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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

十腰内の鬼

2010年05月26日 00時50分07秒 | いのしし
十腰内の鬼

前回ブログで、隠れた部分を書きます。

あらすじ
刀を作るところを見てはならない。若者は、一晩で、刀を十腰作った。この後、寝てしまった。この隙に、庄屋の娘が一腰を隠した。庄屋は、十腰内(とこしない)といった。腰は刀。九しかない。

解釈
九という字義・・・・・もともとは、小の意味
九腰で、一つ足らず。・・・宇佐の九十九の階段と同じ
八雲・・・・・・・天上に七つの雲を描いて、八雲という。

鬼伝説というよりも、見てはいけないというから、鬼軍団がいると明記したのも同然です。

ここで、十腰ない、の結論になる。

しかし、無いとせず、内とする。なぜでしょうか。

内・・卑弥呼の母、鬱色許売の鬱と同じ。また、山代内臣・味師内宿禰は、孝元天皇の皇子:比古布都押之信命を父とする。
卑弥呼の母を祖神とするのでしょう。

鬱を考える。

1 日食の場合、月が陽を食いちぎる。センターで、金環日食でひまわりのようになる。鬱は、地球と日の内に月がくると、日は血豆のように、黒ずむ。
血豆は、金槌で、指を打てばできます。

2 月食の場合、地球が月を食う。金環月食は、月が金色になる。
鬱は、月と日の内に地球がくると、金丸になる。もまた、ウコンは、金色に近い色です。

内は、この両方をさす。

3 金丸は、月の別称です。
全国の金丸地名は、鍛冶屋ですから、山城国造の目一神と同じです。
つまり遠の蝦夷は、その先祖です。
鬼軍団は、宇佐にも居た九十九(つくも、つづら)です。

4 鬼は、隠れた存在だから、隠爾とかく。見てはいけないというタブーを持つ集団です。
洪水で村ごと流されたシルクロード説話は、後ろを見るのをタブー視する。
三輪山に昇る大物主神を倭トドモモソ姫は、禁を犯したので、驚いた。モモソ姫も、カマドでした。楽々福さん(7代孝霊天皇)の妃・倭国香姫の娘です。
神武の妃もホト多々良伊須須岐姫。みな、オボ信仰(かまど神)でしょう。

神武以前から、産鉄の連中が居ます。

5 遠の蝦夷
とおの蝦夷は、十の蝦夷。十は、戎ですから、中国の西から来ました。
証拠は、梁書の大漢國:白神山地の西端をさす。大は狗ですから、狗奴國と同じで、漢人の國でした。

6 月信仰
筑紫は、月そのものです。木を食い尽きし[過去形]から、スタート。
猿田彦は、猿沢池に写る月を、戯れ言で、白い餅とばらす。
餅の的を弓で射る民族行事あり。
行いよければ、瑞祥でした。

十腰内(とこしない)
金丸、金屋・・鍛冶の作業所でした。金は、蒙古語の[アルタイ]です。
漢字は、阿爾泰と書く。この連中でしょう。
すでに、山代内臣として、天皇の守りをしていました。

なお、日向の高千穂神社の紋は、ウコンです。前1000年ころ、倭人は、中国の周王朝へ鬯草(うこん)を献じました。

余談
政治家の金丸信。まるで、権化。
ネットの広告も、金のたまご。否、人のこころ、かなしばり。
それとも、鬼に金棒。

泣く子も黙る地震・雷・鍛冶親父
金柑(きんかん)三つで泣きやんだ。ナマハゲ。


十腰内の記号

2010年05月24日 06時27分17秒 | いのしし
十腰内の記号

弘前市十腰内の猪 土偶 弘前市博物館
上記の図は、見にくいので、次のブログを参照して下さい。

土偶(どぐう)や絵に見られる森の動物たち
http://www.komakino.jp/morinodoubutu/morinodoubutu.htm

記号が判明しました。臨時に書きました。
この猪に、丸い円が彫られています。
これに気付いていましたが、月か太陽が描かれています。
その上の船のような図が理解できなかったのです。
三日月か船のようで、理解しかねていて、ブログにかけませんでした。

意味がやっと解釈できました。

船と確信しました。
なぜならば、船は、水平線を帆走します。つまり、地平線を意味していました。なかなか、すぐに気が付くもではありません。

これで、ヤバは、野馬で、陽の「かげろう」でした。
つまり陽がまだ地平線の下にありますよ。
このことを、指していました。

卑弥呼以前の猪信仰・・・ヤバ臺(タイ)は、狗奴國でした。(後漢書)
卑弥呼の就任時点・・・・ヤバ壹(イッ)は、倭國でした。(魏志倭人伝)
イッは、日本語で、壱岐の「い」。一貴山の「い」です。
初代の意味、あるいは、シャレで、イの一番です。調味料ではありませんが、
CMに使えそうです。

ところが、もうひとつ、顔の横に円を書いています。
これは、幻日です。
陽が実際とは異なる位置に出来る現象、これを幻日といいます。
是でしょう。

卑弥呼は、衆をよく惑わす。
おちょ(猪)くっています。・・・まあ、なんたることよ。

注記1:臺(タイ)は、うてなで、載せるものです。花のうてなに、蜂が止まる。その留まるところでもありますが、この時代、巨大な地平線にかげろうが乗っかる意味でした。狗奴が、先行していました。
宋・元の時代に、はじめて、臺は、台と同じになりました。したがって、初めは異なる字で、後漢時代や卑弥呼の時代に、台とすれば、厳密には間違いでした。以上は(宋元俗字譜)に出ています。

これで、後漢時代の邪馬臺國、卑弥呼の時代の邪馬壹國は、納得できました。
また、証明にもなっています。

梵語で、マリーチ。漢字で、摩利支天。日本語で、丸四天。いずれも、陽のかげろうです。陽が地平線の下にあるとき、先にかげろうがたちます。
陽の切っ先は、
ギザギザの模様で表します。装飾古墳に描かれたギザギザ模様でした。
神道が、先行していました。

みな、卑弥呼の証拠だて、でした。

注記2、梁書で魏志に言う邪馬臺(コ)は、ヤバ壷(コ)で、都慕大王の末裔の伯済の活躍とも関係しています。上記のコは、かげろうの子です。
注記3、狗奴國は、漢音でクド。金屋地名です。
拘奴國は、呉音でクド。八十神です。これもカマド信仰族で、別所地名です。
竃は、さんをつけて、現代でも「おくどさん」と言います。

猪信仰の古さ

2010年05月22日 01時22分52秒 | いのしし
猪信仰

猪豚の漢字は、豕(し)です。
猪は亥と書く。
豚は、肥えておる。月は「にくつき」の意味で、太りゆく観点では、同じです。
豕は、相の子なのか。似た画像を挙げておきます。

青銅猪尊 殷代 湘潭 湖南省博物館
猪の土偶 十腰内遺跡 弘前市立博物館

猪の土偶
東北は、青森県弘前市十腰内。腰は刀の数を数える単位。
鍛冶屋は、一人娘に婿をやろうとするが、一晩で十腰作れた者にやると公言。ある若者が一晩で作った。若者が寝たすきに娘がひとつかくして、九腰しかなかった。十腰作った刀。これを九にした娘は、鬼と看破ったのでしょう。

似た話。宇佐八幡の小倉山の北階段は、九十九段目で、陽が昇ったので、鬼は何処かへ消えた。ひとつ足りない、ひとつ余す。目ひとつの神。

さて、猪の土偶は、縄文時代というが、何時の事か。
また、下記のどのあたりなのか。年代で想像します。

1河姆渡の猪⇒2菘沢文化の猪⇒3八十神⇒4猪使連祖磯城津彦。
そして、5卑弥呼の猪・・のち、6摩利支天信仰につながる。

猪に似た焼け石
古事記の神代紀にいう。
素戔鳴烏は、娘・スセリ姫を大巳貴に取られ、
「良い国造りしてこいよ、こ奴よ」という。
早々に、ヘビの室にいれられ、二人は逃げてゆく。そして、八十神(やそかみ)は、山の上から、猪に似た焼け石を転がし、大巳貴は、九死に一生を得ながらも、全国制覇する。

猪に似た焼け石は、鉄サイで、大巳貴の義理の兄たちヤソ神です。

素戔鳴烏は、宋史に記録され、神武の6代前の人です。姉天照大神は、5代前の人です。
従って、少なくとも、3の八十神、これ以前と考えられます。鉄の時代は、前1000年ころからですが、猪信仰は、これ以前の縄文時代でしょう。
実際の神武即位年は、別として、
書記の神武の即位年は、前660年、紀元前には、猪が居たのでしょう。
神武は、鴫の網をしかけたら、クジラがかかった。山鯨:猪でしょう。

八龍の森
八龍とは何でしょうか。

1旧前原市の八龍の森・・豊雲尊ほか、八つの名前あり。
2八つめさす・・(天穂日の末裔出雲臣)
3卑弥呼の猪は、野馬(やば):かげろう。←猪・ワシ・陽の図
4神功皇后の云う「八流れの旗」
5気比神社の八角形の壇。
6広幡八幡丸の顕現。光は広です。571年
7瀛津真人:天武天皇の墓(八角形)672年~686年
8八坂神社の函火鉾

みな、連綿として受け継いでいると考えます。

大巳貴の児・八重事代主神は、葛城一言主(イッコン)ともいう。

イッコンさん、なにか言ってください。

・・・・弥栄!
(弥栄:バンザイの意味で、めでたい、のー)
・・・・[目出王、出で目、芽吹き、若松さま]

七海注
弥の音は、前に軽く「い」をつけて、イヤサカと発音する。
京都の八坂神社は、元は、弥栄です。
天香具山を祀る新潟県の弥彦神社。いやひこ。早口で、やひこ。
円の発音、正式にはYENです。
恵比寿の発音もYを頭につけるのでした。YEBISです。
新疆の焉耆(エンキ)は、呉音エンギ、現中国語はイエンシー。
もとスタンブルは、イスタンブール[トルコ語]。
案山子は、歩けないが、なんでも御存じのお方でした。

一言さん、鯛をみなさんに、あげてください。
七福神のえびすさんは、夜中の鯛釣りが好きでした。
ビールは、各自、買ってきてください。

このブログは、一週間、休みます。
次回は、いよいよ、金石文6幡枝古墳に迫ります。