、元禄年間に偽作したものであるという。中略
(角川の推定)
売太神社の祭神は、比売陀君の祖菟上王であろうか。
菟上王は、曙立王の弟で、物言わぬ本牟都別命をともない、この兄弟は出雲に旅した。
稗田阿礼は、比売陀君の出と思われる。「ひめだ」のM音の脱落によって、「ひえだ」の地名を生じたと考えるのである。
(出典:小林行雄、池田弥三郎、角川源義編日本文学の歴史第1巻「神と神を祭る者」角川書店、昭和42年)

B比売多神社(ひめだじんじゃ)
所在地:滋賀県長浜市高月町東柳野。
延喜式神名帳:近江国伊香郡鎮座、旧地:比売多神社旧地(合祀)久留弥多神社。
祭神:菟上壬命、(合祀)豊玉姫、久留弥多神。
由緒:不詳。もとは姫塚古墳の地に鎮座。
関係氏族:比売陀君。

角川の推定は、Aの売太を「ひめだ」とフリカナして、Bの比売多神社を挙げずに、
売太神社の祭神は、比売陀君の祖の菟上王であろうか、という。
これは、ABを混同しているのか、説明が不明確です。
また、読者にとって、解釈しがたい表現と想います。

ABは、ともに、延喜式神名帳に祭神が挙げられているから、七海は動かないと考えます。
もし仮に、「大倭注進状」が偽作であったとしても、売太神社の祭神の稗田阿礼は、動かないとみます。

神代紀での経緯
天孫降臨の途上、猿田彦が道案内するために現れた。天照大神は、天ウズメに
「おまえは眼光が鋭いので、行ってみて来なさい」という。
天ウズメは、「もすそ」をはだけて猿田彦を誘惑する。その後、両者は結婚し、その始祖を猿女君という。

また、天照大神が天の岩戸に隠れた時、天ウズメがストリップをやって、天万の神の注目を浴び、天上が騒がしくなる。天照大神は、何事かと岩戸を少し開けてのぞき見る。(凹面鏡を出して)手力男が天照大神を引き出した。隠れた金星:天照大神が現われたのです。
天ウズメは。天照大神の見えない時に、代役に近い働きをしていると想っています。その理由(わけ)は、売太の太が、太白(金星)であるからです。
九州の稗田地名は、豊前市(訂正行橋市)にもあります。昴星は、統べる意味で、やはり天照大神の代役をするときがあると考えます。

裸虫:人間
二次元の世界は、紙の上の話しであって、立体ではない。平面に人を描いても、平面裸虫となる。(例示は、ディズ二―動画のペシャンコになった動物が、起き上がって、再度走り出すシーンを思い浮かべて下さい)
立体は三次元となります。三次元は、「六合」と書き「くに」と読ませています。六合とは、東西南北軸と上下(天地)軸をさすので、三次元空間です。六つの軸の合わさった中心点だから、六合という。すなわち地球の中心点です。
七海は、何を主張したいかといえば、
学者の思考では、すべてが、平面裸虫になりかねないのです。

猿田彦とは、「赤ほおずき」の様な目であるというから、火星を擬人化したものです。蛍惑星ともいう。
天ウズメは、恒星の昴星で、関東では六連星(むつら星)という。これも擬人化しています。昴星は、黄道28宿のひとつで、西方を司る神。大梁の中心星です。(橋本敬造の図を参照して下さい)

以上、天地人の考え方は、日本にもありました。

大巳貴(大穴牟遲)の雄大な状(さま)は、天体に表されています。
これから、冬の終わりまで、オリオン座として見られます。
宗像三女神もその真ん中の参星です。理由は、大巳貴と三女神の長女タギリ姫が結婚しているからです。参星の周りに大巳貴、顕国魂、八千矛、葦原醜男の四つの星があります。(E・ムンデルの図を参照のこと)
天の狩人「ゼウス」は、大巳貴命と同じでした。

宇佐神宮は、宇佐市小倉山の比売大神を、宗像三女神とする。
その証拠は、宗像三女神が初め宇佐嶋降臨したが、(のちになって)今は、海北道中の守り神とする。
海北道中は、辺津宮(玄海町)、中津宮(大島)、沖津宮(沖の島)の三地点をさし、一直線に参星が並んでいるからです。

天皇大帝も、紫微宮も星座にあります。

このように、天と地は対応しますから、天鏡と言うのでしょう。この鏡は、お手本・模範とか、鑑(かがみ)に通じます。

なお、稗田阿礼は、女性ですから、陰陽の陰。日本書紀は陽の観点のもので、併せて読むようにできています。むろん、正史は日本書記ですが、これを古事記は補っているとみます。
なぜならば、古事記をカットすれば、スサノオの系譜が吹っ飛ぶからです。

また、古事記と日本書紀の食い違い記事は、読者に注意喚起して、再考するようになっています。中国史の矛盾も、読者が解きなさいと言っています。

野宮神社ののみやさん

2010年06月09日 09時18分17秒 | 神社

写真 鈴木おさむ 
鈴木おさむ 吉川功「竹垣のデザイン」kkグラフィック社1990

野宮神社(ののみや)

京都市右京区嵯峨
当地は、伊勢の明和町、斎宮に仕える未婚の皇女が、修業したところと考えられます。

いまは、此の写真の景色は、見られませんから、写真は、貴重なものです。
毎年、5月の第三日曜、愛宕山(火の神)の祭りと一緒に、祭りがあります。
天皇は、毎年、この日に京都に来られます。

この籔には、むかし、ウズラが沢山住んでいて、走りの早いの何の、一瞬です。