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気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

今昔三道中独案内ー日光・奥州・甲州

2004-10-16 23:43:26 | 狛犬・街道
20日からの奥州街道歩きの準備をしていたら遅くなってしまった 私の場合持ってゆくものや 着る物は何時も一緒なので 具体的には 歩く所の案内書をコピーして さらに地図を使いやすい縮尺に変更してコピーすることです 私は以前も書きましたが 今井 金吾氏による 「今昔三道中独案内ー日光・奥州・甲州ー」を利用させてもらっています 私はこの方の案内記で中山道も旅しましたが 今の道中記も含め実に詳しくバランスよく書いてあります 私にとっては最良の旅の友です 前回には大田原宿の先鍋掛宿まで行く予定を立てましたが 今回は大田原宿までとして 次に一泊二日で白河まで到達するように予定を変えました ただこの三日間の天候が曇り時々雨 降水確率50%とあまり良くないので 少し心配しています まあ もっと天気予報が悪くなるようなら この三日間は家で静養するさ とにかく 自分に課した宿題は沢山造って仕舞ったので いくらでも有るのです。。 ばっかジャン~~~~ンと言う声が何処からか聞えてきますが これは無視しましょう・・・・
私にとって宇都宮から先の奥州街道は全く始めての道のりです この辺りでは国道4号線やJRも4キロ位離れています と言っても山の中にあるわけではありません どんな景色のなかを歩くのか
何を見てこられるのか 非常に楽しみです 雨が降らないでいて呉れたらな~~~~~~
この写真は大山(別名 雨降山)阿夫利神社の坂の上で300年間も勤めを果たしていた狛犬です
今は引退して拝殿の脇に安置されています この山は海からの風が直接当たり雲がわくことが多く
雨乞いには霊験あらたかだと言われています ・・これって雨を呼んでしまうので商家???
昨日は画像の縮小が出来ず写真を載せられませんでした17日修正しました
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奥州街道 20日から再開します

2004-10-11 22:53:39 | 狛犬・街道
BLOGを書くのに 11時を過ぎないと中々手が動かないと言う妙な癖が付いてしまいました 今日もお休みでしかも朝から雨が今にも降りそうな天気でしたから 何処にも出かけるつもりはありませんでした ですから基本的に暇だった訳です 昼食後昼寝をしてからふと 今日は何をしたのだろうと言う疑問がわきました 一瞬何をしたか思い出せなくてあせりました 考えてみると今日は
奥州街道の小山から白河までの道順を「三道中独案内」を元に地図上に落とし込もうとしていたのです 最初20万分の一の地図で見ていたのです時間ばかり掛かりどうにも成らないので 10万分の一の地図をやっと探し出しやっと順調に昔の街道のコースを特定できるようになりました 幕府の道中奉行の直轄する奥州街道は白河ですので今年はとりあえず此処まで行くことを目指しています 小山からの距離は28里12町 車で行けば精々3時間 私は4日間で歩く予定を立てましたが 5つ日間になってしまうかも知れません 今の予定では 20日に小山から宇都宮 7里6町 21日 宇都宮から喜連川6里10町 22日 喜連川から鍋掛 7里5町 いずれも今までの実績からするとかなりの強行軍です まあ無理をしないで歩くことにしましょう 誰と一緒と言うわけでは有りませんからその点は気楽なものです
小山の愛宕神社にいた狛犬です よく見ると子獅子が玉を持っています あまり見かけないデザインです
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大山奥宮 もう一度参拝します

2004-09-04 23:00:27 | 狛犬・街道
昨日 今日とBLOGを二度づつ書いています 0時を過ぎて続きをUPしようとすると消えてしまうのです 同じ事を何度もするのは馬鹿ですね しかし 毎日続けるのにどうしても書いている時間が日にちを跨いでしまう人も多いと思いますが 皆さん如何しているのでしょう 
さて本題です 膝の痛みが消えました 疲れは少しありますがもう大丈夫です となると・・・・ やはり今回の大山行きがあまりにもいい加減に行いすぎたと言う反省です 何と言っても歩き始めたのが11時15分過ぎなどと言う恥ずかしい時間になったことです やはり6時ころには家を出て 9時前には歩き始めるのが常識です またポカリスエットを一晩冷凍庫に入れて凍らせましたがそれでは出して1時間で氷は解けてしまいました やはり3日間以上は凍らせておく必要があります もう一つカロリーメイトやチョコレートを持っていなかったこと こんなことは初めてです やはり慢心と手抜きがあったようです 近いうちにもう一度奥宮に参拝してこようと思います そして奥宮だけのお守りを雅守さんの分と二人分手に入れてこようと思っています
歩き始めてすぐの道です こんな道が延々ともっともっと急坂になり続きます
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大山奥宮 その3

2004-09-03 22:14:49 | 狛犬・街道
うーーー膝が痛い 布団の脇のたんすに掴まって立ち上がる そう年をとると筋肉痛は翌日よりも3日目 4日目のほうが辛いのです 痛さというものは人には見えませんから 階段も少しゆっくりかなと言うくらいで降ります
しかし人間の体なんて不思議なものですね 気息奄々で山頂にたどり着き 奥の院と称する社に参り そこにいた狛犬の写真を写していると足の痛みもだいぶ和らいできました 同じ敷地にある
奥宮に山頂までの到着を感謝し とにかく山を降りるまでの無事を祈りました(でも・・・本当は翌日買う予定の宝くじの当選祈願をしなければいけなかったのに・・・)社務所のやっている売店でカップヌードルを求め ほとんど汁だけ啜って それをお昼ご飯として 売店の男に見晴台への道を尋ねると 下社へ直接下るよりは楽だが 時間は20分くらい余計に掛かるよとのことであった 時間はすでに2時近くになっておりケーブルの最終は4時半なので ゆとりは一時間弱 足の調子を考えるとぎりぎりなので休みもそこそこに出発しました 道は岩ではありませんが材木を土止めに使った階段が続きます 足に衝撃を与えないよう杖をフルに使ってゆっくりと下り続けました きっとかなり恐い顔をしていたと思います あまり人に会わなくて良かったです 途中高校生くらいの若者が飛び跳ねるように駆け下りてきて 中年の三人組が追い越してゆきました 半分くらい行くと道は蟻の門渡りの幅一メートルくらいの狭い尾根を歩くようになり 当たる風は強く寒いくらいのものでした 見晴台には3時20分ころ到着し やっと時間の不安から開放されました 見晴台には東屋やベンチがいくつもあり眼下の伊勢原の町から湘南の海まで見えるはずですが 晴れてはいても何かもやがかかり良く判りませんでした 途中に二重の滝があり二重社と呼ぶ社もあり大きな杉の聳えた幽玄の趣のあるところでしたが 今年6月の台風で樹齢600年を越す杉の大木が二本も吹き倒され沢に無残な姿を横たえておりました、以前室生寺へ行ったときも 大きな杉が五重塔に倒れ掛かり無残に庇がつぶされた現場を見たり 数多くの杉の大木が吹き倒されていましたが 少なくとも数百年を無事過ごしてきたものに 近年になって変動が起こっているのには何か不気味なものを感じます 下社には3時55分に到着 茶屋でカキ氷と豆腐アイスなるものを食べた うまかったーーーー
  
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大山奥宮へ行きました その2

2004-09-02 23:50:06 | 狛犬・街道
承前
昨日は書いたらすぐ寝てしまいましたよほど疲れていたらしく 今日読んでみたら 文章は飛んでいるし誤字はあるし 一部文章の追加と誤字の訂正を行いました
下社から奥宮へ行く道には2丁目から28丁目までの石碑があります・・・待てよ1丁目と28丁目は有ったかな??? これらの石碑は歩いてみた感じでは 等間隔で立てているのではなさそうで何かあるところには立てている感じがしないでも有りません
2丁目は下社からの急な階段を50mくらい登ったところに有るし 6丁目には夫婦杉 13丁目は茶屋(閉まっている) 14丁目にはボタン岩(岩が言われるとボタンのように盛り上がっている そういえば中仙道にもボタン岩があった) 15丁目には天狗の鼻突き岩(大きな岩に手首が入るくらいの真ん丸い穴が開いている) 16丁目は追分 20丁目は富士見台(江戸時代には茶屋があったという 正面に富士山が見えるとの事だが雲に覆われ残念) 25丁目はヤビツ峠からの道と合流 いづれにしても5分も歩かないうちに次の石碑が見つかるのですから づっと階段を登るような道が続いても何とか支えられます さすが1200年を越す伝統を持つ信仰の山だけのことは有ります 27丁目に鳥居がありちゃんとした階段が有りますが 階段に飽き飽きしていた私はわき道に入り山頂を目指しました 東丹沢が綺麗にに見えるとの言葉に引かれたからですが神社へ先に行くべきでした
ところで頂上の少し手前で大きな鹿がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えました 角が1メートルくらいありそうな立派なオスです 寄ってくるので杖を振り回してみましたが反応はありません
     
さすがにこのときは膝の痛いのは忘れていたようでした5メートルくらいに近づいたところで鹿が向きを変えましたが逃げたわけではなく 別のところで草を食んでおりました
奥の院は大山阿夫利神社として式内社の格式があります ここでしか付与しないお守りがあるとの事ですが お守りを受けると来年も参拝しなくてはなりませんから お守りは買いませんでしたただ・・・・ ここまでこれたお礼と 無事にお山を降りられることだけを祈ってきました そのご利益で足に痙攣も起こさず
「年寄りの冷や水 大山で救出騒ぎ」などと言う恥はかかずにすみました 
 
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大山奥宮へ行きました

2004-09-01 23:29:49 | 狛犬・街道
大山へ行ってきました 標高差600メートルに一時間半 並では無いと思ってはいましたが、参りました 奥宮への参道は二キロの道のりを28丁に区切って参詣者を案内しています とにかくその道は石ころがランダムに並べられているような感じで それが急坂をこれでもかと続いているのです 少しでも足を動かしていれば 少しでもあがって行く 今日に限ってリックの中にチョコレートとか カロリーメイトとかの食べ物が何も無い 出かけるときから変だったんですよ 最初は
日本橋から大宮か浦和まで歩いて写真を撮ろうとしたのですが 今日は防災の日との事で出足をくじかれてしまいました・・出発したらメガネをかけていないことに気づき戻りましたがどうしても見つからず 暑くなってから街中を歩く気にならず また高尾山へでも行こうと重い新宿に行ったとき なんとなく小田急にのって大山登山に決めたのですが・・・ 14丁目くらいからなんとなく違和感が出来始め 20丁目では伊勢原で買った弁当を開き小さなお稲荷さんだけ口にした 何とかのぼりを再開したが23丁目で両足の膝が痛くなり痙攣も起こりそうな雰囲気になってきた しかし
いまさらあの石ころだらけのところを下ることなぞとても出来ない とにかく山頂には神社も売店もあるので とにかく前進することにする この500メートルののぼりはきつかった しかも頂上で何か出来る可能性はほとんど無いのだから・・・
この後 明日に続きます
山頂で出迎えてくれたのはこの大鹿でした 一生懸命生えているいる草を食べておりました
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屋根の上の狛犬

2004-08-16 23:08:32 | 狛犬・街道
神田明神の向かい側に湯島聖堂が江戸時代そのままの雰囲気で森に囲まれている 中心は孔子を祭った大成殿であるが江戸時代の建物は震災により焼失し 昭和10年に建てられた建物と言う 聖堂の敷地は大きな樹木に囲まれ大げさに言えば昼なお暗い風情が在り 私が訪れたときには 日ぐらいが煩いくらいにいたるところで鳴いていた この大成殿で気になったのは屋根の上に居る獅子のような像でした 建築的なことはよく解りませんが 通常鬼瓦のある所にその像があるのです 勿論屋根のウダツの両側にはしゃちほこが置かれていますが 確か名古屋のしゃちほこは向かい合って置かれていたと思いますが 大成殿のしゃちほこは外を向いて置かれています そうそう獅子の写真を拡大してよく見ると獅子でも雄ライオンではなく雌のライオンに見えます いわゆる
獅子ではなくまさにライオンなのです 狛犬ならば普通 阿吽に成っている筈ですが 片側に4匹 両側では八匹 どうなっているのでしょう大成殿に拝観したとき屋根の上にある狛犬と言う感覚で写真を撮って来ましたが 鯱の向きの問題と言い 八匹の問題にしろこの建物だけでも面白い研究材料になりそうです そういえば奈良の唐招提寺で鬼瓦がリスのような形に見えた建物が有りましたがあれは何だったのだろう?

これが屋根の上のライオンです 一匹しかアップしていなかったのは失敗でした 機会を見てもう一度撮って見ます (内緒 もっとアップ出来るカメラが欲しい・・ ) 
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雌の迫力

2004-08-14 23:11:16 | 狛犬・街道
先日神田明神へ狛犬の写真をとりに行ってきました 実は神田明神に写真をとりに行ったのは二度目なのです 前回も今回と全く同じ写真を取った筈なのですが PCに保存していなかったのか PCが不調になりやむを得ずHDDをフォーマットしたとき消してしまったのか いずれにしても見つからなかったのです あいも変らず拝殿の前には大きな狛犬が辺りを睥睨しています 狛犬の脇に江戸時代末期に作られた獅子山が再興されています 獅子山は関東大震災で崩れ落ちましたが夫婦の獅子ニ頭は保存されていたそうです 皆さんご存知ですよな 獅子の子落し そう獅子はわが子を成長させるために崖から突き落とす事を・・実際はどうか知りませんが?? 雄は崖の上で見えを張っているように見えますが メス獅子のすざまじい顔が印象に残ります よく見ると
怖いですよ・・・・ 必死のメスに雄は絶対にかないそうも有りません
これが江戸時代のモノとは あ~~~~~今日においてやですね
ちなみに突き落とされている子獅子ですが大震災のとき行方不明になり
再興に当って新しく作られたそうです

これが突き落としたわが子を見る雌獅子です 画像を大きくしてみてください 日付の所をクリックしてください 写真が大きくなります 
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枯れ野狩り

2004-08-13 23:08:38 | 狛犬・街道
今 王子辺りの石神井川は水は流れていない 親水公園として整備されている所だけ ポンプで水を循環させているようだ 昔昭和の始め頃までは 井の頭公園の池には盛り上がるような湧水があり ボートでは怖くてその湧水の上を超えられなかったと言う 明治時代以降この辺りには水を使う製紙工場を始めとする種々の工業が発達し 水も都市化の影響により樹木の減少から湧水も無くなり今日を向かえていることのようだ 江戸時代には将軍吉宗の命により 飛鳥山には桜が植えられ 庶民にも開放された 日本橋から二時間も歩けば 桜をはじめ さつき 蛍 滝 もみじと文字どうり四季折々の行楽が楽しめるところがあり(冬には枯れ野狩りと言うものも有ったらしい) しかも江戸時代は職人の世界なのだから 日曜日に皆が一斉に休むわけではない だいたい日曜日などと言う概念は無かったのだから・・・ 現代の石神井川では小さな子供達が流れの中で歓声を挙げお母さんたちは安心して木陰で休んでいますさすがに大滝はありませんが滝が二つ三つ再生され水が落ちて居ます

そうそう 帰りに天賞堂によりトーマス買って来ました
ホームページで価格を調べては居なかったのですが 弗9のアルバムが
¥2750である所を見ると やはり個人で輸入するべきなのでしょう
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飛鳥山公園

2004-08-12 23:10:41 | 狛犬・街道
考えて見ると 40年以上もそこにある事は知っており桜の季節や
アジサイの季節にはいつも目を慰めてもらっていました 広重の名所絵図や石川英輔の大江戸神仙伝などここを描いた絵や本も目にしてきていました そう王子駅前にある飛鳥山です 今日始めていってきました
駅を降りてまず王子神社へ向かいました 途中石神井川が水辺の公園として整備されておりました 神社の境内にある大銀杏は石神井川の反対に渡ると一段と多角聳えておりました 神社はよく整備されておりましたが 期待した狛犬は昭和のあまり特色の無いもので残念でした
境内から一度外へ出て歩道橋まで行き 飛鳥山公園に入りました
古くからの落ち着いた風情があり 一人尺八を吹きながら歩いている人も風景の中に溶け込んでおりました その広さと風の音と せみの鳴き声の中に有ると尺八の音も自然の音の一つとなるようです
公園の中に北区飛鳥山博物館がありました 期待しないで入ったのですが 無料で入れる夏休みの小学生向けに開かれている特別展に足を止められてしまいました 北区の中における道・川・電車に分けられ私は勿論道のセクションから入りました 北区の中を通っていた日光御成り街道と中山道を中心に資料としては決して学問的には質の高いものではないのですが 自分が歩いた あるいは歩きたくなる場所に関心を持たせるには充分であるように思えました また川の部分では中山道歩きで知った荒川の氾濫の北区での影響など思いもかけない収穫でありました
有料部分の一階の展示はなかなかのものですがまた後に書きます

銀座??勿論行きました でも・・・・聴いてください
なんと木曜日は定休日だったのです この前は地下鉄が動かないで銀座まで行けず 今日は行けたけれど店がお休み まあ~~~~いいさ
明日の帰りによるさ 
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木曽路の竹林

2004-07-23 00:56:16 | 狛犬・街道
よく行くホームセンターの駐車場の脇には 昔の農家の屋敷林だった
所が残っています 崩れかけた長屋門の背後に 雑木林が続いています
きっとこのホームセンターもこの駐車場も同じ屋敷内たったのでしょう
崩れかけた長屋門も哀れを誘いますが 誰も世話をしなくなった屋敷林には いまや竹が蔓延り 竹林になってしまっています 我が家から
当ても無く方々を歩いていると 竹に占拠されている雑木林をよく見かけます
そういえば 木曾路を歩いているときもヒノキや杉の林の中に竹が入り込みヒノキや杉が枯れそうになっている所を沢山見ました と言うより
山の中は知りませんが 街道沿いの木曾の美林はもう無い!!と言っても大げさではない感じがします 昔の街道絵図などに竹林が書かれているのは あまり見たことはありません 
私などが昔の道だと思って歩いている所も 道は同じでも全く違う光景があったのかもしれません 江戸時代には一里おきには茶店があり 二里から四里おきには本陣を備えた宿場があった 勿論今は茶店は全くありませんし 宿場も町の名前として残るのみです 昔の街道は打ち捨てられたり 鉄道や国道になりました しかし その国道にバイパスが
作られ更に高速道路が作られたことにより 昔の国道は打ち捨てられた昔の街道と同じ事になっています 街道に昔の茶屋は跡形もありませんが 国道にはドライブインと称するものがその姿を晒しています
そして 宿場には古い家が傾いたままその姿を晒しているのを多く見ます 壊す人もいないのでしょう 
その答えを求める積りはありませんが 今のありようは自分なりに記録し残したい と 思っています そのうちに・・・・・ 

物置の脇に朝顔のような葉っぱの草が生えてきました そのままにしていると いまや物置を越えています 花が咲く様子は全く無かったのですが こんな小さな蕾を持っているのを見つけました 咲いたらまた報告します でも・・・是って何でしょう????
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写真の役目

2004-06-21 23:20:22 | 狛犬・街道
昨年7月に京都三条大橋まで歩いて終了した中山道歩きですが 
心残りになっている事が一つ二つあります
一つは 01年12月3日に歩いた 奈良井宿から薮原・宮ノ越を経て
福島宿に至る間の写真がすっぽりと抜けてしまっていることです
確かに写真はデジカメで撮っては来たのですが操作を誤って消してしまったのです 当時は まあ いいか 位に考えていたのですが 整理して HPでも立ち上げるかと思うと とげみたいに無いことが突き刺さってきます もう一つ中山道歩きを始めたとき私はデジカメを持っていませんでした 要するに 自分が隙間無く歩き繋いでゆけばよい 映像など 自分の心の中に有れば良い などとかっこよく(?)考えていたのです しかしふと考えると 心の中に有るものは心が故障したら
出てこない!! 事にこの年になり気づかざるを得なくなってきました
今なら 鳥居峠はきつい登りがあったな 少し気味が悪い感じだったな
 薮原は車で通ると(ここは名古屋から上高地へ行く時通ります)解らないけど 随分寂れているな そうそうここには食堂もコンビにも
なかったな 宮ノ越の旗揚げ八幡の大きな木が切り株だけだったな
などなど思い出すことが出来ますが それでも信濃の国の和田峠と
記憶が混ざってしまっています 
その意味から言えば 日本橋から松井田まで関東平野の中山道も記録が
有りません
いっそのこともう一度歩きましょうか

百合が終わったらこの花が咲きました 確か新町でショウブを咲かせていた時 苗の中に紛れ込んでいた花です 名前はまだ調べてありません


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日光道中完歩しました

2004-06-02 22:45:31 | 狛犬・街道
日本橋から小刻みに各宿を繋いで 今日は9回目になります
江戸時代の旅行記では 大体5泊六日くらいで歩いていますから
随分足やわな歩きです しょうがないですね・・・
先月も日光例弊紙街道の杉並木を書きましたが 大沢から今市を経て
鉢石へ至る道はやはりもっと上でした 特に上今市からは 人間と
車が完全に分離され 非常に歩きやすい道になっています
杉並木を保護する為に かなり大規模な路盤改良も行われたらしく
心なしか杉の緑も濃く感じました 
ぜひ ぜひ一度時間を都合して30分でも1時間でもこの中を歩いてみてください yu-ki君だっていっぱい遊べますよ 杉並木と平行して
広い 広い広場と庭が整備されています 感心しました

両側の杉と路面に余り差がありません 杉の根を保護するために
特殊な工法で路面をあげています
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日光西街道の一里塚

2004-05-13 22:39:47 | 狛犬・街道
昨日歩いた街道には三箇所の一里塚が両側に残っていました
一里塚は明治の宿駅制度の廃止とともに忘れ去られた物ですから
残っているのが非常に珍しいのです 両側共に残っているのは特に・・
中山道を歩いているとき 一里塚跡のたて看板に 宿駅制度を廃止したとき 一里塚を二円で売りに出したと言う記載がありました
残っていないのは全国的にそんな売り出しが行われたのでしょうか
明治新政府が何をしたのか 何を壊し 何を新しくしたのか その影響は 我々に何を残したのか 歩いていると地方にとって 敗戦の影響より 明治の政策によりづたづたにされたものの大きさに慄然とする思いです 話が反れました この思いは新しくHPを立ち上げて残したいと思っています
中山道に残っている一里塚は計測をしているわけではありませんが
直径が10メートルくらいはありましたが日光西街道では半分くらいで
看板が無ければ見逃してしまいます 小山までの日光道中には一里塚は
残っていないので断言は出来ませんが中山道とは規格が違うのではないかと思っています・・・<--それがどうした!!
たて看板の後ろなんとなく盛り上がっているのが一里塚

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例弊使街道の杉並木

2004-05-12 21:45:06 | 狛犬・街道
今日歩いた所は 鹿沼宿から 文挾宿 板橋宿 を経て今市宿まで
5里20キロの行程でした 途中三つの一里塚あるとぼんやりとは
思っていたのですが こんなに完全に道の形態を保っているとは
想像dにしませんでした 勿論街道は2車線の車道となり 人間の
歩くための道ではなくなっています しかし 杉並木の保存状態は極めてよく 道の周囲も開発は杉並木に影響を与えない 影響を出来るだけ少なくする配慮がなされています
今日は10時半ころから今市へ入る3時ころまで ずっと杉並木の中を歩いていました このような道が残っていたことに感謝です
もっと書きたいのですが くしゃみが酷いので続きは明日書きます
こんな風景が4時間続きました
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