どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

魏志倭人伝の距離

2010年11月19日 00時21分31秒 | 倭奴國




作図:七海半太郎

魏志倭人伝の距離

きょうは地表面の距離を求めます。天地の相関の基礎でもあります。
既に中国の周髀算径を解説し、谷本茂(1978)、道家康之助(1987)が解いています。難しいので、図形を簡略にして解説します。

上記は、地球の断面図で、太陽光線は、夏至の子午線高度γです。
子午線高度とは、太陽が真南に来た時の角度です。
右下の図は、八尺の棒を垂直に立てて、太陽の影の長さを測った図です。
ABは八尺の垂直棒、ACは影の長さ。
太陽光は、平行線だから、∠ABCをβとすれば、∠AOD=∠ABCとなる。
∠ACBは、太陽の高度α(度)、(夏至の太陽が真南にきた時点の角度)
∠DOEを角度γとする。(夏至の日の23.4度、前2000以前、中国神話の共工が既に発見している)
∠AOEは、A地点の緯度です。

よって、∠BOE=β+γとなる。
三角形ABCの内角合計は180度ゆえに、β=(90度-α)
上記の式は、∠BOE=90度-α+γとなる。
ゆえにA地点の∠AOD=90-α+23.4度の関係式が導かれる。
(γは23.4度強、23.5度弱・・・正確には角度23度26分6秒の丸め)

八尺[=80寸]の棒ABと影長ACの関係は、AC対ABとなる。
分母AB、分子ACとすれば、影長/80寸の数値を得る。

洛陽の影長AC=16寸・・・AC÷AB=0.2000
釜山の影長AC=17寸・・・AC÷AB=0.2125

(円弧タンジェント表が無くても、α角が既知だから角度算定は可能です)

便宜上、円弧タンジェント表から、tanβ=11度18分6秒を取る。
洛陽の緯度Lは、23度26分6秒+11度18分6秒=34度45分2秒

同様に、釜山のtanβ=11度59分8秒をとって
釜山の緯度Lは、23度26分6秒+11度59分8秒=35度26分4秒
洛陽と釜山の緯度差は、41分2秒となる。

緯度1分は1海里=1852mだから、
距離は、41×1852=75.93km(約76km)
(古代の周髀算径という書物では、影長1寸は千里と明言しています)
実際に影長を測れば上記の数値で、1寸の違いであった。
ここに、古代の1000里は約76kmと復元できました。
これは、相似三角形の応用でした。

事実、中国では、水系注や馬王堆の地図が出土しています。
また、神功紀の新羅大明神スサノオは、地図と戸籍を出すと明記しています。

魏志倭人伝の距離は、正確無比でした。
これを別表現すれば、夷とは、根本の義で、距離は根本のひとつでした。
また、偉人を介しての天地の相関でした。

(上記2地点以外の計算)
南へ行くほど、距離は増す。
釜山76.0、洛陽76.5、徐洲76.9、長崎77.6kmです。
北へ行くほど、距離は短くなり、
仁川74.9、天津・平壌73.7kmです。

よって、魏志倭人伝の距離を76.5kmと看做せるでしょう。
この根拠は、鏡山と神功皇后の釣り場の距離で判明します。(七海のブログの4月2日を見て下さい。図はひずんでいますが、5mの単位で正確でした)

景行天皇
東(北のこと)を向いて、宮崎県児湯県の高屋の野の岡の歌
夜摩苔(ヤバタイ)は、国の真秀場(間)という。宇佐市大尾山のすぐ東を指して、狗奴国や卑弥呼を褒めていました。先に狗奴:邪馬臺國:倭國、次の邪馬壹國が卑弥呼倭國です。書記は、日本を耶痲謄(やまと)と定義。
騰(とう)と苔(たい)は、音が違いすぎます。これは、倭の異表記とみられます。ここでの重要性はヤバ(日のかげろう)であって、倭ではない。ヤバの方が重要でした。落とし穴です。書記でヤバが初めて出て来ました。
これで中国史書魏志倭人伝との接点が出ました。
結果、倭[九州]と区別して、大倭[本洲]の都は、奈良県奈良盆地でした。

注記
1海里1852m・・・すでに古代人は地球の半径を計算しています。
半径が解れば、地球の円周も解りますから、1分の距離も出ます。
四分の一円90度:5400分では、四分一円弧は、約1万km。
円周は4万km。周ヒ算径にもパイの計算、三角形の定理がある。
4万km=2パイR。地球の半径R=6370km。
1分は、約1852mを出しています。

余談
近年では、小学校で地球の半径や円周を出す方法を教えるそうです。
例のピタゴラスの三角形の定理、円周=2パイRです。
これが、高校歴史の魏志倭人伝の距離に反映されないのは、大いに不思議です。・・・どこかに教育上の欠陥があるのではないか。
ご承知のように、高校歴史の古代部分の編集者は、大学教授です。
・・・こんち(今日)、また、ボケトルマン現れるとしておきましょう。
ヤッターマンではなく、もっとむかし50年ほど前の漫画ボケトルマン(ピジン語:混合言語)です。

また、岡田英弘や西尾幹二は、確かめもせず、魏志倭人伝の記事を「でたらめ」という。日本書紀や中国史に頭が沢山でてきます。カラスでも首をかしげます。

大阪弁、いや河内弁、どたま[頭]かち割って、脳みそを吸うたろか。・・・人をカニの頭のように、言いなさんな。
ついでに云う。「われは、どこの馬の骨や」・・・馬族が馬族に聞いている。
骨は姓(かばね)で、慶州新羅の王の聖骨を真杙(しんくい)という。大阪市杭全(くまた)の杭、粟杙(ゾクヨク)の杙[呉音ヨク、日本語あわくい]、粟杙は、「濡れ手に粟」のソグド人ですが、匈奴の原語を慶州新羅が話します。日本にも杙を付けた人物がいます。
七海は、祟られないように、よく、読むことを「しか」とかみしめ、ひたすら耳を傾けます。