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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

エノコロ草

2011年08月21日 05時03分56秒 | はな
エノコロ草

エノコログサ(狗尾草)またの名を「ネコじやらし」という。みな、俗に言う名称で、イネ科の植物です。
この季節になると、蝉も少なくなって、道端の僅かな土に咲き誇っています。
やがて種が落ちると雀のえさになる。

北国へゆくと、夏は短い。
その僅かひと月に、植物は一斉に花を咲かせ、チョウや虫たちは、子孫をつくる。
太古、生物は海から生まれたが、人類は、動植物と同じく大地から生まれ、大地へ帰って行った。

エノコロ草は、犬ころ草の音転した日本語です。
民族学者の桜井富太郎は、日本昔話の研究で、イヌは2万年前から人と共に暮らしてきたという。

犬と人間
南極大陸の太郎次郎、忠犬ハチ公・・・
亡き主人の墓前へ、毎日往還するイヌも、いました。

毎日散歩する主人とイヌ
散歩の途上、イヌが吠えると、年配の主人はゲンコツでイヌの頭をたたく。
すると、イヌは、首を主人と反対側に曲げて、頭を低く隠し鳴き止む。
主人のゲンコッは、毎事、届かない。
道ながらに、またイヌがほえる。ゲンコツが来るが、イヌに届かない。
これを延々と繰り返し、散歩が終わる。
明くる日も、その次の日も繰り返される。
10年は、この調子であった。

吠えるのがイヌの習性といえばそれまで。
韓国にはアヒルを飼う家もありました。
人が来たら、ガア、ガアという。仕事をしていてもすぐ判る。

茶色の雑犬と白黒ネコ
イヌが子犬の時、大きな猫は、イヌをイヌとも思わないのか、肝っ玉の大きな堂々たる猫でした。
歩く姿もノシノシとしていて、近所の犬が吠えても、動じず、まるでトラの威厳でした。
いつも、イヌと猫は、犬小屋でジャレあっています。
そのうちに、イヌの方が猫の二倍以上に大きくなっても、猫は犬小屋に入ってゆき遊んでいました。
よくみると、イヌは猫の首を咬み押さえる。猫はイヌの首を爪で掻く。
このパターンを、長々と繰り返すのでした。

イヌは嗅覚の鋭い持ち主。
・鬼の好物は桃ですが、イヌをいやがるそうです。
・「蜀犬、太陽に吠ゆ」・・・(曇りの多い蜀の国で、たまに雲間から太陽が見えると怪しんでイヌが吠える)
・今は故母親の生前、母帰宅の足音を、姿が見えない遠くから、嗅ぎわけて、イヌは一目散に駆けて行った。

夏のピークも過ぎ、やかましいクマ蝉の声もうすれました。

蝉室を ほじくる狗に せみしぐれ

惜しむ夏。

新年の言葉

2011年01月01日 07時21分03秒 | はな
明けましておめでとうございます。

歳月は矢の如、いつのまにか、正月になりました。
仏教の除夜の鐘、神道の大祓いと松竹梅。トラ年から卯年へ。
月光太子、月光菩薩、何でしょうか。
帝釈天が、月にうさぎを残した。
伽耶の地名の源は、インドのガヤにあり、ヒンズー教の聖地、
仏教のブッダガヤの由来です。
本年もよろしくお願いします。以下は今年の年賀です。
         
          2010卯

老いた兎が虎を生んだ。冗談でしょう!

従前は干支の円が左周りしていた。従後
の右回りを見て言ったのです。老いたとは、
年を10倍して円の一回りを120 にした。
浦島太郎の3年は30年。八百比丘尼の、
八百才生きたのは、1200にした。
こんな話を作る奴がいた。
なぞかけをして、戯れています。昨年の
発見でした。

本年も頭をゆすること、後ろ足の発達した
兎の如、跳ねます。果たしてどこまでゆけ
るやら。実際は亀の如。


高橋勲・十二世紀のアニメーション

〒572-0082 ペンネーム七海半太郎
寝屋川市香里本通町9-28 荒瀬義雄
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金環月食

2010年12月19日 00時11分05秒 | はな
金環月食

12月21日[火曜日]に金環月食がみられます。

金環日食の場合は、地球、月、太陽が一直線の場合で、太陽が真っ黒で、外回りは陽炎(かげろう)です。
金環月食はこれと異なって見えます。月・地球・太陽が一直線に並ぶ時です。

月の色は、白ではなく、人間でいえば、うっ血状態とみればよいのでしょう。その時の気象状態では、赤味に見え、時には金色に見えるのでしょう。
私はまだ見た事がないので、見た人は何とも言えない美だそうです。晴れたらよいと思い、楽しみにしています。

きょうの話は、天地の相関でもあります。

卑弥呼の母は、金環月食の日に生まれたので、鬱が付くと思っています。

古事記は、卑弥呼の母を内色謎売命(うつしこめ)と記す。彼女は、8代孝元天皇の后で、大毘古命、少名日子建猪心命、9代開化天皇の母親です。
皇后は、穂積臣らの祖・内色謎男の妹で、尾張・物部氏の枝系統です。
日本書記は、鬱色謎売命と表記し、内は鬱と同じです。
月が鬱血した状態とみます。少名日子建猪心命の母は、この日に生まれたのでしょう。

内色謎売命の誕生推定年
北海道大学の金環月食データベース(グレゴリオ暦)
皆既食のデータは、次の五点です。
115年4月28日
119年2月13日、8月8日の二回。
122年12月1日・・・推定候補
126年3月26日

書記は、孝元天皇7年(前202年2月2日)皇后となる。皇后となる推定年をグレゴリオ暦139年頃とみる。
結果は、122年を当てると、皇后の年齢は17歳です。

書紀は、皇后が2男1女を生むと明記する。
書記には、少名日子建猪心命の代わりに、おばが、入っていますが、皇后の子供ではないと明記しています。古事記は、大毘古命、少名日子建猪心命、開化天皇です。

卑弥呼の誕生推定年
卑弥呼:少名日子建猪心命。日の干支で、亥日に生まれました。
140年大毘古の生まれ、142年か143年少名日子建猪心命の生まれと見ています。
卑弥呼の死期は、魏志倭人伝の247年ですが、238年時点で長寿と記す。
238年時点は、約94歳、247年が約105歳です。
当たらずとも遠からずの年齢が出て来ました。

毎年、旧暦の10月、炬燵を出してきて亥の子餅を食べ、無病息災を祈る。これは、卑弥呼の名残で、今でも民俗行事で、全国各地で残っています。

鬱金(うこん)は、虫除け、薬、染物、料理、カレーに使われます。

宮崎県の高千穂神社の紋章は、ウコンです。

「周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢いた。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くにあたわず」(論衡)
前1000年頃、倭人が鬯草(ちょうそう):ウコンを周王朝に献じた。倭人とするところが、心にくいところです。勿論、当時、天皇の先祖はどこにいたのか分りませんが、越裳が出てくること自体、天皇の外籍:饒速日尊:火明命で、先述した穂積臣の先祖です。穂積臣は、末羅國造(松浦:唐津市)が、後裔です。末盧國ではありません。

ウコンは、カンボジア辺りの原産ですが、日本でも育ちます。盧氏は、殷を討つに当たり、後方を支援していました。前195年、燕王盧わんは、238年、末盧國:盧氏後裔とつながります。また、三韓にも盧の付く國名があります。盧は飯櫃(めしびつ)の義で、豊前の新羅大明神です。

あとがき
天地の相関は、暦と密接しており、日本の古代を解くカギです。
書記の皇后となる推定年次の根拠は、公表しませんので、御勘弁ください。

感謝に代えて

2010年09月11日 06時33分34秒 | はな


地図 「中国地図帳」平凡社2008から引用
ほだらか渡海:七海半太郎「倭女王少名日子建猪心命」昴出版2009


感謝に代えて

日本古代史は、積年の資料あり、何処で何が飛び出してくるか、分らない、楽しみの世界だと思います。
この1年、試行錯誤して、脈略があちこちにゆき、読者のみなさんには、読みづらい諸点がさぞかしあったのではないかと思っています。誤字もあります。
けれども、このブログを機会に、朝鮮史、中国史、西域へと、倭人社会の広がりを端緒だけでも、紐解けたので、満足しています。

これまで、愛読下さった皆さん、ありがとうございました。
いま、宿題を少し残しましたが、解ければその都度書きます。
わかりやすい本の出版のため、位置づけ、まとめ作業あり、今後は、不定期のブログとなります。
なお、御質問、七海の間違い、遠慮なく、メールをください。知っている限りをお答えします。日本古代史は、前2500年前からの断片:伝説が入っていると考えます。当然、歴史にはなりません。考古遺物、特に土器[新石器時代]は、一万年以上前に遡ります。これも銀密には、歴史ではありません。来歴のかけらです。
ついでに云うと、英国のある学者は、考古の遺物が無くても、農耕の始まりを4万年前、と云う人がいます。[七海は理由を知らず]イースター島と南アメリカの関係も土器の編年無しに、無関係という決定の経緯ありでした。

問題は、日本書紀の神武天皇の即位年です。

アリババよろしく、開けゴマのように、扉を開けるのは難題ですが、神は、一部の別天神を除いて、擬似モデルとしての人、それも、よく出来た人物としています。
また、難題ですが、天地人は、三才という。
これを、明言するだけあって、古代人は、自信を持っています。
したがって、構造的には、近代人が、耳をすませば、解けるはずです。
続日本紀には、中国古代の聖人を回顧した記事が沢山見られます。

継続は力、これを越える
神社や祭りは、古代をほうふつとさせます。
まるで、死んだ人が生き返ってくるような、当時を再現しています。

常立神に二つがあります。天と国を頭に冠しています。

国常立神とは、天文学上、国民ひとりひとりの尸(なきがら)、その位置を指します。つまり、その墓の位置を意味していました。
現在、車の附属品や山にもってゆく、ナビゲータ―と同じです。
天常立神は、天神の位置(墳墓)でしょう。結局、天孫は降臨して、国家の統治者、文武の大臣、女軍・・・となります。
天体の星を地上の大鏡に映せば、脱解王の時代、28の王が日本に既にいます。この28王は、星座の28宿です。
これを、天地人が相関しての天鏡というのでしょう。

このことは、天照大神が、八百万の神に聞くということで解ります。
天神達に聞いて、その上で天照大神は、判断をしています。
これを別の観点でいえば、特定の懸案(スサノオ)について、直接選挙をしたような形跡が感じられます。

スサノオが天上で暴れまくる。ついに、誰もが無道と判断して、天上から地
上へ、スサノオは追放されました。従って、スサノオは元天神です。
地上では、スサノオは、ヤマタオロチを退治したりして、地上(海も含む)
の大親分になりました。

ついで、養子大巳貴が、全国を覇者して、神武の祖先の天孫降臨となります。
このとき、天上の高木神は、大巳貴(全国土支配者)と約束しています。
45mの出雲大社を作ってやると。(雲太という)

けれども、譲らない臍を曲げた長脛彦がいました。神武と長脛彦は異母兄弟でしょう。天上の神は、二人を戦わせて、むごいことをなさる。

これを別の観点で眺めます。
ワシの子の卵は、二羽孵っても一匹しか生き残れない定め、自然界の摂理でした。たぶん、日本は、鳥の王国でしょう。
神道、ゾロアスター、仏教、もワシを信じています。

日本の天皇の祖先は、中国の西、東トルキスタン・伊吾から来られたのでしょう。(伊吾:磐余)
夏王朝・禹の六代目(少康氏)の庶流が始祖でした。(魏志倭人伝)
天皇の祖先は、前1900頃としておきます。
日本古代を読んで、中国史をみると解釈可能になっています。日本の文献は、やはり、中国古代文化の回顧と考えられます。[続日本紀]
構造として、伏義と女媧は、いざナギ、いざナミと同じです。しかし、日本は、日本としての神話、歴史を残しています。別國の歴史でした。
問題は、年代学ですが、天文学で解くことが可能と見ています。

また、卑弥呼は、247年崩御以降、信仰され続け、江戸期の加賀前田藩の信仰までゆきます。そして観音浄土信仰ともつながります。中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山(浙江省・舟山群島)から、東アジアの各地へ広がってゆきます。
宇佐・国東からも1万2千里で、舟山群島とつながります。このほか日光二荒山、那智勝浦、四国観音寺での観音浄土信仰がみられます。

そして、民間行事で、旧暦の十月に亥の子餅を食べて、無病息災を祈る。これも卑弥呼信仰で、継続してつながっていました。

昨年の9月13日からグーのアクセスは、約1年211回で、53200でした。
アメーバ、ライブドア、ヤフーのみなさん、御覧頂き、厚くお礼申しあげます。
七海半太郎 http://nanamihantaro@yahoo.co.jp

上図は、ホダラカ渡海[観音浄土]の図です。倭奴国各論20、21、22を参照して下さい。

水玉鏡

2010年09月06日 00時18分18秒 | はな

写真
撮影者:C級サラリーマンさん。この写真を七海がカット。
出典:アメーバブログ:へいたんな道でうれしい(誰田無灯火)
きょうは、上の写真をお借りしての話です。

水玉鏡

早朝の草原
朝方の草原や稲田や笹原には、微小の水滴が付着しています。
御承知のように、水は、周りの色、景色に染まります。

いわば、無数の微小鏡が、待ち受ける朝方、これが草原の姿です。

稲田の後光
稲田の後光は、人の後ろ姿の薄い影、その周りに、平面で、あたかも菩薩を作ります。

神武紀では、これを日下(くさか)の草香るという。(注記、草:色)

日が、まだ地平線の下に在る時(日下)の現象です。雲南省蛾眉山の菩薩現象を、平面にしたら、イメージが理解出来ると思います。
(8月10日の歴木(くぬぎ)を参照のこと)

古代の旅人は、野宿は、へっちゃら、朝が早い。自身の野菩薩を見たものと想像します。

大神比義が、五穀を断って3年、笹の葉の上に、広幡八幡麻呂を観る。

乳母の玉依り姫が、鵜茅フキアエズの児[佐野尊]を○○菩薩のようになれと、育てるのでしょう。
(注記、佐野尊は神武の幼名です)

七海は、この玉を、水玉と観ています。
姫は。願いを込めて、依り代の水玉に託しているのでしょう。
ホオリの水面鏡から水玉鏡への移行と考えます。

将来の子沢山願望もあるのではないか。
また、物が無い時代、身近の雨(水玉)は真珠に例えられるから、
玉依り姫は、工夫し、希望を込めていると思います。

写真は、水玉に映ったカエル

植物の葉から、水滴が、いま正に落ちようとする時、
水玉鏡にカエルが映りました。

現代への照射
カエルを人物に置き変えた写真を作る。
ペンダントのロケットに容れた女性。

・・・・首ったけ。・・・たけ。



水面も鏡。
水玉も鏡。
白い餅は、お鏡餅。
鏡は、鑑(かがみ)。
真っ先に、いただきまーす!