どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

感謝に代えて

2010年09月11日 06時33分34秒 | はな


地図 「中国地図帳」平凡社2008から引用
ほだらか渡海:七海半太郎「倭女王少名日子建猪心命」昴出版2009


感謝に代えて

日本古代史は、積年の資料あり、何処で何が飛び出してくるか、分らない、楽しみの世界だと思います。
この1年、試行錯誤して、脈略があちこちにゆき、読者のみなさんには、読みづらい諸点がさぞかしあったのではないかと思っています。誤字もあります。
けれども、このブログを機会に、朝鮮史、中国史、西域へと、倭人社会の広がりを端緒だけでも、紐解けたので、満足しています。

これまで、愛読下さった皆さん、ありがとうございました。
いま、宿題を少し残しましたが、解ければその都度書きます。
わかりやすい本の出版のため、位置づけ、まとめ作業あり、今後は、不定期のブログとなります。
なお、御質問、七海の間違い、遠慮なく、メールをください。知っている限りをお答えします。日本古代史は、前2500年前からの断片:伝説が入っていると考えます。当然、歴史にはなりません。考古遺物、特に土器[新石器時代]は、一万年以上前に遡ります。これも銀密には、歴史ではありません。来歴のかけらです。
ついでに云うと、英国のある学者は、考古の遺物が無くても、農耕の始まりを4万年前、と云う人がいます。[七海は理由を知らず]イースター島と南アメリカの関係も土器の編年無しに、無関係という決定の経緯ありでした。

問題は、日本書紀の神武天皇の即位年です。

アリババよろしく、開けゴマのように、扉を開けるのは難題ですが、神は、一部の別天神を除いて、擬似モデルとしての人、それも、よく出来た人物としています。
また、難題ですが、天地人は、三才という。
これを、明言するだけあって、古代人は、自信を持っています。
したがって、構造的には、近代人が、耳をすませば、解けるはずです。
続日本紀には、中国古代の聖人を回顧した記事が沢山見られます。

継続は力、これを越える
神社や祭りは、古代をほうふつとさせます。
まるで、死んだ人が生き返ってくるような、当時を再現しています。

常立神に二つがあります。天と国を頭に冠しています。

国常立神とは、天文学上、国民ひとりひとりの尸(なきがら)、その位置を指します。つまり、その墓の位置を意味していました。
現在、車の附属品や山にもってゆく、ナビゲータ―と同じです。
天常立神は、天神の位置(墳墓)でしょう。結局、天孫は降臨して、国家の統治者、文武の大臣、女軍・・・となります。
天体の星を地上の大鏡に映せば、脱解王の時代、28の王が日本に既にいます。この28王は、星座の28宿です。
これを、天地人が相関しての天鏡というのでしょう。

このことは、天照大神が、八百万の神に聞くということで解ります。
天神達に聞いて、その上で天照大神は、判断をしています。
これを別の観点でいえば、特定の懸案(スサノオ)について、直接選挙をしたような形跡が感じられます。

スサノオが天上で暴れまくる。ついに、誰もが無道と判断して、天上から地
上へ、スサノオは追放されました。従って、スサノオは元天神です。
地上では、スサノオは、ヤマタオロチを退治したりして、地上(海も含む)
の大親分になりました。

ついで、養子大巳貴が、全国を覇者して、神武の祖先の天孫降臨となります。
このとき、天上の高木神は、大巳貴(全国土支配者)と約束しています。
45mの出雲大社を作ってやると。(雲太という)

けれども、譲らない臍を曲げた長脛彦がいました。神武と長脛彦は異母兄弟でしょう。天上の神は、二人を戦わせて、むごいことをなさる。

これを別の観点で眺めます。
ワシの子の卵は、二羽孵っても一匹しか生き残れない定め、自然界の摂理でした。たぶん、日本は、鳥の王国でしょう。
神道、ゾロアスター、仏教、もワシを信じています。

日本の天皇の祖先は、中国の西、東トルキスタン・伊吾から来られたのでしょう。(伊吾:磐余)
夏王朝・禹の六代目(少康氏)の庶流が始祖でした。(魏志倭人伝)
天皇の祖先は、前1900頃としておきます。
日本古代を読んで、中国史をみると解釈可能になっています。日本の文献は、やはり、中国古代文化の回顧と考えられます。[続日本紀]
構造として、伏義と女媧は、いざナギ、いざナミと同じです。しかし、日本は、日本としての神話、歴史を残しています。別國の歴史でした。
問題は、年代学ですが、天文学で解くことが可能と見ています。

また、卑弥呼は、247年崩御以降、信仰され続け、江戸期の加賀前田藩の信仰までゆきます。そして観音浄土信仰ともつながります。中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山(浙江省・舟山群島)から、東アジアの各地へ広がってゆきます。
宇佐・国東からも1万2千里で、舟山群島とつながります。このほか日光二荒山、那智勝浦、四国観音寺での観音浄土信仰がみられます。

そして、民間行事で、旧暦の十月に亥の子餅を食べて、無病息災を祈る。これも卑弥呼信仰で、継続してつながっていました。

昨年の9月13日からグーのアクセスは、約1年211回で、53200でした。
アメーバ、ライブドア、ヤフーのみなさん、御覧頂き、厚くお礼申しあげます。
七海半太郎 http://nanamihantaro@yahoo.co.jp

上図は、ホダラカ渡海[観音浄土]の図です。倭奴国各論20、21、22を参照して下さい。