どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

闇無浜神社

2010年11月24日 00時15分42秒 | 倭奴國
闇無浜神社 

大分県中津市大字角木
もとは、倉無の浜という。ついで、豊日別国魂神社となり、明治5年に
闇無浜神社という。祭神は瀬織津姫。(神社名鑑)

神社記
900年前、7月15日の満月、砂浜の松の木あり。月の影は、他の木には、出来ている。しかし、この松のみ、月の影がなく、砂浜に月光が照っていた。

これは、どういう意味ですか。

おそらく、逃げ水現象と言い、関東の武蔵野などの湿原によくみられる現象です。
この松の木は、一種の蜃気楼の松。ゆえに月が煌煌と照って居ても木の影は無いのが、当然です。
豊玉彦・豊玉姫は、水中・海中の泡、気泡でしょう。ゆえ、泡が耀くので逃げ水現象を起こす原因となっていました。

別の表現をする。
武蔵野で、向こうに水たまりの池が(浮き上がって)見えた。
しかし、そこへ行くと、池はなかった。このような一種の蜃気楼現象です。
砂漠では、オアシスが浮き上がって見える現象(蜃気楼)と似たようなもので、アラブ人は、悪魔の仕業という。
太陽や月についても浮き上がって出てくる現象で、大気の状態:水気が為す業です。真円にならず、曲がって見える太陽もあります。日本書紀にも、大きく曲がった太陽が出て来ます。

常陸国風土記の久慈の郡
郡の西10里に静織(しどり)の里あり、上古の時、綾(しず)を織る機を知る人が無かったが、初めて織った。
郡の東7里、太田の郷に長幡部の社あり。古老がいう。珠売美万命(火のニ二ギ)が天より降る時、御服を織ろうとして、一緒に降りた神、名は。綺日女命(かにはたひめ)、もと、筑紫の日向のニ所の峯より三野国引津根の丘に至った。のちに崇神天皇の世、長幡部の遠祖、多弖命が三野から久慈に移る。機殿を造り初めて織った。絁(あしきぬ)を織る時に、たやすく人に見られないように、屋の扉を閉めて闇内にして織った。これに因んで烏織(うはた)と名づけた。
織ったものはそのまま服となるので、内幡と云う。刀でも簡単に切れないもの。いま、年毎に別神の調(みつぎ)として献上した。

注記
静織は、倭文神社の倭文(しず)という織物。
三野国引津根 美濃国神明帳に不破郡引常明神とある関ヶ原垂井辺り。
多弖命 長幡部の部曲の氏族。
烏幡 カラスではなく水鳥のこと。

闇内とは何でしょうか。

烏幡は、突然変異の白カラス[天然記念物]ではないか。
倉無は、闇無しだから、天照大神が岩戸隠れした時でも、月は照るから、機が織れる。・・・闇無浜神社の記事と一致します。
また、倉は倉稲魂(うかのみたま)の稲荷:キツネだから、真如の光の時[日没黄昏時]は、キツネ色、すなわち白い絹が黄金に耀く。
一般的には、このような状況を指すのであろう。
また、内:鬱で、月が地球の影になった金環食の時かもしれません。

中国の宋時代、宋史では、神武以前に、天照大神が19代目の大君[天王)で、23代目ウガヤフキアエズとなっている。書記も、遡れば同じです。
静織(しどり)は、倭文(しとり)、文(あや)、志登(しと)、志都(しず)とも書く。魏志倭人伝に云う綾錦であろう。

豊日別国魂神社の解釈
金富神社は豊前市綾幡郷にあり、豊日別は金富の別れ[子神]です。
豊日別国魂の豊日は、月の意味で、別は枝で金富別の義でしょう。そして、国魂とは、紀伊国・日前神社の天照大神の和魂(日像鏡:凸面鏡)、国懸神社の荒魂(日矛鏡:凹面鏡)から、国魂という意味が出て来ます。岩戸隠れのとき、鏡作部の遠祖天糠戸神が48cmの鏡、粟国の忌部の遠祖天日鷲が木綿を作った。
そして、書紀の黄泉国訪問の一書の第11では、絹の発明譚あり、天照大神は、養蚕の蚕を生じた神です。
旧前原市から出土。志登神社の志登も倭文です。
その別神は、枝分かれした神です。

なお、垂仁記、京都府宇治の木幡にも、綺日女(かにはた)が居ました。白い亀の水神で、白山比味の後裔で、水の中に居る神です。。

祓戸4神
『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。

1瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
2速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
3気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
4速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
速開都比売を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐の禊の際に化成した神に当てることが多い。(祓い戸4神はウィキぺデイアに因る)
菊理姫は、上記の1と同じでしょう。
黄泉国から帰ったイザナギに、日向の小戸の橘の檍原(あわぎはら)(耳川の中流)で禊をしなさい と云った菊理姫が居ます。
菊理姫の後裔、あるいは子神が瀬織津姫でしょう。
七海のブログ10月21日天地の相関4を見て下さい。
スカーフ:ヒレは、極光の神格化したものですが、瀬織津姫が実際に絹布:羅(うすきぬ)を織る根拠です。末羅の羅方は、浜玉町で、今の唐津市です。
白龍は、白い亀になったり、変化する。元は黄河や長江の河伯(水神)の後裔です。