どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

潜伏の義

2010年12月12日 00時12分06秒 | 狗奴國
潜伏の意味

本日中、全面的に文章を補足しました。大意は変わりません。これでも、なお、難しいと思っています。
きょうは、紛らわしいこと、この上なしの話となります。
まず、朝鮮三国に、高句麗(率本:垣仁)、百済(初め十済)、新羅(慶州)があります。一方、百家の百済(狗奴国)は、高麗[狛]、新羅(しらぎ)、俀(たい)、中国人の混成です。さらに、前107年の高句驪、句驪(貊族)が居る。
そして、高驪が居ます。これらを大筋で区別する話です。

沈陽市は、現在、遼寧省瀋陽市の一角にあり、水雫(みずしずく)と陽(ひかり)の意味です。龍が居ます。

朝鮮半島の三国は、三韓と異なりますが、
どう考えてみても、三国高句麗(コグリョ)が垣仁から丸都へ移れたのは、高句驪:黒馬が三国高句麗に潜ったに違いない。

同じ事が百済(ぺクジュ)の泗沘(南扶余:一名所夫里)ではないか。・・・全体を包んでおいて隠れる。中国の皇帝を利用する。倒れると別國を作る。・・・鬼を使う歴史はこの繰り返しとみます。
鼻荊郎は鬼を使って一晩で橋をつくる。(三国遺事)

任那は、太古の国ですが、六伽耶の盟主国で、560年に滅亡。その後、任那彦神社のある能登の穴水町へ往く。滅亡したはずの任那[代表地点の現伽耶]が能登にまだ存在する。証拠は、623年、曽我馬子が任那の貢を奪うのに、早すぎたという。船がもう一隻あったので、悔しがる。慾張り爺、丸だしでした。

漢書地理志
玄菟、楽浪,武帝の時代に置いた(前108年、1年遅れ玄菟郡設置)。いずれも朝鮮、濊貉、句麗、蛮夷という。殷(商)朝の徳が衰退し、箕子がこの朝鮮に行った。そこの民に礼儀や農業養蚕を教えた。
高句驪「遼山遼水所出。西南、至遼隧、入大遼水。又有南蘇水、西北、経塞外。王昭曰、故(むかしの)句驪胡」・・・七海注記、高句驪(黒馬:黒龍)の別種の句驪は貊(バク)族で、春川にも居ました。全体を胡というが、蛮も居ます。また、前107年、玄菟郡に属し、高句驪県という(梁書)

括地志
高驪の都の平壤城、元は漢の楽浪郡。王險城は、また、そこは古の朝鮮の地である。・・・七海注記、高驪(高麗と高句驪)は、313年、317年、三国高句麗(コグリョ)が取る以前の支配者です。おそらく、後9年の都慕大王まで遡ると推定できます。

宋書の百済、梁書の百済、新唐書の高麗
百済は、はじめ、高驪とともに、遼東の東1000里に在った。その後、高驪は、遼東を占領し、百済(くだら)は遼西を占領した。百済の出先機関の在ったところを晋平郡晋平県という。梁書に同じ記事あり。・・・新唐書高麗は、国を建てて900年になる。
これらは、三国史記の百済や高句麗と全く異なった国です。なぜならば、高麗は、国を建てて900年だからです。三国高句麗は、前38~後668だから異國です。後述の潜る参照のこと。

隋書の百済
晋書馬韓伝には、本記と含めて、東夷が西晋へ18回行っています。うち286年に馬韓等11国が一回だけ、行っています。
・・・隋書では、最初、百家で海を渡ったので、それに因んで國名を百済と云った。十数代あとに仇台(くい:粟杙:ソグド人)がいる。百家は、百済、高麗、新羅、俀、中国人の混成の連中で、これは、もとをたどれば、狗奴国の連中でした。慰仇台(いぐい)も同じで、慰めが暴露記事です。よく頭を外す癖があります。

潜るという漢字
潜伏の義で、生口(せいこう)は奴隷ですが、間諜(スパイ)、あるいはスパイ的に変化するとみる。例示、唐の捕虜から出世した部将となった高仙之が居ます。

三国以外の連中は、三国の百済(ぺクジュ)、高句麗(コグリョ)に潜る、潜伏するのでしょう。
三国の百済や高句麗を大きくしたのは、狗奴国から渡った百家の百済が潜ると考えます。先祖の伯済や楽浪王氏(開城)の子孫の連中は、もともとの故地へ、帰って来たのでした。すでに公孫氏伝の帯方(旧楽浪)で判明しています。
また、日本の百済(くだら)は、神武の時から居ます。ヤタカラスは、下賀茂神社の祭神:賀茂武津野臣尊で、奈良から京都へ移ってきています。

潜は沈陽市の沈に同じ。水を基本として、蔵(かく)れる。また、忍ぶ義です。
総じて、こっそり隠れている意味で、偽態、もどきの意味です。
沈陽:瀋陽で、高驪が遼東を取った。上記の宋書・梁書百済、新唐書の高麗をさしているのでしょう。この先祖は高句驪:黒馬で、三国高句麗以前の国です。
水系注は、水下に両石牛ありという。七海は、ふたつの石牛が居るとは、ついぞ知らなかった。顕宗3年の壱岐には、月読尊が居て、一大国に属す武淳河尊:一大率を守っています。地域を暗闇にする月夜見(つきやみ)が守りです。京都市北野神社は、牛天神を祀る。

水の深いところを淵、潭という。また、忍びを意味するから、行田市忍町、桜井市忍坂、奈良市忍熊も。二丈町深江、山代大国之淵氏、景行紀の九州大船山麓の玖潭(くたみ)も指しています。玖潭は救民ともいうから、経世済民[経済]の初見とみます。

辰韓の原語の邦は、みな水でつながる連邦の義です。

証拠としての所夫里
百済聖王が、任期途中の537年、都を泗沘(一名所夫里)に移し、(突然として)國名を南扶余に代えた。所:初:曾だから、曾夫里:曾夫利:ソフリ、ソフル。利の例示:阿テ利為(あてるい)のル。
結局、曾褒里:添で、みな、そほりと同じです。百家の百済(くだら)が百済(ぺクジュ)に潜ったのでしょう。あえて言うと、唐を借りて滅亡させる為です。

おそろしく、戦略的な連中で、統一新羅を造るためでしよう。理由は、慶州は少昊金天子の末裔。金天子の不肖の息子・窮奇も、素戔鳴烏の先祖でした。
これで、豊前国が大本営で、傀儡(かいらい)は、月支国、目支国の天安市に、後9年から都慕大王が占め、44年廉斯錯が跡目でした。魏の時、新盧、晋の時、斯盧という。盧氏:めしひつ。弁当箱の箱、あるいは目支櫃:飯櫃[めしびつ]を隠していました。福岡市東区箱崎八幡が重要です。
旧前原市の八龍の森に、葉木国野尊、葉木:箱です。もまた、大漢國の吐木(はき)、九州の杷木町も同じ連中です。・・・後述の八重垣参照のこと。

大漢國~アルメニア
東北は、青森・秋田の境の白神山地を代表地点とする大漢國は、西域にもつながる邦(くに)でした。神武の時の金鵄鳥がここにあります。
おそらく、小さな國は、豊前国の新羅大明神を担ぐ連中、これが本部で、西域にも連なった大帝国と考えられます。鏡に三夷服すと書いた連中です。中国の周りを支配しているのでしょう。
例示
中っ國は、五部五方の原理で治まります。例示すれば、馬韓王:辰王の月支國、又は目支國が三韓を支配した。中心の1部族と周りに四部族四方が居ます。中国の歴代皇帝は、鬼神を祀ります。
インドのマカダ國は、豆粒ほどの国、これが南インドを除いて全土を支配して居ました。
・・・これらと同じ原理だとみます。
日本書記が宇図という。渦巻きの原理です。また、これを八重垣というが、素戔鳴烏の言質(げんち)でした。

マルキストが、国家の部品を解体して機能研究する。これを別の言葉で置き換えます。神道とかけて、玉ねぎを一皮ずつ剥ぐ。さすれば、中には何もニャー。無。

なお、150年頃登場の鮮卑の壇石塊は河伯の子孫ですが、やはり鮮卑の五部のひとつに、始祖を東明とする後裔がいます。
金蛙の子は、7人。子孫は七族在るのでしょう。しかも、金蛙:金蝸(牛)とも云うから、四川省の蝸牛カタツムリです。先述の両石牛と関係あり。
本家:東扶余の六人の子は何処へ行ったのでしょう。
鮮卑の前の勿吉(確実視可能)、末葛、沃ソなどではないか。

二重王権という学者がいますが、この場合は、傀儡子(くぐつ)です。この学者は、二重を定義していないので、八重垣の意味を知らず。八重は、へびのどくろ巻で天皇の守り神でした。自称クソマルの武速素戔鳴烏は、うんこと相似形、もまた台風で、須佐之男(すべからくたすけにゆく男)。ゆえ、はじめて、須佐之男を神輿で担ぎ、1年掛けて奈良へゆく。奈良東大寺に手向山八幡ができる。
東大寺の盧遮那仏(ろしゃな仏):バイローチャナ(梵語)、
武塔大神は、末盧國の盧氏:狗奴国、言外に盧氏を讃えているのではないか。
あるいは忍ばせるのでしょう。偲ばせる。慕韓、都慕大王の慕でした。

あらけずりですが、凡その骨格が見えて来ました。
水の精の河童は、世界的に有名で河伯が御先祖でしょう。
水辺で馬の足を引っ張り、人騒がせするだけの事があります。
もともとは、西域の翕{キュウ}族です。

水は、方円の器に従う。微小の水滴は、光と結合し、日月に光の輪をつくり、虹、オーロラをつくる。みな龍の為せるところでした。包む、隠れる、帝を利用、別国の後継を作る。この繰り返しとみています。

団子虫

2010年12月05日 00時04分23秒 | 狗奴國

ポローっと、お尻を脱いだところ。脱皮後、脱いだ白殻を自から食べる。
写真:今森光彦「ダンゴムシ」アリス館2002

団子虫
誰のことですか。

アフリカのアルマジロ、まるで、かたい甲冑を着ていて、危険が迫ると、ボールのように丸くなる。危険が去ると動き出す。七海の子供のころ、団子虫という名前を知らず、アルマジロと言っていた。団子虫を俗にマイマイともいう。むしろの下に一杯居る。落ち葉を食べて土壌を肥沃にする。

以下、丸いものをならべます。
マリ、手毬、蹴鞠、ボール、サッカーボール。
サッカー選手は、蹴鞠の神さま、京都市の白峰神社へ往きます。
思い当たるのは、八坂神社の円山公園です。
また、西宮市の甲山は、まるで人の頭、蚩尤や共工の頭突きです。
そして、禅宗を日本へもたらした達磨大師です。水すましの円弧描きの動きと同じでしょう。

団子は、また、桃太郎の鬼退治に持ってゆく黍団子です。

晋の重耳:文公は、日暮れて、ある家に食と宿を乞うと、土団子が出て来た。
蘇民将来の金持ちの巨タンが、宿を貸さずに、いけずした。
みな、瓜と洪水神話にまで遡る話です。

水たまりの甲殻類のミジンコも、雨が降れば生きかえります。団子虫やミミズも土を豊かにする。・・・七海の驚きは、まさか、人が食用可能!
団子虫の知識
甲殻類の仲間であるダンゴムシは、ヒトが食べることができる。餌が落ち葉や「わら」なので美味とは言えないが、災害時の非常食として利用できる。加熱して、ポップコーンのように弾けると食べごろである。ちなみに近隣種のフナムシは死体あさりをする種のためか刺激味がして非常に不味い。 落ち葉を食べて、微生物が分解しやすい状態にするダンゴムシは土壌を豊かにする。 甲殻類(こうかくるい)とは節足動物甲殻亜門に属する動物の総称。分類学的には甲殻亜門(Crustacea)と呼ばれる。 エビ、カニ、オキアミ、フジツボ、ミジンコなどを含む非常に大きなグループで、深海から海岸、河川、湿地まで、あらゆる水環境に分布する 。(ウィキぺディア)

どうやら、脱皮するものを古代人が好むのでしょう。
武塔大神は、須佐之男の異名ですが、どんな生態でしょうか。

いざという時しか、武を使わず。
普段は、団子虫のようです。めったやたらに、交戦しない。むしろ、すすんで、寄らば大樹(帝)の陰に居ます。
ある時はアメフラシ、ある時はカタツムリ、ある時は潜る、地芳峠:土は芳しい。・・・怪人九十九面相でしょうか。落語の寿限無さんと同じく、名前が多すぎます。子孫も大国(やまと)です。

葉隠れ。朝起きたら、何時でもどこでも、死ぬ覚悟で生きる。武士道の原典です。

武の漢字の止
止め・・・息め、やめ、とめる。・・・司馬相如のような人。
止む・・・進む、すすめる。・・・いざという時のみ、戦う。

紀州の殿さまは、毬が好きです
てんてんてんまり、てんてまり、天天手毬の手がそれて、表の通りへ飛んでーえた、飛んでった。・・・てんの音:添:纏・・・曾褒里、纏向(まきむく)
落語の時限無。八坂さんの円山:地球。一方で、よく阿蘇ばれ、ました。

きょうは、植物を育むはなしをふたつ付加します。
水の力と肥沃土の力
1水の浄化、川の自淨作用
今から、およそ4千年前、人々は「都市のよごれた水を集めて遠くの川へ流す水路」をつくりました。これが下水道のはじまりです。
そして時代が進んだある時、水路の出口の水が、入口よりきれいになっていることに気付きました。研究をかさねていくと、それは自然の川が持っている自浄作用と同じことだとわかったのです。そこで機械の力を使って、もっと短い時間、小さな面積で、川の自浄作用と同じことができるしくみをつくりました。
今から約100年前、イギリスのロンドンのことです。これが、「水をきれいにしてから流す」現在の下水道のはじまりです。(以上、千葉県下水道課のブログ)
2土の中の微生物
「我々がアメリカ、ベトナム、中国で行った実験結果は、完熟堆肥を用いれば葉・枝・根のいずれにおいてもあらゆる種類のバクテリアや菌類による病害を抑制できることを明確に示した。

「ベトナムでは Greening Disease という病気が柑橘類に広まり、アジア各地やアメリカで大被害をひきおこしていた。対処法は木を切り、土を焼き、別の作物を植えるしかない。そこへ我々が実験用の完熟堆肥を施すと病気にかかった木が再び葉を茂らせ、花を咲かし、感染していない果樹を実らせた。同じ完熟堆肥で農薬なしに病害ゼロの稲を育てることもできた。アリゾナ州とアーカンソー州の実験では、同じ完熟堆肥が綿花の根の病気、rot blight pythium、フザリウム属凋枯症、線虫などの病害を防いだ。中国では病害の被害を受けた畑で完熟堆肥を使ってジャガイモを栽培すると、まったく感染していない芋が収穫できた。

「成功例はまだまだ山ほどある。この結果のポイントはバランスのとれた土壌微生物圏が病害抑制として機能しているということだ。現代農業がこのバランスを壊してしまったため、病害の問題を引き起こしてしまった」
バクテリアの他にも
ミミズ、ヤスデ・クモ・昆虫などの節足動物、菌類、放線菌、藻類、原生動物、線虫など「小さいバクテリアから大きなミミズや昆虫まで、土の中の生物は互いに複雑に関係しながら全体の土壌生態系を形成している。
肥沃な表土1エーカーには、約4トンの土壌微生物が生活していると言われている」
科学的な堆肥作りの技術は1930年代に開発された。堆肥作りそのものはずっと昔から行われており、スパニッシュ・アラブは堆肥作りの名手だったし、中国や日本の農民はあらゆる有機物を土に戻してきた。でも20世紀初頭に行われた科学的な研究の積み重ねにより、だれもが比較的簡単に修得できる堆肥作りの知識と技術が確立され、それが世界に広まっている。
栄養からっぽの野菜たち(有機農野菜と市販野菜の栄養度の違い)
命あるものはやがて死ぬ。そしてその身体は土に戻り、新しい命の誕生のために使われる。これが自然界の循環の法則。有機農を手がける人たちは堆肥を作ることにより、この循環の最後の部分を強化・促進する。有機物の残骸を上手く分解させることにより、土にとって最高の食事を用意するのだから。こうして土が生き返り、耕地は肥沃な土と生産力を維持することができる。

成長と腐植の循環は、よく車輪の動きに例えられる。生物の誕生と成長は主に日の当たる部分で行われ、腐植と分解は地中で行われて次の生命の誕生を調える。成長の部分だけが加速されると車輪は壊れ、自然のバランスが崩されて病気や害虫が発生する。堆肥作りはこの成長と腐植の車輪の、腐植の側を促進することにより車輪全体の回転を速める。車輪全体が速く回れば、作物の成長も促進される。
「自然の意に添った働きを人間が行ったとき、人間は自然から最高の恩恵を授かることだろう。」- 易経
(以上、手づくり企画「ジャーニー・トゥ・フォーエバー」)
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人面魚

2010年12月04日 00時09分54秒 | 狗奴國


河南省仰韶文化の紅陶、西安半坡遺跡。文物出版社。
林巳奈夫「中国古代の神がみ」より。

人面魚

仰韶文化の紅陶[中国語ヤンシャオ文化]。漢文では、ギョウショウの音です。

人頭魚体は、中国古代の土器に描かれています。
西安近くの半坡遺跡の盆に描かれた人面魚です。たぶん、河豚でしょう。

河豚の中には、淡水に、塩水と淡水の混じるところに棲むから、河が付きました。ブタがつくのは、肥えているからです。そして、歯は鋭く、共食いもします。人頭というからには、人面魚ともいわれています。

月に豕(シ)
豕は、日本では、猪。中国では、豚です。猪の本字は豩です。ある本では、豚は月夜に謡うそうです。

筑後の水瀦郡は、水たまりの意味で、ほぼ、円を描くことが多いとみます。豕(いのこ)の字も含まれているから、やはり、河豚が隠れています。
河豚は、肥えたさまを表す、また、日本の古語ではフクで、福とかけていました。肥前・肥後の肥です。

これが、虎フグであれば、オコゼの虎顔と混同します。ややこしい連中です。皿鉢に描かれているので、河豚の福でしょう。
まさか、河豚の毒は皿鉢に盛りません。
虎魚(おこぜ)ではないとみます。

宗像:胸形だから、匈奴の字で、匈の下に月を書く字と同じです。この宗像三女神を崇拝するのが、水沼君:水瀦君で、阿遅古連でした。小郡市大崎町の七夕神社を、うす絹[ヒレ]を飛ばして、占った人物でした。
阿遅古連は、阿智古、閼智古と同じです。慶州新羅の金閼智と同じ音で、フンヌ語をはなします。しかし、阿遅古連は、日本の新羅大明神の後裔です。おそらく、同じくフンヌ語も話すとみます。日本にも居た百家の百済は、やはり、フンヌ語を話し、521年、中国へ遣使した慶州新羅の通訳でした。

匈奴は、初め大月氏の臣で、人質を入れています。匈奴はトルコ人、またはトルコ系モンゴル人と言われます。
現伽耶:もと任那も徳島の美馬も富山の沼名川姫もペルシャ人、あるいはペルシャ系トルコ人とひそかに観ています。
慶州の通訳は、徳島の美馬市、もと美馬町の百済人でしょう。あるいは、鴨氏でしょう。

そして、踰[ユ]が肥える意味であるから、朝鮮の狼踰嶺の蓋國:西蓋馬と通じるのではないか。

前221年以前から
蓋國や青森県の大漢國は、燕に属す。燕の巨大さは、西域の月氏、次の匈奴に通じていたのではないか。月氏は匈奴に負けて、大月氏は西域のバクトラへ行きます。小月氏は青海省(チベット)に居ました。


前221年以前は、どこまで遡るのでしょうか。前1027年、周が殷を討つに当たって、末盧國の盧氏の先祖は、後方支援をしていました。

なお、脱解王の故郷は、周防國の佐波で、佐波を魚の鯖の表記もされていました。これは、鯖河豚でしょう。トラ河豚に比べて、小さく、味も一段落ちます。
脱解王の親父の含達婆王は、誰でしょうか。トラ河豚信仰者でしょう。

夏王朝は、夏暦を使います。すなはち、北斗七星の柄杓の柄が、12支の寅を指す月を正月としていました。夏王朝の6代目の支流である日本の天皇の先祖です。
もまた天照大神の先祖、素戔鳴烏の先祖。子孫は、中国各地に沢山居たのでしょう。

ところで、河伯は水の神でした。
河伯は、人の姿をして、白い亀や竜、あるいは、竜が曳く車に乗っている。また、白龍もしくは人頭魚体に変身する。

人頭魚体は、河伯をもろに語っているのではないか。

熊野大神の熊は、ユウの音で、又[ユウ]で水の精です。
有もユウの音、旧前原市、神有地名は、魏志倭人伝の奴国です。
頭の拘や狗をワザと付けずにつながるように、成っていました。

有は大国主の紋です。東大寺山鉄剣の制作者は、主又(シュユウ)も然り。


本年は寅年、景気が悪い年でした。来年のことをいうと、鬼が笑う。
そう言わずに、仕事の虫。仕事の鬼。その前に国民に仕事させて下さい。
宮城県石巻市桃生:鬼方さん。中国の犬戎國:人身犬頭。人身狗頭の奴さん、
よろしく。
はたして、御利益ありか、否か。

追記
陶鉢の縁に⇒が書いてありますが、方位を指しています。手前が西で、大陸部でしょう。左が北、右が南ですから、人面魚は東北に描かれています。
では、東南のもう一つの絵は、何でしょうか。

鉄の溝蓋に見える。足が四つ。格子状の「すのこ」に足が四つ。
女渦が大亀の足を切って、天地をつないだ話と受け止めます。大地は亀の上に乗っていることを、モデル的に示したのでしょう。

やはり、河伯は、黄河と長江の神でした。
総じて、人面魚と大地の載亀の絵は、中国の沿海部を描いていました。


白山比味大神3

2010年12月03日 10時44分52秒 | 狗奴國
白山比味大神3

年表は「白山大神宮御鎮座伝記」に基づき、崇神天皇の七年(書紀の前91)から始まります。実年は200年頃です。その後、白山信仰は、泰澄[682~767]による白山登拝(とはい)の創始から全国に流布され有名になりました。実際に、養老6年(722)、元正天皇の病気平湯の功があった人物です。

修験は、鍛練や長生き、仙人と関係します。これと白頭山の白頭は、似たようなものでしょう。白頭は、山が雪をかぶった状態です。真如の光では、金色の山に染まります。赤富士は、夕焼けに染まった色です。富士山の別名は、阿祖山ですから、素戔鳴烏でしょう。
白山の大汝峰は、大巳貴です。

白頭は、八十、あるいは白寿の意味ではないか。白寿は、九十九歳だからです。また、白は、自(鼻)の意味で、鬼は、宇佐の亀山の北階段を九十九段つくり、百に拘っています。百段作ると、百足(むかで)になり、蛇が負けると云うのでしょう。

ところで、伊勢国明和町に、竹神社あり、祭神は、長白羽神、宇加之日子を祀っています。白頭山は、長白山というから、長白が雪を被って、羽(衣)を被った状態を指しています。宇加之日子とは、何でしょうか。倉稲魂(うかのみたま)は、稲荷です。山がキツネ色:金色に耀くのではないか。最も金色山は、穂積後の稲穂を積んだ山と掛けています。

こんなところしか、解りません。

檀君、桓雄、桓因・・・熊や虎、そして楽浪の阿斯達に降臨するという。

阿斯達
平壌の大城山ではないか。大を狗に代えると、狗城(くき)となり、窮奇:九鬼と同じでしょう。少昊金天氏の末裔で素戔鳴烏の先祖でしょう。

証拠
キトラ古墳は、平壌からの天体図でした。また、旧唐書がいう卑弥呼の都から14000里でした。帯方の境の崎離営の北2000里ですから、帯方の境から卑弥呼の都まで12000里でした。
九州には、大城山が点々とあります。

荒木博之編「百済王伝説の謎」三一書房1998でも、岩石山があげられ、檀君と看做されています。
ということは、曾褒里:添里(そほり)で、若草山と同じで、添上郡の由来ではないか。
また、この本でも、副題は「日向・百済・飛鳥はトライアングルだった」と記す。
飛ぶ鳥の明日香・・・金達寿は、安宿の漢字をあてて羽曳野市の飛鳥戸神社と関係するという。現在は素戔鳴烏、牛頭天王が祀られています。

一方、飛鳥坐神社は、高市郡明日香村です。延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座があるという。
出雲国造神賀詞は、大穴持命が国土を天孫に譲って出雲の杵築へ去るに当たって、自らの和魂と子女「カヤナルミ」の御魂を大和に留めて皇室の守護とすべき事を誓うが、その中に「賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せたとあり、これを当社の創始としている。(明日香村栢森の 賀夜奈流美神社)

安宿部郡は、羽曳野市ですが、問題は、明日香:飛鳥の原義です。

カヤナルミの伽耶は、任那の代表地点でした。糸島の可也山、丹後の加悦とも関係します。また、茅でもあり、チガヤで帽子にも作るカヤです。神社の茅輪くぐりでもあります。

多くの先学がトライしても明日香の原義が出てこないのは、なぜですか。

すでに、百家の百済は、バクトラから来たとしましたが、これもヒントでしょう。また、日本の百済は、翕(キュウ)族でした。

七海は、明日と香るに注目しています。
もとの白山比味から、話が飛びすぎましたが、戻してゆきます。
曾褒里:添里、阿斯達:大城山(阿斯:あし、あす)。そして、長白山:白頭山へ還ってきます。
阿斯は、足で、痛足(あなし):穴師兵頭神社で、鍛冶師と関係するでしょう。

実は、飛鳥の原義は、もっと他にありました。
コーカサス山脈南のアルメニア山地のオセット族と推定します。なぜならば、オセットはアス人ともいう。なおかつ神武紀の金鵄鳥の由来があるからです。現在のトルコにあった鉄の王国ヒッタイト、これと関係します。
今のところ、この程度です。

白山比味大神2

2010年12月03日 00時05分03秒 | 狗奴國
白山比味大神2

なぜ白山比味大神が添田町に居るのか。今日のテーマです。

スサノオの大蛇退治
簸川(ひかわ)の川上で、足那乳夫妻に出会ったスサノオが大蛇退治したからで、菊理姫、当時は、白山比味で、スサノオに臣従したのでしょう。もと河伯は若い娘を生贄によこせというから判断できます。
また、八俣大蛇は、猿田彦でしょう。猿田彦は、河伯に討たれて、八俣になった大蛇として、足那乳を攻めていたとみます。この大蛇が退治され、猿田彦も河伯もスサノオに臣従しました。ゆえに、河伯の後裔、白山比味が居ます。そして、スサノオが天孫降臨の道案内を猿田彦にさせています。
スサノオが陸の王者だけでなく、川や海も支配する王者になったのは、白い亀:河伯や黒龍を従えたからです。

証拠は、猿田彦が、天の八衢(やちまた)に居た。鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のような「赤ほうずき」の目をしていた。これは、火星で、蛍惑星ともいう。蛍惑星は、朔行するから、身丈の七ひろ、八ひろの表記です。
スサノオは、一挙に、河伯と猿田彦をやっつけて従えました。

風土記逸文では、むかし、新羅の神:新羅大明神は、渡り来て、田川の川原にきて住んだとあります。岩石山の曾褒里や香春岳にいます。

土神スサノオが勝てたのは、五行で、土は水に勝利するからです。
火星は、自然の火:火山の火ではなく、蛍惑星:火の精です。スサノオは、酒を飲ませて猿田彦を討ったのでした。また、庚申堂として祭られる猿田彦は、泰山府君を恐れていました。そして、神武が天香具山の土で瓶をつくり、酒を飲ませて、長脛彦の部隊を討った記事と共通しています。


越の八口

火星は、最も朔行して見える星、朔行は、戻るように見える逆行ですが、スサノオは、越八口を平らげた解釈を如何にするか。

越八口を八國と読めば、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、羽前、羽後です。
なぜならば、天地の相関を考慮すると、火星の朔行は、これくらいの距離になるからです。八口の口は、入口の義と、国の省略字の囗の二つをさしています。
その証拠は、モデルとしての八ひろの大きさだからです。ひろは、両手を広げた長さ。そして出雲だけが、山陰で唯一の「ズ-ズ-弁」地域だからです。越中富山の姫川の翡翠は、出雲にも入っています。その昔から、往来の在った地域でしょう。のち大巳貴:八千矛神が、翡翠の産地の沼名川姫を貰っています。

玄武の正体
貴船神社は、闇おかみ:高おかみだから、黒龍で、善政時には天に昇る竜神です。高おかみの高:昇りです。一方の白龍は、もと白い亀でした。
・・・蛇と亀、これが玄武の正体です。
高松塚古墳の玄武は、「黒い蛇」と「白い亀」で適合します。
注記、貴船神社の祭神の「おかみ」漢字は、雨と龍の間に口が三つ、龗:龍です。見るからに、闇の感じがします。
実に紛らわしい話で、これを七海は「ややこしい」亦「アチャコ」という。

宇佐の玄武
以前から、宇佐市には、宿館川下に貴船神社が十数社あるのは、不思議でした。これは、田川の白山比味と結びついて、頭初から、奈良大倭の玄武という守り神になっているとみなします。理由は、90度左回転方位で、宇佐は、奈良大倭の北にあるからです。大倭を取り巻く八重垣のひとつです。
貴船の黒龍と亀山の白亀で玄武ができる。
一方、狗奴は俀女を担ぐから、宇佐亀山に俀女が乗っていました。もとは、宗像三女神が降りて先鞭をつけたのでしょう。俀(タイ)は女のなよなよのさま。隋書俀国伝の俀です。

古志王と胡四王(こしみこ:こしきみ)
ところで、河伯と猿田彦は、古志の八口にいました。河伯と蛍惑星である火星の猿田彦は、古志の八国を支配していました。もと若い娘を生贄によこせと、出雲簸川の足那乳(大山積の子)に、毎年迫っていた。河伯は猿田彦を従えていた。河伯を古志王というのでしょう。二神は、スサノオに退治され、スサノオに仕えたのでしょう。

古志王、古四王、越王、「胡四王」「巨四王」、「高志王」、「腰王」、「小四王」、「小姓」とも表記される。

山形県小国町の胡四山は、前195年、匈奴の単于(ゼンウ)が燕王盧綰を東胡王というから、盧氏は、魏志倭人伝の末盧國・盧氏とつながります。末は末裔です。
小国町隣接の新潟県小千谷市の小千は、越智です。越智氏は、大山積の奉祭者です。
胡四王が決定的な証拠です。胡はえびすで、胡は瓜(うり)です。

その後、岩手県花巻市矢沢や胆沢(いざわ)等へ拡大されてゆきます。
胸形の信奉者・水沼君(水潴君)も匈奴でしょう。呉音フンヌは、匈奴だからです。
当然、百越や閩越(福建省)も居るのでしょう。もっというならば、北陸三県には、呉・越が居て、山形・秋田に楚も居るのではないか。

長脛彦、何者でしょうか
越王とは、饒速日尊、またの名は天火明命の後裔です。娘を長脛彦へ嫁がせています。また、長脛彦は、奈良大倭の王で、神武以前の首領でした。
大巳貴の国譲り後、鹿島、経津主が討伐し、天甕主神を武葉槌が討っても、
長脛彦が居た。

なぜでしょうか。

須佐之男の大蛇退治以前の首領は、河伯と考えられるのではないか。
越の八口は、若狭から秋田までです。長い距離だから、ドンの長脛彦ではないか。
猿田彦と間違えそうですが、河伯に臣従していたのでしょう。

火明命は、娘を長脛彦と結婚させたが、長脛彦が言う事を効かないから、離脱したと記す。
また、奈良盆地には、桜井市白山神社ほか、白山神社が結構あります。
長脛彦は、神武と同じ天羽羽矢を持っていました。
高木神が地に向けて射返した矢が、天稚彦に当たり死んだ。長脛彦は、この矢:天羽羽矢を所持していたと看做します。古語拾遺に大蛇を羽羽というとあり。

海幸彦(火照命)、山幸彦(火折命)、火明命の三人は、兄弟でした。火明命は、越王(こしおう)で、新潟県弥彦神社の祭神は、天香具山命です。須佐
之男が大蛇退治後に出来たのでしょう。

決め手は、胡四王の盧氏に交代しているからです。ダイダラボッチは、須佐之男の化身でしょう。秋田の胡蘆慕狗婁[コロボックル]で、大人(うし)です。秋田の蕗は3mあるからです。婁は、多々良星です。胡蘆は、ふいごで、製鉄の連中です。

水没神:水星
紛らわしいのは、水星の沈み星です。辰星ともいう。イザナギと同じく、大巳貴も来名戸神(くなと)・衝立船戸神(つきたてふなと)に助けられています。夕方や朝方に僅か2時間も出てこない水星です。水平線の少し上にしか昇らないから、これ以上、天神の世界へくるな(くなと)という意味です。

水星は、五行の黒色ですが、黒龍は水の中に棲むから、全く違う神です。
黒龍も、河伯の白竜:白亀ではありません。また白龍は、出雲の日御碕神社へ毎年やってくる背黒海蛇とも違います。背黒海蛇は、黒龍です。

黒い蛇と白い亀が、高松塚の玄武の壁画と同じ、黒龍と白亀でした。