きょうは、鏡の側面に刻まれた文字を解釈します。
持田25号の変形画文帯神獣鏡
宮崎県西都原市に、持田古墳群があり、この鏡が出土しました。訂正、西都原⇒高鍋市
文献 鈴木重治「日本の古代遺跡」25宮崎 保育社1985
鈴木重治は、鏡面が変形しているので、変形の画文帯神獣鏡とされています。鏡には、4獣が配置され、側面に刻まれた文字を「火鏡」と記す。
はたして、火鏡なのかどうか。これを検討します。
1 七海の解釈
金石文は、漢字の部主を省略するケースが多くみられます。
1 全体的な特徴は、なにか。
火編の右の蜀を書かない。
龍の左だけを刻む。
全体として、燭龍と記されています。
2 龍の下の月に、書き加えがある。
カラスのように、首を斜めにしてみると、よくわかる。
立月の下は、なぜか月の中の横棒二本でよいのに、ひとつ多い。
・・・余す一は、海主一。雨主一の洒落なのか。
また、頭を右に傾けて読むと、火人 と読める。肥人です。
そして、月の右下をのばし、これと一、の組み合わせで、个(カ)も考えられる。
すると、个火人となる。
个は、カ、カン。カはひとつ。カンは、的につける布の意味です。
ゆえに、个火は、カカまたはカンカです。
言い換えると、燭龍に書き足した部分は、
華火人(夏華人)、または、漢火人となります。
さらにいうと、前者は、九州の肥國、火:肥人。後者は、東北の大韓国となり、皆、倭種でした。もまた産鉄の人々でした。
2 燭龍(しょくりゅう)
この鏡を盤龍鏡とみなします。
中国神話において、燭龍は、また、祝融ともいう。盤龍鏡は、燭龍が蘇生したのを記念して作ったのであろう。
山代國の宇治から阿蘇山へ飛んできた神、建磐龍尊(たけいわたつのミコト)を神八井耳尊の後裔が祀る。阿蘇神社の祭神です。
ここは、カルデラ湖あり、神仙池という。池は、鏡現象を伴う。
景行天皇が、八代の豊村へ無事着けたのは、不知火で、人工の火ではないという。火山の火が、池に反射されて、立ちのぼる水蒸気や雲に映っていたのであった。
建磐龍は、建を取れば、磐龍:盤龍(ばんりゅう)となります。
3 隋書俀國伝(たいこく)の記事
阿蘇山がある。その石は、故なく火が起こり、天に接する。俗に(神)異として、祷祭(じゅさい)を行う。カッコは七海挿入。
これは、景行紀の不知火と合致します。
4 京都祇園八坂神社
八坂神社の護符「ちまき」の書に、三字あり。函火鋒と記載。
函は、阿蘇外輪山に囲まれての火口です。
火の一字は、大と併用の二字ですから、大火となります。
この下に火炎のギザギザ模様の画文帯意匠があります。
日本では、日の切っ先を丸四天という。漢字は摩利支天で、梵語はマリーチでした。ヤバイ國:野馬一國で、野馬(かげろう)の始めの意味でした。
5 卑弥呼の本名
卑弥呼の名は、少名日子建猪心命です。「すくなひこ」は、まだ夜が明けないころ。猪の牙は、陽のかげろうの切っ先とよく合います。これも、人物特定の証拠のひとつでした。決め手は、梁書が、國を入れず、魏志のいう祁馬臺(キバコ)としています。よく合致します。臺(タイ)は、壺(コ)の誤字ですが、倭人が申告して、わかるようにしたとみます。
宇佐市では、571年、菱形池に、鍛冶翁が顕現した。
その後、宇佐の傍らの八坂神社ができたと推定します。宇佐市大元山の南の熊野地名も、卑弥呼の守り神でしょう。
以上は、狗奴國でした。
そして、卑弥呼以前の拘奴が70年、これ以前は、倭奴でした。
なお、変形画文帯神獣鏡は、現在、尾道市耕山寺の所蔵品です。
平川 南の解釈
国立民族博物館監修「金印から正倉院文書まで」朝日新聞社2002
このAの解釈で、平川は、火鏡とした。鏡字の右側の竟を採用しているが、
似ても似つかない字にして、読者に見せています。
漢字を改ざんしたと、看做します。結果は、あとで、タタル、祟ります。
持田25号 宮崎県児湯郡高鍋町(図のA)
幡枝古墳 京都市左京区幡枝町(図のB)