どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

犬戎国13犬頭神社

2011年03月14日 16時30分45秒 | 
犬戎国13犬頭神社

きょうも、難題、難儀な話です。

1犬頭神社
愛知県豊川市千両町(ちぎりまち)糸宅
主祭神:保食神(うけもつかみ)
今昔物語に三河国、犬頭糸の語の条に、郡司の妻が養蚕を営んで居たところ、飼犬がこの蚕をみな食いて、妻は、大いに嘆〈、その犬鼻穴より絹糸を大量にだして、死んだ。以後、珍奇な事と神に祀る。即ち、犬頭の社なり。その後、犬頭の糸を国主より朝廷に毎年、絹を納めた。
社記
創建は、舒明天皇(640)の時、犬上御田鍬遣唐使に関係ありと犬上氏を犬頭(いぬかみ)と書いた。
現在、桑の数百年を経た根株を保存しています。
近くに、籰繰神社(わくぐり)、服部神社がありますが、犬頭神社で繭を出し、輪くぐり神社で糸をとり、服部神社で織り上げて朝廷に献上していたそうです。犬と美女は対になっている。服部は、機織りの女子。応神記、呉から来て、宗像氏にひとり。大倭にひとり。
七海注記、竹+矍の合字は糸を巻きつける具。音はワク。

輪くぐり神社は、月の輪熊、そして茅の輪と同様に、これは、糸を巻いたような状態を指すのでしょう。祭神は雄略天皇、稚むすび神となっています。雄略紀、大きな白犬が出て来ました。これを中国では(白)龍と言う。

また、犬頭神社は佐奈川辺にあり、「さなぎ」と関係しての銅鐸が出土しています。

保食神は、日本書紀に出ています。
天照大神は、月夜見尊(つきよみそん)に、「保食の神がおられるので、お前行ってみて来なさい」という。すると、月夜見尊は、保食神を殺していた。死んだ月夜見尊は、蚕などが生まれていた。「お前は悪い神だ」と天照大神がいう。
月夜見尊とは、月読尊とも表記されます。月の見えない晦日(みそか)で毎月の末日を示す神です。
なぜならば、音読みにすれば、月闇(げつあん)だからです。次に、朔日(ついたち)がくる。これは細い月が見えますから、新月という。
どうして、蚕が生まれたのか、解りません。細い月が始まりで、糸巻と掛けているのか解釈不能ですが、常陸風土記も暗闇で、他人が見るのを避けて機織りしていました。
人間も動植物も、蚕も、暗闇から生まれてくるのでしょう。なお、天照大神は、口から蚕を吐いた神で、織り女に機織りを教えていました。天照大神は、金龍と同じで、豊前市の金富神社です。
また、東大寺に青衣の女が、唯一現れた。伊勢比丘尼でしょう。

2糟目犬頭神社(かすめけんとう)
愛知県岡崎市宮地町
祭神:彦火々出見尊、伊邪諾尊 伊邪册尊 素戔嗚命 犬頭霊神。
三河の上和田城主宇都宮泰藤が、鷹狩りの際に、神社の境内の大杉の下で休憩をして眠りこんでいた。
すると、大杉から大蛇が降りて来て、城主を襲おうとしていたが、その時、連れていた白犬が大蛇に気付き、城主に知らせようと吠えたが、城主はまた眠ってしまった。それでも犬は吠え続けるので、眠りを邪魔された城主は、犬声に怒り、犬の首をはねてしまった。犬の首は、飛び散って大蛇の喉に噛みつき、大蛇を退治した。
城主は、後になって驚き、忠犬の霊を慰めるために、犬の頭を犬頭霊として手厚く葬った。

飼い主に忠実な犬な番犬はわかるが、酒粕の糟と目が、どうして付くのか解らない。・・・目が居眠りして、かすむのか、わかりません。酒作りにも関係するのか。
瞿(ク、グ)という漢字に関係しているのでしょう。驚いて見る義です。矍[キャク、カク]の下の又字は、鳥を手にもっている義という。やはり、驚いて見る意味です。
そして、瞿(ク、グ)の音は、借写して虞、弧となります。
意味も、驚き、畏れ見ることに、同じです。
やはり、虞氏が出て来ました。ソグド人の末裔でしょう。

弧は、みなし児ハッチーのような弧児の義です。
西域のオアシスでは、蜂蜜がよくとれます。大事な蜂の巣を外者に取られないようにしています。
京都市の蜂岡寺[広隆寺]は秦氏の氏寺、蜂栽培の人でした。牛を祭っています。月氏は禺氏、牛氏というから、秦氏は月氏信仰者でしょう。
始皇帝の先祖は、甘粛省の吉力湖です。吉力の音は秦でした。(林梅村)

3魏略の槃瓠誕生譚
高辛氏に年をとった皇后があり、耳の病にかかった。耳をつつくとなにか飛び出した。よく見ると、ちょうど、蚕のマユほどの大きさだった。これを瓢箪の中に入れ、槃(船形の皿)に容れ、覆って置いたところ、やがて五色の毛を持った犬に変わって、犬の名を槃瓠とした。

4後漢書陰識伝
臘日(旧暦の12月23または24日)、陰子力という人家に、竃神が突然現れた。彼は飼い犬の黄色い犬を生贄にして竃の神を祭ったら、どんどん財産が増えて行った。世間もこれに見習い臘日に竃神を祀るようになった。
斉の国では、犬を地羊という。楚辞の校注も、狗は黄羊という。

以上、犬は、忠実と福をもたらすものとなっています。また、吉凶を予め知らせる予知能力者でした。また、お産やカマドとも関係があります。

狆(チュウ)
ところで、中国の狆(チュウ)という漢字は、犬の「チン」という種類で、貴州省や雲南省の産地です。・・・仲の漢字も同じ意味とは、ついぞ知りませんでした。
豊前の中津市は、むかし仲臣村とも書いた。中臣氏も犬を味方にしているのでしょう。
天孫降臨の時から、継続して天皇の忠臣で、神武東征で、宇佐氏の宇佐津姫と婚姻しています。以降、大伴氏とともに、奈良大倭天皇の五大夫[五大臣]の一人として、垂仁紀に出てきます。豊前は、秦氏が沢山住んだところです。

中津市の西となり、山国川を挟んで、福富町の上流に、唐里:塔里があり、匈奴の言葉で、天を指します。 (訂正、福富町⇒吉富町)

塔里木(タリム)
関係が在るか知りませんが、西域の塔里木盆地は、タリム盆地です。
タリム盆地の南の山々を南山(崑崙山系)が東西に列なっています。
現在の和田地区の于田(うてん)県は、南山から克里雅川(クリヤ川)の中流域の町です。ケリヤ川ともいう。
于田の西隣が和田(ホ―タン、コ―タン)で、翡翠によく似た軟玉の産地です。
楚王に献上した弁和[ベンカ]の璧玉(へきぎょく)は、ここの産地と考えられます。和氏の璧という。また、殷墟の婦好墓の龍も軟玉です。

昔から、ホ―タン地域は、和田国やカシュガルの疎勒(チュルク:トルコ人)が統括していて、こともとは于塡(ウテン)と書いた。304年以来、尉遅(ウッチ)という氏・姓が王でした。尉氏ともいう。
河南・河北・山西省の境あたりに尉県があり、北魏の領域です。
また、和田地名は、日本の瀬戸内海に沢山あります。
和田地名は、安曇氏が沢山いたのではないか。住吉神の先祖でしょう。
日本の九洲にも、硬玉の翡翠に似た軟玉の玉が沢山出ています。ホータンと何らかのつながりがあり、交易しているものと考えます。

和田の言語は、ホ―タン・サカ語を話していました。
これが、トカラ語なのか、大問題になっています。

蜀犬、太陽に吠える。呉牛、月に喘(あえ)ぐ。
蜀[四川省]は、曇天の日が多く、たまに出てくる太陽を雲間に見た犬は、太陽を怪しんで吠える。
呉は、気侯の熱い所、呉の牛が夜の月を太陽と間違い、月が出れば、呉牛は熱いとあえぐ。

この度の地震、お気の毒におもいます。せめて救助犬が助ける事を願うばかりです。

20世紀、21世紀の近代とは、科学技術は発達しました。しかし、社会科学は、古代に、少々追いつこうとしていますが、古代復元は、至難の業と思っています。

夢のレストラン

2011年03月10日 21時01分45秒 | 音楽


プラネット・レストラン入口
書籍:「夢のレストラン」
発行:プラザデザインコンサルタントCo.1994.
非売品でグラビヤの豪華本です。

ひといき

はじめに、鳥と女性の音声が出てきます。

(鳥声)ホッキョ、キョッ、キョ、キョ。ホッキョ、キョッ、キョ、キョ。
(人声)ようこそ、夢のレストランへ。

写真はレストランへの道中、星が煌めくプラネット・Rへの入り口です。
その向こうに、レストランがあった。空中庭園で二人は食事したのだろう。

(始)19世紀、パリで、木の上にレストランを作った人が居た。(木村尚三郎)
・・・・
・・・・
(結)今を動かす力、それは明日への夢。(企画者勝川修弘)

この本は、1994年、大手の住宅建材メ―カーM社から貰った本です。
いまでは何でもないように見えますが、17タイプの思考レストランを空想した本でした。

犬戎国12アグニ

2011年03月08日 00時13分38秒 | 


人身鶏頭、人身猪頭の像
アスターナ216号墳出土。Inoueご夫妻の写真を拝借。

犬戎国12アグニ

アグニ(agni)

漢字は、阿奢尼と書く。呉音アグニ、唐音アギニ、梵語の音訳です。
甘粛省トルファン地域の阿斯塔那(アスタ―ナ)は、八城あり。
焉耆(エンギ)国は、阿奢尼国ともいう。ここに火の神アグニがでてきます。

ほとんどの書物は、火神というだけであって、この神の解説はありません。

玄奘三蔵が、629年頃、仏教徒の麹氏高昌国王・麹文泰(キクブンタイ)に大金をもらい、突厥可汗に手紙をもたせ、インドへ往くことができた。
帰途、麹氏高昌国を、唐が640年に滅ぼした後だった。
英語のアスターは菊で、菊水とは、長生きの水。漢人の建てた国です。

インド人オ―ロビンドの論文雑誌「アーリア」1914~1920年。
この解説を哲学者津田元一郎がやっています。
ここに、アグニの解説があります。

神霊
アグニは、インドのヒンズー教の神で、正確には、「神霊」と訳す方が、理にかなっている。
アグニは、インドのリシ(聖者)たちが解く。
内の世界では、心の火、情熱、意志の力、知的ひらめき、知的光である。
外の世界では、宇宙を掌握する主宰者とする。

内なる世界は、心の内奥を探求して真理を体得する。
外界の奥にも宇宙の真理を感得する。両者が一体となるとき、リシとなるのであろう。

アグニは物心一如の存在
ギリシャの哲人ヘラクレイトスは、火をアルケー(元のもの)と考え、その火を活きたものと考えていた。ミレトスの哲学者たちは、物活論者と解釈されている。
しかし、それは、西欧学者の解釈で、はじめに物を考え、物が活きていると解釈されているが、オーロビンドは、ヘラクレイトスの火もアグニと同じく、物質と精神の二元が分裂した後の分析的見方であり、物を常に物と見る立場から出発している。しかし、ヴエ―ダの世界は、物心末文化の世界というのが、オーロビンドの主張である。以上、津田元一郎を編集。

以上の解説を次のように考えます。
人間世界は、発達史的に、はじめから善も悪も未文化とみられます。
また、一個の人間には、善心と悪心が同居しています。
道教でいう三尸虫と同じような事と考えます。

ゾロアスターの宗教改革は、善悪二元の登場といわれますが、その前は、やはり、善も悪も「へちま」も無い社会があったと考えてよいと思います。
その証拠は、ペルシャとインドは、同じ神(ダェ-ワ、デ-ヴァ)を善悪扱いして敵対しているからです。
ペルシャの善神はダェ-ワ、悪神はデ―ヴァ。インドの善神はデ―ヴァ、悪神はダェ-ワ。どういう。・・・原因は、引き裂く者、つまり狼信仰の連中が、「国を分かつ」引き裂くのでしょう。

翻訳のどこかに、多元を二元にする機能的欠陥が在るのではないか。

なお、津田元一郎「アーリアンとは何か」人文書院は、出色の書です。また、ドイツ人マックス・ミューラーのアーリア学説は、現在、否定されています。

ふりかえれば、
日本では、阿蘇山は、神仙池を有する神仙の神であった。
地上で火と水の混有するところは、火山です。
建磐龍命(たけいわたつミコト)が、山城国から阿蘇に飛んで来て、盤龍鏡が出来たのでしょう。犬の盤(船形のたらい)の漢字が入っています。
1603年ころ、出雲の阿国、於国、小国が、京都市の鴨の河原で、歌舞伎の元となる「ややこ踊り」をやった。世相の元気づけでしょう。アグニと言う発音を日本人は出来にくいから、三字で表すのでしょう。また、小国と書くから、九国の義でしょう。

天山南麓のアスターナも、谷底の街で、もと火山の跡でしょう。
トルファン盆地の東部の火焔山、天山山脈の一部でした。

アスターナは、漢代の都護府、のちに漢人の麹氏高昌国が坐つきました。

ここには、十二支が祭られています。
また、鶏頭、猪頭をした人間の陶磁あり、伏義と女渦の図がありました。
おそらく、犬人の陶磁もあったと思えてならないのです。
破壊されたのでしょう。
ところが、犬の像を観光客用として新たに製作されていました。
Inoueご夫妻の写真で解ったことでした。

高辛氏の子供・実沈は、バクトラ[大夏]へ行きました。実沈に対応する星座は、サソリ座のアンタレスです。実沈の事績は、ほとんど中国史に出てこないのです。
また、大夏の北にあるサマルカンドは、ゾロアスター教の故地で、アフラシャブの丘にソグド人が、古来、居住していました。これをアレキサンダーが紀元前329年頃に占領した。

ソグド人の先祖は、虞氏で、中国古代の帝舜有虞氏の末裔で、白人です。
「濡れ手に粟」という言葉は、ソグド人が生まれつき、算術にたけた商人をさす別称にもなっています。虞喜と言う人が、4世紀に歳差を発見しています。また、539年没の虞弘と言う人物の墓は、山西省太原市で発見されています。
445年、仏教信仰の鄯善国は、北魏の攻撃で滅亡し、ここまで、北魏が進出していました。
アフガンのバタフシャン州に、ヤフタル地名あり。568年、西突厥とサザン朝にはさみうちされて、滅んだ国の本拠地でした。ヤフタルは、スルフ・コタール城が本部でした。
滅亡後、ヤフタルは、故地に帰った。その故地がヤフタル[エフタル]で、北魏へ朝貢していました。
また、エフタル(白フン)は、北魏の河北省蔚県の蔚遅(うっち)、蔚氏とつながるのでしょう。

531年、北魏の僧善正が、英彦山に来る。538年の仏教が日本に入った。
続いて、552年、朝鮮半島へ渡った百家の百済(くだら)が、仏教をもたらし、仏教公伝となるのでしょう。

日本仏教は、北魏を通して、また、エフタルを通して、日本までつながっていました。なお、エフタルは、大月氏の後裔、高車の別種となっています。

死語となったトカラ語(印欧語族の特殊な言語)を話すトカラ人が日本へ来るのも、歴史の成り行きでしょう。梁書で、屋久島と奄美大島の南にトカラ列島があるのも不思議です。