どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

阿遅古連

2010年09月04日 04時55分52秒 | 海(わた)
阿遅古連

肥前風土記、姫社占いは、神功摂政301年頃の話と見ています。

姫社の郷(ひめこそ)・・・荒ぶる神を鎮める話
道行く人が倒れるので、宗像郡の阿遅古連が祀るようにと、荒神が催促する。
阿遅古連が占う。幡を飛ばして落ちた所は、姫社の社だった。女神と解り、姫社神社とした。小郡市大崎町:七夕神社(肥前風土記)です。
ここは、宝満川流域で、下流で筑後川と合流する。

アジコではなく、漢音アチコ、呉音アジク、です。
阿遅古は、漢音アチコです。従って、閼智古と同じです。

閼智古は、閼智の箱の義です。この場合、女神でした。後述の女山と関係します。

御勢大霊石神社(小郡市大保)
仲哀と神功皇后ゆかりの地です。副神(そえかみ)の天照大神を祀る。
仲哀の熊曾と戦った現地です。神功は、神護石(こうごいし)を得て、豊前新羅征伐に切り替わるところです。

豊前の閼川(一般名詞)
阿川、於川、小川の音で、太子川(彦山川)です。田川市を流れます。天忍穂見命は、天照大神の系譜で、太子です。閼の字に注目。

宗像郡の阿遅古連は、胸形だから、胸奴:匈奴です。
大巳貴は、宗像三女神の長女と結婚しています。
大巳貴の別名八千矛命は、沼名川姫をも貰って居ました。

匈奴は、呉音フンヌという音でした。

慶州新羅は、トウ利[テングリ:天山]など匈奴語を話しています。因って、日本の百済が中国へ通訳を兼ねて道案内します。なお天山は、九州と四国に在ります。

慶州の金閼智は、天照大神、天忍穂見(太子)・・・この系譜でしょう。
俀女王を立てた狗奴国王:卑弥弓呼素は、邪馬壹國王(やばい)を引き継ぎ、天照大神を立てています。
天照大神は、羅(うすきぬ)を作る織り女の師匠でした。
慶州新羅の初代赫居世は、女性に布織の速さを競わせています。
豊前刈田町の金富神社は、絹で、羅(うすきぬ)です。157年辛島氏来る。
慶州新羅の羅が、決定的です。
末羅の羅も、やはり織女や天照大神を担いだ集団です。

65年、慶州新羅の金阿智は、金の箱で流れ着きました。
やはり、慶州金氏は、日本から行っていると考えます。

高良大社(筑後の一宮)[筑後川水系]
織り女を祀る七夕神社のほぼ真南に高良玉垂神社[久留米市]がある。
「たからたまたれ」とも読む。宝玉垂命が誰なのか、諸説が紛々で、現在、不詳です。
[宝満川と宝]
濫觴(らんしょう):事の始まりは、宝満山の竃門だから、鍛冶神の坐するところで、巨石がゴロゴロとある。鍛冶とワシは一対でしょう。
高良山は、もと、高木神の坐するところだったが、宿を借りたいと玉垂命が来たので、宿らせてから、玉垂命となった。この人物は、やっぱり、蘇民将来(スサノオ)でしょう。宿を借りる、が決定的です。

天女との関係
旧瀬高町に女山(ぞやま)の頂上には、男神女神を祀って居ます。
筑後の八女地名は、羽衣、天女と関係しており、地上におりて、福の神になり、幸をもたらす。天日ボコの場合、行いが悪く逆になる。
玉を得た天日矛は、玉が姫となり婚姻したが、日ボコは、妻を粗末にするので、妻は本国[姫社]へ逃げた。しかし、追跡を畏れ、姫社へは帰らず、難波に行った。

姫社神社は、新羅王子・天日矛の嫁の本国で、社稷でしょう。
嫁の本国の女神を祀っていないので、荒ぶる神に祟られたのでした。
[大胆にいうと、姫川然り、姫姓の周人と関係するのではないか。日本書紀では、社稷を「くに」と読んでいます]

また、筑後三輪町の三輪神社あり。
大三輪(大物主、大巳貴、少彦那)を神功皇后が祀る。倭、そして大倭へ入るため、ここは、大物主の威光の広矛:光鋒を借りているとみます。

みな、延喜の意味でしょう。物語の骨組みで、解ります。
豊前秦王国は、後の統一新羅への加担でも理解可能です。

神功皇后の歌謡
気比神社へ武内宿禰が応神天皇を連れて、参拝、若桜宮へ帰還後。
「この酒は、常世に居られる少御神が狂い踊りして造られたもの、私だけのものではない。何と美味しいことよ」
少御神は、少名日子建猪心命のこと、卑弥呼が隠れていました。

神功は、天照大神、スサノオ、宗像三女神、卑弥呼・・多くの神を祀り、また、身方につけて、大倭へ入り込みました。

箱崎八幡、もと筑穂町の大分宮:石(碩)人、これが後押ししています。
時代は違うが、土から石へ神像がつくられてゆきます。
人形・馬形は、肥前大和町の川上川の熊曾。石人・石馬は。磐井の墓ですが、すぐそばの川は、筑後川につながって流れています。

ワシ信仰
猛禽のワシの巣には、石が二つあります。硬柔二つです。卵は二箇で、ヒナ二羽が争って、一羽しか残りません。
神功皇后は、このワシ石二箇を腹巻に容れて願いを込めたのではないか、
胎中天皇と云う限り、胎蔵経が引っ掛かって来ます。
神護石は、ワシ石と看做します。鍛冶も隠れています。
卑弥呼の源流も菘沢文化の「猪・ワシ・陽」でした。

これまで、闇の王者は梟師でした。これが徐々に、昼の王者:ワシへと変わってゆきます。
夷は、暗いところから、明につくる。天才王弼の言うとおりでした。

4世紀に起こる、大乗仏教の三身(法・報・応)と同時期と関係するのでしょう。ことばに羽が生える。飛翔の翼とでもしておきますが、形容を越えています。

読者への参考
<宇佐の倭王・別府の変遷>・・・大倭の別府(ビュウ)
比売大神(宗像三女神)
俀女・・・織り女でしょう。
卑弥呼・・少名日子建猪心命
壹與・・・愛媛の織り女・伊予神社
男王・・・卑弥弓呼素・・スサノオを担ぐ連中。倭奴:狗奴に同じです[唐書・新唐書]
(交易の監督官・一大率の終焉、531年がひとつの区切りです)

なお、精錬の竃の神は、スキタイが最高神とする女神です。[ヘロドトス:ペルシャのダレイオスがスキタイ王と対面した挿話あり]