水谷真成訳「大唐西域記」平凡社1999の地図
資料:偉大なるシルクロードの遺産展 2005から
加藤九祚のタジク人を取り上げます。
中央アジアのパミール高原西部
むかしから、先住のイラン系言語の人達が居た。
ホラズム人、ソグド人、サカ人、マッサゲタイ人など。
以下、時代順に並べます。・・・はペルシャ[今のイラン]
・・・・・・・アケメネス朝ペルシャ前559~431
前5世紀頃から東のモンゴロイドが移住、混血が始まる。
・・・・・・
前331年からアレキサンダーの支配、250頃バクトリア王国
・・・・・・・ペルシャ・パルティア王國前250頃~後226
1~3世紀末
クシャン(貴霜):イラン系で大月氏が占める。
・・・・・・・ササン朝ペルシャ226頃~651
5世紀、
エフタル(白フン)は、ウズベキスタンを支配した。
イラン系とチュルクの混血で、匈奴と呼ばれる。568年滅亡。
タジクはイラン系、ウズベクはチュルク系の言語の違いがあるが、考古の遺物からは、同じ文化を持つと、加藤さんは断じている。
タジクの語源
1アラブの部族名のひとつのタイという用語。
・・・8世紀前半、現地人が全アラブ人の名称をタイと呼んだ。
2タジと云う用語
・・・10世紀にタイがタジという呼称となり、全てのイスラム教徒の呼び名となった。
3タジク人の言語
・・・もとはソグド語を話していたが、サマン朝でペルシャ語になった。
タジキスタンの文化は、昔から南部と北部に違いがあった。南部のギッサ―ル付近トップ・ホン遺跡出土の人骨・・・ソグド人と全く同じ。
タジク人のマイトディノワ「クシャン母体説」によると、
7世紀のキルバンド(朅盤陀国)は、クシャン朝[大月氏]の母体で、後族はキダラ、キオン、エフタルと続いてきたという。この4族は王朝創始者の名である。
この件は、タジキスタン南部からクシャン朝のコインが多数発見されている。また、タジクに近い今のバグダンにクシャン王朝神殿スルフ・コタールがあり、これらが傍証であるという。
以上、タジクは、今のパミール東のタシュクルガンという新説を、加藤さんは取り挙げています。
※キルバンド(朅盤陀国)
玄奘三蔵「大唐西域記」のタシュクルガンの処で出てくる。地図参照。
七海のやぶにらみ
450年少し前、反正天皇は、古事記、蝮水歯別命、書紀、多遅比瑞歯別天皇。
マムシをタジヒと読んでいる。土手のスカンポ、イタドリは、蝮の胴体に似ているからです。
ところで、カザフ族を、ハザフとも云う言語の族がいる。カ音をハ音にするトルコ系、あるいはモンゴルトルコ系の言語であろう。
汗:カーン、ハーン。チンギスハーンのハーン。
タジクは、タジヒと同じではないかと思っています。証拠はありませんが。
垂仁90年、多遅摩毛理(田道摩守)は天皇の長生きを願って、十年掛けて天皇のために神仙の国へゆき、橘を取って来たが、天皇は既に隠れていた。
何処でしょうか。何処となく、蛇が長生きしたのか不詳ですが、ギルガメッシュ神話と似ています。
ひょっとして、タジキスタンではないか。手前勝手な思いです。
追記11月18日
ソグド人は、サマルカンドを中心に活躍した中継貿易の主、根っからの商人で「濡れ手に粟」の人。サルトSaltという都市商業人。加藤さんは、中央アジアの華と云う。
加藤さんの論の続き。
5~8世紀、ソグド語の残簡や碑文が、ペンジケント、新疆やモンゴル高原で発見されている。日本でも法隆寺にある香木には、ソグド文字が刻まれていた。[東京国立博物館蔵]
藤原道長の日誌「具注暦」に密と記す。密はソグドの日曜日のこと(羽田亨「西域文明史概論」を引用)
ソグド語に近いヤブノブ語は、ゼラフシャン川上の住民に今も残る。
タジキスタンの住居建築様式(ギっサ―ル山脈の北と南)
1北方のカミン・・・壁をえぐって作った暖炉
タジキスタン、ウズベキスタン、アフガン北部の様式。
北方では日本のコタツ(炬燵)と同じものがある。どちらが影響したのか、分らない。
2南方のラテネルネン・ディッケ・・・井ケタ持ち送り式天井
(天井に採光と煙出しを兼ねた幾段も重ねたもの)
アフガニスタン、北部パキスタン、北部インド、中国の新疆。そして、朝鮮の高句麗まで広まっている。炬燵もある。以上、加藤九祚。
七海のいう民俗行事・日本のコタツ(炬燵)
毎年、十月には、炬燵を出してきて、亥の子餅を食べて無病息災を祈る。
今でも、日本各地の民俗行事に残っています。
これは、卑弥呼信仰の名残でした。
孝徳天皇664から斎明天皇660
トカラ人が漂着し、奈良へやってくる。東トルキスタンで、トカラ語を話す連中が居ました。西トルキスタンでは、古代バクトラは、のちにトハラ[トハリースタン]:という。
トカラ語の特殊性
東トルキスタン[トルコ人の居住地]の中に在って、トカラ語は特殊という。
クチャのクチ語とカラシャフル~トルファン盆地一帯のアグニ語は、インドヨーロッパ語のケンツム語群で、ギリシャ語、ラテン語等の母体です。
前5世紀以前のトルコ語系の民族が入ってくる前は、印欧語族でした。
その元はアーリア人と推定。中国人は紫髭緑眼、深目高鼻という。
一方、ソグド語とクシャン語は、中期イラン語に属する。(間野英二「中央アジアの歴史」)
ということで、もともとタジク人は、クシャン語でイラン系の言語、ソグド語もイラン系言語でした。
なお、ソグド人の先祖は、中国古代の聖帝の一人、有虞氏です。その後裔の虞喜という人(字は仲寧。会稽郡余姚の人)、四世紀、歳差を計算しています。
関連問題
明日香にトルコ風呂[蒸し風呂]あり、トルコ語は、南韓の伽耶、日本にも入っています。任那、沼名です。おそらく、徳島県美馬市もトルコ語でしょう。
また、アムダリア下流部には、ブハラ[安国]やヒワがある。
安国は、日本の名族大伴氏の出身地でしょう。
ヒワは、島根県出雲の比婆山の南の比婆郡比和町、現在の庄原市。垂仁紀15年の旦波の日葉酢姫と同じではないか。
鴨氏の故郷は、バクトラのサマルカンドでした。
天皇を取り巻く人々は、中国各地から来ています。先行する素戔鳴烏や天照大神も、もともと天王です。
習俗、文化は、簡単には消せないものでしょう。