犬戎国13犬頭神社
きょうも、難題、難儀な話です。
1犬頭神社
愛知県豊川市千両町(ちぎりまち)糸宅
主祭神:保食神(うけもつかみ)
今昔物語に三河国、犬頭糸の語の条に、郡司の妻が養蚕を営んで居たところ、飼犬がこの蚕をみな食いて、妻は、大いに嘆〈、その犬鼻穴より絹糸を大量にだして、死んだ。以後、珍奇な事と神に祀る。即ち、犬頭の社なり。その後、犬頭の糸を国主より朝廷に毎年、絹を納めた。
社記
創建は、舒明天皇(640)の時、犬上御田鍬遣唐使に関係ありと犬上氏を犬頭(いぬかみ)と書いた。
現在、桑の数百年を経た根株を保存しています。
近くに、籰繰神社(わくぐり)、服部神社がありますが、犬頭神社で繭を出し、輪くぐり神社で糸をとり、服部神社で織り上げて朝廷に献上していたそうです。犬と美女は対になっている。服部は、機織りの女子。応神記、呉から来て、宗像氏にひとり。大倭にひとり。
七海注記、竹+矍の合字は糸を巻きつける具。音はワク。
輪くぐり神社は、月の輪熊、そして茅の輪と同様に、これは、糸を巻いたような状態を指すのでしょう。祭神は雄略天皇、稚むすび神となっています。雄略紀、大きな白犬が出て来ました。これを中国では(白)龍と言う。
また、犬頭神社は佐奈川辺にあり、「さなぎ」と関係しての銅鐸が出土しています。
保食神は、日本書紀に出ています。
天照大神は、月夜見尊(つきよみそん)に、「保食の神がおられるので、お前行ってみて来なさい」という。すると、月夜見尊は、保食神を殺していた。死んだ月夜見尊は、蚕などが生まれていた。「お前は悪い神だ」と天照大神がいう。
月夜見尊とは、月読尊とも表記されます。月の見えない晦日(みそか)で毎月の末日を示す神です。
なぜならば、音読みにすれば、月闇(げつあん)だからです。次に、朔日(ついたち)がくる。これは細い月が見えますから、新月という。
どうして、蚕が生まれたのか、解りません。細い月が始まりで、糸巻と掛けているのか解釈不能ですが、常陸風土記も暗闇で、他人が見るのを避けて機織りしていました。
人間も動植物も、蚕も、暗闇から生まれてくるのでしょう。なお、天照大神は、口から蚕を吐いた神で、織り女に機織りを教えていました。天照大神は、金龍と同じで、豊前市の金富神社です。
また、東大寺に青衣の女が、唯一現れた。伊勢比丘尼でしょう。
2糟目犬頭神社(かすめけんとう)
愛知県岡崎市宮地町
祭神:彦火々出見尊、伊邪諾尊 伊邪册尊 素戔嗚命 犬頭霊神。
三河の上和田城主宇都宮泰藤が、鷹狩りの際に、神社の境内の大杉の下で休憩をして眠りこんでいた。
すると、大杉から大蛇が降りて来て、城主を襲おうとしていたが、その時、連れていた白犬が大蛇に気付き、城主に知らせようと吠えたが、城主はまた眠ってしまった。それでも犬は吠え続けるので、眠りを邪魔された城主は、犬声に怒り、犬の首をはねてしまった。犬の首は、飛び散って大蛇の喉に噛みつき、大蛇を退治した。
城主は、後になって驚き、忠犬の霊を慰めるために、犬の頭を犬頭霊として手厚く葬った。
飼い主に忠実な犬な番犬はわかるが、酒粕の糟と目が、どうして付くのか解らない。・・・目が居眠りして、かすむのか、わかりません。酒作りにも関係するのか。
瞿(ク、グ)という漢字に関係しているのでしょう。驚いて見る義です。矍[キャク、カク]の下の又字は、鳥を手にもっている義という。やはり、驚いて見る意味です。
そして、瞿(ク、グ)の音は、借写して虞、弧となります。
意味も、驚き、畏れ見ることに、同じです。
やはり、虞氏が出て来ました。ソグド人の末裔でしょう。
弧は、みなし児ハッチーのような弧児の義です。
西域のオアシスでは、蜂蜜がよくとれます。大事な蜂の巣を外者に取られないようにしています。
京都市の蜂岡寺[広隆寺]は秦氏の氏寺、蜂栽培の人でした。牛を祭っています。月氏は禺氏、牛氏というから、秦氏は月氏信仰者でしょう。
始皇帝の先祖は、甘粛省の吉力湖です。吉力の音は秦でした。(林梅村)
3魏略の槃瓠誕生譚
高辛氏に年をとった皇后があり、耳の病にかかった。耳をつつくとなにか飛び出した。よく見ると、ちょうど、蚕のマユほどの大きさだった。これを瓢箪の中に入れ、槃(船形の皿)に容れ、覆って置いたところ、やがて五色の毛を持った犬に変わって、犬の名を槃瓠とした。
4後漢書陰識伝
臘日(旧暦の12月23または24日)、陰子力という人家に、竃神が突然現れた。彼は飼い犬の黄色い犬を生贄にして竃の神を祭ったら、どんどん財産が増えて行った。世間もこれに見習い臘日に竃神を祀るようになった。
斉の国では、犬を地羊という。楚辞の校注も、狗は黄羊という。
以上、犬は、忠実と福をもたらすものとなっています。また、吉凶を予め知らせる予知能力者でした。また、お産やカマドとも関係があります。
狆(チュウ)
ところで、中国の狆(チュウ)という漢字は、犬の「チン」という種類で、貴州省や雲南省の産地です。・・・仲の漢字も同じ意味とは、ついぞ知りませんでした。
豊前の中津市は、むかし仲臣村とも書いた。中臣氏も犬を味方にしているのでしょう。
天孫降臨の時から、継続して天皇の忠臣で、神武東征で、宇佐氏の宇佐津姫と婚姻しています。以降、大伴氏とともに、奈良大倭天皇の五大夫[五大臣]の一人として、垂仁紀に出てきます。豊前は、秦氏が沢山住んだところです。
中津市の西となり、山国川を挟んで、福富町の上流に、唐里:塔里があり、匈奴の言葉で、天を指します。 (訂正、福富町⇒吉富町)
塔里木(タリム)
関係が在るか知りませんが、西域の塔里木盆地は、タリム盆地です。
タリム盆地の南の山々を南山(崑崙山系)が東西に列なっています。
現在の和田地区の于田(うてん)県は、南山から克里雅川(クリヤ川)の中流域の町です。ケリヤ川ともいう。
于田の西隣が和田(ホ―タン、コ―タン)で、翡翠によく似た軟玉の産地です。
楚王に献上した弁和[ベンカ]の璧玉(へきぎょく)は、ここの産地と考えられます。和氏の璧という。また、殷墟の婦好墓の龍も軟玉です。
昔から、ホ―タン地域は、和田国やカシュガルの疎勒(チュルク:トルコ人)が統括していて、こともとは于塡(ウテン)と書いた。304年以来、尉遅(ウッチ)という氏・姓が王でした。尉氏ともいう。
河南・河北・山西省の境あたりに尉県があり、北魏の領域です。
また、和田地名は、日本の瀬戸内海に沢山あります。
和田地名は、安曇氏が沢山いたのではないか。住吉神の先祖でしょう。
日本の九洲にも、硬玉の翡翠に似た軟玉の玉が沢山出ています。ホータンと何らかのつながりがあり、交易しているものと考えます。
和田の言語は、ホ―タン・サカ語を話していました。
これが、トカラ語なのか、大問題になっています。
蜀犬、太陽に吠える。呉牛、月に喘(あえ)ぐ。
蜀[四川省]は、曇天の日が多く、たまに出てくる太陽を雲間に見た犬は、太陽を怪しんで吠える。
呉は、気侯の熱い所、呉の牛が夜の月を太陽と間違い、月が出れば、呉牛は熱いとあえぐ。
この度の地震、お気の毒におもいます。せめて救助犬が助ける事を願うばかりです。
20世紀、21世紀の近代とは、科学技術は発達しました。しかし、社会科学は、古代に、少々追いつこうとしていますが、古代復元は、至難の業と思っています。
きょうも、難題、難儀な話です。
1犬頭神社
愛知県豊川市千両町(ちぎりまち)糸宅
主祭神:保食神(うけもつかみ)
今昔物語に三河国、犬頭糸の語の条に、郡司の妻が養蚕を営んで居たところ、飼犬がこの蚕をみな食いて、妻は、大いに嘆〈、その犬鼻穴より絹糸を大量にだして、死んだ。以後、珍奇な事と神に祀る。即ち、犬頭の社なり。その後、犬頭の糸を国主より朝廷に毎年、絹を納めた。
社記
創建は、舒明天皇(640)の時、犬上御田鍬遣唐使に関係ありと犬上氏を犬頭(いぬかみ)と書いた。
現在、桑の数百年を経た根株を保存しています。
近くに、籰繰神社(わくぐり)、服部神社がありますが、犬頭神社で繭を出し、輪くぐり神社で糸をとり、服部神社で織り上げて朝廷に献上していたそうです。犬と美女は対になっている。服部は、機織りの女子。応神記、呉から来て、宗像氏にひとり。大倭にひとり。
七海注記、竹+矍の合字は糸を巻きつける具。音はワク。
輪くぐり神社は、月の輪熊、そして茅の輪と同様に、これは、糸を巻いたような状態を指すのでしょう。祭神は雄略天皇、稚むすび神となっています。雄略紀、大きな白犬が出て来ました。これを中国では(白)龍と言う。
また、犬頭神社は佐奈川辺にあり、「さなぎ」と関係しての銅鐸が出土しています。
保食神は、日本書紀に出ています。
天照大神は、月夜見尊(つきよみそん)に、「保食の神がおられるので、お前行ってみて来なさい」という。すると、月夜見尊は、保食神を殺していた。死んだ月夜見尊は、蚕などが生まれていた。「お前は悪い神だ」と天照大神がいう。
月夜見尊とは、月読尊とも表記されます。月の見えない晦日(みそか)で毎月の末日を示す神です。
なぜならば、音読みにすれば、月闇(げつあん)だからです。次に、朔日(ついたち)がくる。これは細い月が見えますから、新月という。
どうして、蚕が生まれたのか、解りません。細い月が始まりで、糸巻と掛けているのか解釈不能ですが、常陸風土記も暗闇で、他人が見るのを避けて機織りしていました。
人間も動植物も、蚕も、暗闇から生まれてくるのでしょう。なお、天照大神は、口から蚕を吐いた神で、織り女に機織りを教えていました。天照大神は、金龍と同じで、豊前市の金富神社です。
また、東大寺に青衣の女が、唯一現れた。伊勢比丘尼でしょう。
2糟目犬頭神社(かすめけんとう)
愛知県岡崎市宮地町
祭神:彦火々出見尊、伊邪諾尊 伊邪册尊 素戔嗚命 犬頭霊神。
三河の上和田城主宇都宮泰藤が、鷹狩りの際に、神社の境内の大杉の下で休憩をして眠りこんでいた。
すると、大杉から大蛇が降りて来て、城主を襲おうとしていたが、その時、連れていた白犬が大蛇に気付き、城主に知らせようと吠えたが、城主はまた眠ってしまった。それでも犬は吠え続けるので、眠りを邪魔された城主は、犬声に怒り、犬の首をはねてしまった。犬の首は、飛び散って大蛇の喉に噛みつき、大蛇を退治した。
城主は、後になって驚き、忠犬の霊を慰めるために、犬の頭を犬頭霊として手厚く葬った。
飼い主に忠実な犬な番犬はわかるが、酒粕の糟と目が、どうして付くのか解らない。・・・目が居眠りして、かすむのか、わかりません。酒作りにも関係するのか。
瞿(ク、グ)という漢字に関係しているのでしょう。驚いて見る義です。矍[キャク、カク]の下の又字は、鳥を手にもっている義という。やはり、驚いて見る意味です。
そして、瞿(ク、グ)の音は、借写して虞、弧となります。
意味も、驚き、畏れ見ることに、同じです。
やはり、虞氏が出て来ました。ソグド人の末裔でしょう。
弧は、みなし児ハッチーのような弧児の義です。
西域のオアシスでは、蜂蜜がよくとれます。大事な蜂の巣を外者に取られないようにしています。
京都市の蜂岡寺[広隆寺]は秦氏の氏寺、蜂栽培の人でした。牛を祭っています。月氏は禺氏、牛氏というから、秦氏は月氏信仰者でしょう。
始皇帝の先祖は、甘粛省の吉力湖です。吉力の音は秦でした。(林梅村)
3魏略の槃瓠誕生譚
高辛氏に年をとった皇后があり、耳の病にかかった。耳をつつくとなにか飛び出した。よく見ると、ちょうど、蚕のマユほどの大きさだった。これを瓢箪の中に入れ、槃(船形の皿)に容れ、覆って置いたところ、やがて五色の毛を持った犬に変わって、犬の名を槃瓠とした。
4後漢書陰識伝
臘日(旧暦の12月23または24日)、陰子力という人家に、竃神が突然現れた。彼は飼い犬の黄色い犬を生贄にして竃の神を祭ったら、どんどん財産が増えて行った。世間もこれに見習い臘日に竃神を祀るようになった。
斉の国では、犬を地羊という。楚辞の校注も、狗は黄羊という。
以上、犬は、忠実と福をもたらすものとなっています。また、吉凶を予め知らせる予知能力者でした。また、お産やカマドとも関係があります。
狆(チュウ)
ところで、中国の狆(チュウ)という漢字は、犬の「チン」という種類で、貴州省や雲南省の産地です。・・・仲の漢字も同じ意味とは、ついぞ知りませんでした。
豊前の中津市は、むかし仲臣村とも書いた。中臣氏も犬を味方にしているのでしょう。
天孫降臨の時から、継続して天皇の忠臣で、神武東征で、宇佐氏の宇佐津姫と婚姻しています。以降、大伴氏とともに、奈良大倭天皇の五大夫[五大臣]の一人として、垂仁紀に出てきます。豊前は、秦氏が沢山住んだところです。
中津市の西となり、山国川を挟んで、福富町の上流に、唐里:塔里があり、匈奴の言葉で、天を指します。 (訂正、福富町⇒吉富町)
塔里木(タリム)
関係が在るか知りませんが、西域の塔里木盆地は、タリム盆地です。
タリム盆地の南の山々を南山(崑崙山系)が東西に列なっています。
現在の和田地区の于田(うてん)県は、南山から克里雅川(クリヤ川)の中流域の町です。ケリヤ川ともいう。
于田の西隣が和田(ホ―タン、コ―タン)で、翡翠によく似た軟玉の産地です。
楚王に献上した弁和[ベンカ]の璧玉(へきぎょく)は、ここの産地と考えられます。和氏の璧という。また、殷墟の婦好墓の龍も軟玉です。
昔から、ホ―タン地域は、和田国やカシュガルの疎勒(チュルク:トルコ人)が統括していて、こともとは于塡(ウテン)と書いた。304年以来、尉遅(ウッチ)という氏・姓が王でした。尉氏ともいう。
河南・河北・山西省の境あたりに尉県があり、北魏の領域です。
また、和田地名は、日本の瀬戸内海に沢山あります。
和田地名は、安曇氏が沢山いたのではないか。住吉神の先祖でしょう。
日本の九洲にも、硬玉の翡翠に似た軟玉の玉が沢山出ています。ホータンと何らかのつながりがあり、交易しているものと考えます。
和田の言語は、ホ―タン・サカ語を話していました。
これが、トカラ語なのか、大問題になっています。
蜀犬、太陽に吠える。呉牛、月に喘(あえ)ぐ。
蜀[四川省]は、曇天の日が多く、たまに出てくる太陽を雲間に見た犬は、太陽を怪しんで吠える。
呉は、気侯の熱い所、呉の牛が夜の月を太陽と間違い、月が出れば、呉牛は熱いとあえぐ。
この度の地震、お気の毒におもいます。せめて救助犬が助ける事を願うばかりです。
20世紀、21世紀の近代とは、科学技術は発達しました。しかし、社会科学は、古代に、少々追いつこうとしていますが、古代復元は、至難の業と思っています。