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日本庭園鑑賞学

2008-05-28 23:41:03 | 生活の中で
今日は、東京都公園協会主催の「日本庭園鑑賞学の講座を受講してきた。これは3回の座学と一回の実地からなる、日本庭園の基礎を学び、”いいな・きれいだな”だけから一歩踏み出せるようにと企画されたものだと思っていた。ところが講座の始まる前、公園協会の担当者から、講師 河原 武敏氏の希望で、都の公園を管理している職員や、公園の案内をするボランティアの人々にもこの講座を受講させる事となり、人数が増えたという案内があった。要するに全くの素人のための講座だと思っていたら思いがけなくも、職員講習を受けさせてもらえることと成ったようなものになった。この講座における講師の主題は、要するに、庭園の中の石には全く無駄が無い。通路の脇の石一つにしても、何故そこに有るのかを知っていることが大切で、一般の人に説明をしなくても、専門家としては何故そこに石が置いてあるのか、理解していなければならない。そのためにこの講座がある。というような格調高い前置きから講座が始まった。第一回目の今日は、石組みと滝に付いて、ちなみに次回は、池と流れについて、三回目は飛び石と延段についてと続き、第四回目は、名石で有名な清澄庭園内にての講義・見学というスケジュールである。
出だしは「石組み」。講師の思いは、この講座を受ける人達が、鑑賞の技法を身につけて欲しいという点にある。庭園には見せるための”種”が仕込まれており、それは庭作りの秘伝であり、美意識の集成であるという。
石組みとは、庭の骨格を成すものであり、これは永久に変わらない。しかし石を愛でるという風習は日本独自のものであり、西洋はもとより中国においても、日本庭園のような石組みは存在しない。自然石を尊重する石組みの原点は、神宿る岩座(いわくら)に有ると言われている。それは太古からの民族の風習にその下があるのではないかと思う。従って、植えられた樹木などが大きくなり、骨格が見えなくなった庭園は、それはもはや庭園とは呼べない。都の管理する庭園に於いても、植栽を切ることは悪で有るような風潮が続いていた。庭の持つ本来の美意識を確認するには、一度全ての石を出してみる必要があり、その上で、必要なら植栽をすべきである。後楽園でも六義園でも、浜離宮でも大きな木がどんどん切られていたが、その裏にはこんな考えがあったとは始めて知った。講師が庭園ボランティアを含めた職員にもこの講座を職務として聞かせようとする意図は良く解る。そして、作庭した作者の意図は全て石組みに表れているのだから、庭園に措いて一番大切なものは石組みだと主張する気持ちも良く解る。
石組みを持つ庭は飛鳥期の宮廷に始まり、奈良時代、海岸の風景画庭に取り入れられ始めている。岬石や、州浜・白砂・青松など、中国との旅程の途中で見た瀬戸内の光景を写したものであろう。日本庭園が完成したのは平安時代で、当時書かれた<作庭記>は、作庭の技術書として現在でも使われている。人工の庭に、自然らしくあれと説き、そのための技術を記載している。これが鎌倉・室町期に入ると仏教の影響が強くなってくる。石立僧が出現している。当時の僧は最高の教養人であり、教養の中には作庭も含まれていた。さらに桃山から江戸期に入ると、大城郭と調和した書院庭園が生まれる。大きな石組みの中に、鶴亀や蓬莱山・須弥山などが作られてゆく。現代の作庭もほぼこれらをなぞっていることが多い。う~~~~んこれで全体の3割くらいか。石組みの具体的な名前や組み方、さらにはもう一つの主題の”滝”について全く書いてないし、さらには講師が全国を巡って集めたッスライドの解説部分も全く書いていない。しかも今回ボイスレコーダーの取り扱いを誤り、一切録音されていなかった。メモもレコーダーを当てにして雑になっているだけにショックです。さて後半部分をどうしよう・・・・・・
コメント
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