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スバル星のこわもて顔
図は、林巳奈夫「中国古代の神がみ」による。図の左上は、斧です。斤+父で、この場合、刑具です。斧鉞(フエッ)は炎帝神農氏の発明です。
スバル星
林巳奈夫の昴(すばる)星を中心に、考えてみます。
髠(こん)頭
漢代に頭の毛を切り取ってしまう髠という刑罰があった。
髦頭(ぼうとう)
昴(すばる)は、髦頭の胡(えびす)である。白い衣冠の人の会合する喪事を意味する。(史記天官書) 七海注、昴(ボウ)、髦(ボウ):図参照。
林巳奈夫
西周の玉人の頭にかたどられた几字形の飾りを資料として、髦の風俗を推定。幼児の頭の剃り方で、一部の髪を残す鬌(タ)があり、成人が親に仕える時、鬌を象った髪の束をつける。図にあるように、史記のいう髦頭の胡と考えられる。
秦漢魏晋の時代の近衛兵の髦頭
秦の文公の時、梓樹が化けて牛となった。騎をもってこれを討ったが勝てず、ある者は地に落ちた。髪が解けて被髪となった。牛は恐れて水に入った。
秦はこれに因って、旄頭騎を置き、先導させた。(後漢書光武帝紀)
七海注、旄(ぼう、もう)は、唐牛の長い毛。これを飾った旄頭旗。
林巳奈夫はいう。髦頭とは、怪物の牛を恐れさせる姿であった。
図は、武器の柄頭につけられ、敵をあの世に送る凶事の神:昴星を象ったものとみるべきであると。
昴の七星は、天の耳目、すなわち情報蒐集の係で、西方を主り、裁判を司る。(晋書天文志・上)
北魏(386~534)
風俗通に、鮮卑は、みな、髠(こん)頭に赭(しゃ)を衣る。(七海注、赭は、紫赤色の服をさす)
李逸友の注
鮮卑族には、
べンガラ色の衣服を着け、頭を刈っている者、
頭上に小さい髷(まげ)を残す者、
長い弁髪を垂らす者、
が居るという。
林巳奈夫
鮮卑という北辺の野蛮人は、髠(こん)頭と呼ばれた。中国中原では、髠(こん)頭をみれば、恐ろしい連中で、ゾッとしたであろうという。以上、林巳奈夫を編集。
日本の昴星は、六連星で、スマルに御をつけて、「みすまる」と言い。統べる、の義。統合の星でした。
ソグド州を代表するサマルカンドは、カンド:町で、サマル町。サマルは、何となく、英語sum(会計、会稽、総合)に似ていますが、不詳です。
康居がある時期に後継の康国に代わった。・・・後84年の頃か。
康国が中心となり、史国、何国、石国、安国、火尋国の合計6国が、ソグド州に入り込んだ。いずれも、昭武氏の小月氏です。
中国は、昴星を七星とする。日本は六連星とする。事実、昴星は、中国では西に配当されています。
中国星座の七をとれば、あとひとつは、盧(ろ)氏ではないか。
盧氏は先祖が盧満で、虞氏と共に山西省歴山の開拓者でした。虞氏は小月氏の先祖:虞舜でした。
前130年、大月氏は、烏孫王に討たれて、アム河の北へ留まった。
前129年頃、張ケンは、大宛王に頼み、康居王の案内で大月氏に会った。このとき、大月氏は、五翕族を従えて、侯国としていた。
紀元後、貴霜侯国は、もと五翕族のひとつで、窣(にわか)に盛んになって、クシャン朝[貴霜]へ発展する。
後84年に、康居は小国ゆえ、月氏(クシャン朝)と婚姻したという。
康居王とは、誰なのか。塞の地に居たことは確かでしょう。もともとの烏孫も、塞種で、大月氏と同族でした。
康居も、居:塞ぐ義だから、塞種ではないか。
史記匈奴伝では、犬戎が西周末(前771)に周を東周(洛陽)に追いやった。林巳奈夫は、この犬戎の遠い祖先が、図の連中と推定している。・・・七海注、獫狁(けんいん)の獫は、犬戎とみた。(羽田明「西域」)
では、犬戎には、昴星が背後に着いているのか。
獫は、口の長い犬:長喙(ちょうく)という。玁と同じ。獫狁:玁狁。
允は、羌族で、斉の言葉で、地羊、黄羊で、イヌの意味でした。
僉(せん)の語家族。僉は、皆(かい)也。みなの義。
厳・・・厳国
敢・・・敢国
剣・・・昆吾氏の剣
倹・・・王倹城の倹
験・・・霊験
北匈奴は、閼氏と夏の薫育との子。
閼氏は、帝嚳高辛氏の閼伯の子孫ではないか。
あるいは、帝嚳高辛氏の娘婿の狗封国なのか。
そして、犬戎は、六曜の開発者でしょう。金の鍾の中、七日待ってくれと言うのに、タブーを犯して六日目に見られた。六が重要でした。
とにかく、盤護、槃瓠というイヌは、六曜カレンダーです。
もまた、八卦の六二が大吉でした。
盧氏は、イヌの名前でもあった。おそらく、犬戎の子孫でしょう。
禿頭族(アルギッパィ)
前6世紀のアルタイ山の西鹿の民族で、林巳奈夫の言う昴星がかくれているのではないか。
その東にイッセドネス(烏孫説)さらにアリマスピ:一眼(目)国には金を見張る怪鳥グリウプスがいた。アルタイ:金。
余談
天のウズメは、すばる星で、猿田彦と結婚し、猿女の君が出来る。稗田阿礼(女)は、この後裔で、古事記を暗誦する語り部でした。
むかしは、戦闘の開始時に、敵に呪いをかける役目(巫女)でした。
中国の昴は、男の巫(覡:ゲキ)ですが、日本では女です。しかし、肥前の旧三根町の寄人(よりうど)は、男巫でした。寄人は口寄せともいう。
ここが、末盧國で、盧氏の末裔でした。三根は、峯、峰、嶺です。
昴星の天ウズメは、天照大神(金星)が見えない時に、天照大神になり代わって、地上を見ているのでしょう。
太白:金星の動き
ヘリアカルライジング(見という)
暦の始まり:元始の甲寅の年の正月、東方から見え始める。同時に28宿の営室も見え始める。これを営宿という。
ヘリアカルセッテイング(伏という)
そして、240日して地平線下に入って消える。
消えて、120日経つと夕方の薄明時、西方に見え始め、240日かけて地平線下に入る。次に35日たつと、再び東方に見え始める。(淮南子天文訓)
しかし、馬王堆3号墓はもっと正確である。(以上、橋本敬造「中国占星術の世界」)
また、100年に一回だけ、消えて三日後に出てくる不規則な動きもする。
いずれにしろ、スバルと金星は、切っても切れない関係にあり、です。
そして、水の神アナーヒターが、ソグド洲に居ます。この場合は、夕方の水星で、日本では、沈み星ともいう。
紛らわしい話しで、水星、スバル、金星が絡んでいます。