新羅考4(韓國の意味)
「倭奴國を考える」に於いての課題は、「からくに」でした。
「韓国に八龍の旗をたて、(神功皇后は)日本の神となれり」
(宇佐八幡託宣集)
戦前から、神功皇后の三韓征伐は、慶州新羅を代表して、皇后は、慶州を征伐したと解釈されています。いまの日本書紀の訳本も慶州ですが、誤りです。
韓國の意味は、慶州の閼川(アリナレ)ではなく、英彦山を源流とし、田川市を流れる彦山川です。
日本書紀の神代紀に登場する天忍穂耳尊が、降臨しようとした山は、英彦山でしょう。
むかし、新羅の國の神、自ら渡り来て、この河原(田川市の彦山川)に住みき。(豊前國風土記逸文)
この新羅は、新盧です。漢代は、楽浪にいました。
1 スサノオ、ソシモリから、土船で帰還を指している。(古事記)
そして、あとからも子孫がくるのでしょう。
2 項浦新盧からも、延烏郎が、157年に来て、宇佐市に辛島郷あり。
3 高麗の意呂山から新羅王子の天日矛が、巻向の垂仁天皇の宮に、やってきます。
こんな様子ですが、豊前の宇佐市・閤と言う地名は、辛島郷の隣にあります。これも、新羅即ち倭奴國でした。
また、魏志倭人伝に言う、「邪馬壹國に、楼閣あり」の閣は、閤という地名と同じ意味です。官名の彌馬獲居(ミバカキ)が居るのでしょう。
閣は、閤で、官僚の居るところで、政治をする庁舎です。卑弥呼の居所の大尾山東面では、ありません。
また、福岡市東区に和白(わじろ)と言う地名がありますが、
日本の新羅、即ち、新盧は、この会議場で政策会議したのです。
壹與の後の男王・邪馬壹國(やばい)は、531年まで、そのまま続いています。國名が代わったという記録は、神功皇后紀の日本しかありません。
うしろで、傀儡の狗奴國が支えしていたのでしょう。
倭奴國を考える の再録をしますと、
狗奴國:倭奴國:倭國の順に、國名が変遷していました。
時を逆にする「けったいな連中」でした。
これらが、新羅と判明しました。
すると、日本書紀の神功皇后紀の新羅は、とりもなおさず、倭國と言い換えてもよい。このようになります。
なぜならば、スサノオは、又の名が新羅大明神ですから。
神功皇后紀に戻します。
新羅王は、自ら後ろ手に縄でしばり、神功皇后に降伏しました。そして、百済も高麗も、新羅が降伏したと聞いて、勝てない事を悟り、戦わずに、服属しました。
間接的には、神功皇后は、半島にも、ひろく散在した三韓(高麗・百済・新羅)を知っていて、宝や貢ぎが、海外から入る算段をしています。
引き続き、神功皇后がいう半島の三韓と日本の新羅を取り上げます。
追記(2・28)・・・重要事項
最後に、契丹人が言った高麗(こうらい)の出自を新羅と言う奇妙な発言の意味を、どのように考えられましたか。
契丹人は、高麗の源流は、もと新盧からの支流と、知っているから、高麗は、新羅の出、と暴露しているのです。
これでつじつまが合いました。
なお、高麗(こうらい)王は、日本に居た高麗(こま)と同じ、王氏でした。
七海は、見逃すところでした。
「倭奴國を考える」に於いての課題は、「からくに」でした。
「韓国に八龍の旗をたて、(神功皇后は)日本の神となれり」
(宇佐八幡託宣集)
戦前から、神功皇后の三韓征伐は、慶州新羅を代表して、皇后は、慶州を征伐したと解釈されています。いまの日本書紀の訳本も慶州ですが、誤りです。
韓國の意味は、慶州の閼川(アリナレ)ではなく、英彦山を源流とし、田川市を流れる彦山川です。
日本書紀の神代紀に登場する天忍穂耳尊が、降臨しようとした山は、英彦山でしょう。
むかし、新羅の國の神、自ら渡り来て、この河原(田川市の彦山川)に住みき。(豊前國風土記逸文)
この新羅は、新盧です。漢代は、楽浪にいました。
1 スサノオ、ソシモリから、土船で帰還を指している。(古事記)
そして、あとからも子孫がくるのでしょう。
2 項浦新盧からも、延烏郎が、157年に来て、宇佐市に辛島郷あり。
3 高麗の意呂山から新羅王子の天日矛が、巻向の垂仁天皇の宮に、やってきます。
こんな様子ですが、豊前の宇佐市・閤と言う地名は、辛島郷の隣にあります。これも、新羅即ち倭奴國でした。
また、魏志倭人伝に言う、「邪馬壹國に、楼閣あり」の閣は、閤という地名と同じ意味です。官名の彌馬獲居(ミバカキ)が居るのでしょう。
閣は、閤で、官僚の居るところで、政治をする庁舎です。卑弥呼の居所の大尾山東面では、ありません。
また、福岡市東区に和白(わじろ)と言う地名がありますが、
日本の新羅、即ち、新盧は、この会議場で政策会議したのです。
壹與の後の男王・邪馬壹國(やばい)は、531年まで、そのまま続いています。國名が代わったという記録は、神功皇后紀の日本しかありません。
うしろで、傀儡の狗奴國が支えしていたのでしょう。
倭奴國を考える の再録をしますと、
狗奴國:倭奴國:倭國の順に、國名が変遷していました。
時を逆にする「けったいな連中」でした。
これらが、新羅と判明しました。
すると、日本書紀の神功皇后紀の新羅は、とりもなおさず、倭國と言い換えてもよい。このようになります。
なぜならば、スサノオは、又の名が新羅大明神ですから。
神功皇后紀に戻します。
新羅王は、自ら後ろ手に縄でしばり、神功皇后に降伏しました。そして、百済も高麗も、新羅が降伏したと聞いて、勝てない事を悟り、戦わずに、服属しました。
間接的には、神功皇后は、半島にも、ひろく散在した三韓(高麗・百済・新羅)を知っていて、宝や貢ぎが、海外から入る算段をしています。
引き続き、神功皇后がいう半島の三韓と日本の新羅を取り上げます。
追記(2・28)・・・重要事項
最後に、契丹人が言った高麗(こうらい)の出自を新羅と言う奇妙な発言の意味を、どのように考えられましたか。
契丹人は、高麗の源流は、もと新盧からの支流と、知っているから、高麗は、新羅の出、と暴露しているのです。
これでつじつまが合いました。
なお、高麗(こうらい)王は、日本に居た高麗(こま)と同じ、王氏でした。
七海は、見逃すところでした。