四、五回にわたり、倭國を記述します。
旧唐書の原文
A倭國者古倭奴國也、去京師一萬四千里、在新羅東南・・・
五十余國、皆附属為其王。姓阿毎氏、置一大率・・・
B日本國者倭國之別種也、以其國在日邊、故以日本為名。・・・
或云、日本、舊小國、併倭國之地。
以下、解釈します。
記事Aの解釈
1 倭奴國は、57年、後漢の光武帝から下賜の漢倭奴國王です。
これを、倭國としています。倭國の極南界、でした。
極南界は、淡路島(極)です。極北界を対馬や五島列島とすれば、
これで、東西の域を示しています。
ところで、卑弥呼も、親魏倭王で、倭國、倭國王です。
171年、卑弥呼は、宇佐に着任していますが、その前の70年ないしは
80年の間、倭國は、乱れています。
171-70=91年、171-80=81年。つまり、紀元81~91年ころ、
倭國が乱れ、168年、乱が終結したのでしょう。(借り設定しておく)
2 安帝永初元年(107年)
倭國王帥升等が朝貢し、生口160人を献上。(後漢書)
これも、倭國王の帥:升等という人物です。
等は、などなどではなく、升等(ますら)という人物です。
帥は、率と同じで、「ひきいる」の名詞ひきです。
以下、年代と記事を整理しておきます。
57年、漢倭奴國王の金印・・・倭奴國
91年、倭國乱れはじめる・・・70年後;168年
168年、倭國乱の終結(月は不詳)
171年、卑弥呼、南宇佐に着任
247年、卑弥呼崩御
注記:168、171は暫定。後で暦を決める時に置く数字です。
記事Bの解釈
日本國は、倭國之別種なり、名称は、ひべり(日辺)による、
日本は、旧小國で、倭國の地を併合した。
一行目のひべりは、理解できるが、二行目をみなさん理解できますか。
唐も倭人が詳しく云わないから、疑っています。
七海半太郎は、カラスのように、何度も首を傾けるが、判定しにくい記事です。
カラスでは、ダメで、鬼になって、豆でも播いたら、と思いきや、
いっそのこと、鬼頭を「さしみ」にして食ってやろうと思い、鬼頭を食った。
すると、元気が出てきて、理解できました。
なんのことはない、鬼頭とは、こんにやくイモの別名です。
京師は、帯方郡堺の北、2000里から計測して、卑弥呼の都・南宇佐まで、
14000里を意味しています。中国の長安では、ありません。
其の根拠は、キトラ古墳の星座の図です。
東海大学の画像解析と同志社大学の宮島氏分析の結果、正座の図は、
朝鮮半島の平城あたりから見た図形と判明しています。
平城は、おそらく、大城山あたりです。⇒平城を平壌に訂正、3・22
ポンポコ山の狸さん、おっぱい飲んで、ねんねして・・・(続きは)またあした。