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気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

斑鳩から生駒へ

2005-09-19 23:47:54 | 二人の旅
ここ数年年に何回か奈良に来ているが あまり足の向いていなかった 斑鳩から生駒のほうへ向かうこととした まず法隆寺の近くにある法起寺 数年前の案内書にコスモスの寺として名前が出ていました 聖徳太子が建立にかかわった寺とされるが 今当時の面影を残すものは 最古といわれる3重の塔のみで見る影も無い
しかし世界文化遺産への登録を期に周辺の田や畑を寺の環境面を配慮して耕作を続けているとの事で 稲穂のたれた田圃越しに見る3重の塔はなかなか風情があった
すぐ近くに法隆寺がある 寺の前はゆったりと整備され 真っ直ぐに山門に向かう松を植えた参道も立派であった
西院伽藍の中に入る 今回はあまり立派過ぎて建物に目が行かない 礼拝石や五重塔の屋根を支えている天邪鬼や金堂の4隅にいる狛犬 5重の塔の最上階に見える金剛力士や金堂にいる昇り竜や下り竜 などを一生懸命写真に写していた
その後斑鳩神社の看板につられて 歩いてゆくと 坂の上にため池があり 何か由緒ありげな堤があった そこに登ると五重の塔や法隆寺の建物の屋根が良く見えるのだが たまたま登ってきた写真クラブを引率していたらしい人は 昔は塔が根本から見えていたのにと 残念がっていた しかし10年でそんなに変わるだろうか 回りに立つ建物は相当古そうに思えたが・・・・
門前で食べた柿の葉寿司はまずかった やはり名のある所でなければ駄目・・・・
昼食のあと 生駒の朝護孫子寺へ参った 何でも此処は 全ての願い事をかなえてくれる ありがた~~~~~イ お寺とのこと 此処も聖徳太子が587年に創建したところだそうです ここから信貴生駒スカイラインを通り奈良に戻り京都へ向かい いつも泊まる京都国際ホテルへ・・・ 
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薬師寺 観月会

2005-09-18 23:42:02 | 二人の旅
朝の5時過ぎに 出発した 3連休の中日なのでそれほど混むとは思わなかったが
なるべく早く奈良に着きたかったのでこの時間になりました 何時もの通り市ヶ尾に寄って 義兄夫婦と合流し 一路奈良を目指します 行程は浦和からだと600キロ弱と言う所です 到着予定時刻は13時30分頃とのこと 
そう 今日は中秋の名月の日で 薬師寺で5回目の観月会が開かれることになっているのです もう3年以上前に成りますか 薬師寺に寄り玄奘三蔵院で中秋の名月の日に普段は閉じられている伽藍の扉が開放され 月の光の下で拝観できると聞いたのは・・・・ それから2年今年の正月に来たとき奉賛会の話を聞き 暫らくしてから入会した 目的はこの観月会だったのだから 待ちに待った日と言うことになる 宿泊先の春日野荘には1時前には到着し 昼食をとってから 薬師寺へ向かうこととした 
早めにお寺に到着したので境内をぶらぶらしていると 不動堂があり その前に護摩を焚く結界が設けられていた 正月にも護摩は焚かれていたが修験者の姿は見なかった 此処ではお坊様が護摩を焚くのだろうか 今度いったら聞いてみよう
4時から法話を村上太胤執事長がなさった 中で印象に残ったのは 岐阜で住職を兼務しているお寺が保育園を経営しているが その園児とその子等の親についての悩みをふと話されていたことであった 法話のあと食事が所を変えて供され その後 玄奘三蔵院内の観月会 法要会場へ入った 
観月会 表白に曰く 「その志趣如何となれば 夫れ今日者 闇夜を照らす美しき明月を畏敬の念を以って仰望し 感謝の祈りを捧げる法要を・・・・・と」そしてその最後は「仰願わくば 一切三宝智見照覧し 冥助の掌を伸べ願主の志願を哀愍納受し 所願を成就せしめ給え 乃至法界 平等利益」で結ばれていました
表白を捧げているうちに空は暗くなり 暫らくして玄奘三蔵院の回廊の屋根にチラッと月が顔を出すと驚くような速さで全体を見せました その間2・3分もあったでしょうか 一点の雲も無い闇夜の空に浮かんでおりました 司会を務めていた加藤執事が玄奘三蔵院が出来てから始めた観月会は今年で5回目に成るが こんなに見事な月を見たのは初めてだと 申しておりました その後 長唄の御奉納がありました 唄は吉住小蘭師匠(きっと80歳は超えていると思いますが) 法話の会場でご挨拶をなさった時は上品なお婆さん位の印象でしたが 唄い始めるとその張りのある堂々とした美声に圧倒されました 脇で若い方が合い方を勤めていましたが艶といい 膨らみと言い 圧倒しておりました 此処でもう一つ感心したのは二丁の三味線が入っていましたが その表現力の素晴らしさに改めて驚かされました
長唄の終る頃には月も高く上がり 中秋の名月とは此れか!!!!と言う感じになっていました 司会者の方から余りに月が素晴らしいので お菓子を増やしたので先にお茶を喫した方も 野点券は要らないのでもう一服どうぞと告げられていた
素晴らしい お月見を楽しませて頂き 有難うございました また来年も行きたくなりました 

 
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奈良東大寺と相模 大山

2005-06-05 22:30:37 | 二人の旅
今年の4月12日 東大寺を十数年ぶりに訪れた やっぱり東大寺は大きいや 大仏様はすごいやで帰ってきたが もう少し歴史と言うか 伝承と言うかもっと知ってから行けば 面白い見方も出来たのに! と反省させられることがあった ここ二年ほど市ヶ尾について大山詣でをしていたが今年はなかなかスケジュールが取れず市ヶ尾だけが先にお参りしてきた そこで購入したのかどうか 相州大山なる 大山旧御師で旅館・茶屋を営む 内海弁次氏の書いた本をお山に登る前に読めと託された この本に拠ると明治初年神仏分離が行われる以前は大山の山頂には阿夫利神社本社の石尊社があり同社下社のある中腹には大山寺不動堂があった そして不動堂については縁起によって良弁僧正の開闢と言うことが知られている 大山寺縁起絵巻の書き出しに国司太郎太夫時忠が観音に祈って一男児を授かり愛育していたが ある日この和子を金色の大鷲にさらわれ 奈良東大寺の楠(東大寺ではこの時は櫟=いちいのき・くぬぎ=後年これが枯れた後に生じた杉の木が大木となり これが良弁杉第一世となる)の枝に掛っているのを猿に助けられたとある この童子は金鷲童子と呼ばれ 得度し良弁となり 聖武天皇の大仏殿建立に際して大いに力となり 後に良弁は天平勝宝4年(752)東大寺別当に任じられた その間時忠夫妻は諸国を流浪の末良弁と再開を果たした その後良弁は聖武上皇・考謙女帝に願い父母を伴い相模にくだり大山を開いたとある
さて2月堂前の良弁杉で有るが 二月堂前の芝生の傾斜面に聳え立っていて根本に小さな社があるものであったが 昭和36年第二室戸台風により倒壊してしまった 中は空洞で年輪は数えられなかったと言う 今の杉は先代の小枝を挿木したものの一本であると言う まさか大山と東大寺がこんな形で繋がっているなどと想像もしませんでした また この杉は歌舞伎の演題でも有るそうな・・・
知っていたとて 何があるわけではありませんが 面白いものです
写真は現在の良弁杉です(きっと そんなこととは露知らず石碑を確認していません)
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上高地3

2005-05-02 23:19:37 | 二人の旅
上高地へ泊まった翌朝 日の出は4時57分との事であった 4時過ぎに外を覗くともう明るくなり始め 山の端がはっきりと見え始めていた 予想通り晴れ! ホテルで聞いていた朝の山を見るお勧めビューポイントは田代橋 10分ほど歩いて川のほとりのベンチに腰をかけ明神岳の方を見る 山すそのところがだんだん明るくなってきて 金色の空がどんどん広がってくる 残念ながら太陽は見えない その代わり明るくなる空と稜線や樹木のシュルエットがハッキリした対象を見せている 下流側を見に行くと焼岳にはゆっくりと光が上から下に広がってゆく 一時間近くも川のそばにいたろうかすっかり明るくなり穂高にも光が当たり始めてきた そこで自然歩道を通り大正池まで歩くことにした 道には雪がべったり残っている 少し心配なのでママはパス カメラを持って歩き始める 梓川沿いのコースを行く 木々の間から煮える焼岳が美しい川の流れと鳥の声 それにざくっともばりっとも聞える靴の音 暫らく行くと田代湿原にでた 大きなカメラを構えた先着の人が二人 自分の最高の構図で穂高連峰を狙っていた 空は晴れているが奥穂から吊り尾根の上に傘のような雲が湧いている 少し行った田代池では穂高に背を向けて池を前景にして向かいの山を 昔の乾板を使う大きなカメラを据付大きな黒い幕を被って構図を決めていた 大正池からの焼岳はさすがだ・・・・ 帰りは田代池まで戻って樹林コースを通る 川沿いよりももっと雪が多い 木道の上にも積もっているが 脇に乗ると足がずぶりと成りそうで少し注意して歩く
初めてなので良く判らないがかなり大きな木も折れているのも目に付く 雪が多かったのだろうか
 
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至福の一時 上高地2

2005-04-29 23:51:33 | 二人の旅
27日には河童橋のほとりで開山式が行われていたが 我々は川のほとりでサンドイッチとヨーグルトの食事を済ませ 穂高の眺望を堪能した後ホテルまでゆっくりと歩いていった その前に自然歩道には雪がまだありそうなので売店でステッキを買った ママをホテルに送った後 明神池に行くことにした ホテルのドアボーイに聞くと 私も昨日行って来ましたが3時間かかりました これからお1人で行くのですか 無理そうなら途中で帰るほうが良いですよ と全く信用していなさそうな口ぶりだった まあ6時頃までは明るいから大丈夫だよ・・・ 2時半頃ホテルを出た ビジターセンターに寄り もう一度コースを確認して歩き始めた 時々帰ってくる人に出会う 行程は3.5キロ位 大体1時間強の道のりである 林の中に入るとコースに雪が残っている 林の中でも落葉しているので山は良く見える 汗もかかない内に明神小屋に着き梓川を渡る 橋は平成15年竣工の立派なつり橋になっていた 川を渡ると穂高神社奥宮はすぐだ 以前来たときは秋だったし時間に追われていた 今年は時間はたっぷりあり池の春を堪能する 春だがまだやっと雪が消えほかたと言う所 しかし周りの林には雪が残るが明神池に氷があるわけではない おしどりの番が泳いでいた 40分位ゆっくりして右岸の道を下る 途中のビューポイントからは相変わらず焼岳が良く見えている 河童橋に戻ったのは日が傾き始めた頃だった 日中あれほど沢山居た人たちは何処へ行ったのだろう 川の向こうに穂高の全山が雲ひとつ無い青空を背景に聳えている
西からさす光が西穂から前穂の方にはみ出している ピークの影がだんだん伸びてゆくのを時が経つのも忘れて眺めていた 周りの空気がだんだん重くなってゆく 歩いているときには感じなかったが 少し寒くなってきた 水音が強くなったような気がする 橋を渡りホテルに向かう 何度も後ろを振り返る 穂高の山々はこの時間になっても雲ひとつ無い空をバックにピークの所だけ光が当たっていた ベランダからも山が良く見えている 明日の日の出は4時57分との事 朝起きして夜明けの山を見ることにする
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上高地へ行ってきました1

2005-04-28 23:05:23 | 二人の旅
数年来の懸案であった 上高地の帝国ホテルへ今年の開業に合わせて一泊ながら泊まりに行ってきた 今年の上高地は3日ほど前に10センチくらい積雪があったそうでかなり寒いようなことを聞いていたので 真冬の寒さに対応できるようにして出かけた ところが 所ガデス こんな天気にあったことが無いほど素晴らしい晴天に恵まれました 穂高連峰の上空に雲ひとつ無い状態が朝から日没まで続き 今朝もママと二人で快晴の朝 5時前から 東の空が金色に輝き まず東が開けている焼岳が日がさすのを見 そして西穂 奥穂の稜線にきらりと日がさすのを 梓川の川岸のベンチから眺めると言う至福のひと時を持ちました 一時間くらいたって自分は自然探求路を大正池に向かいました くだりは梓川コースで行き 帰りは林間コースで上がってきました コースの殆どは未だに雪が残り 昨日解けて流れた水が凍りアイスバーンになっていて些か歩くのに神経を使いました
田代池の手前の所に湿原があり雪が解けたばかりの枯葉の腹を前傾に 穂高連峰の素晴らしい景観を楽しむことが出来ました
上高地には何度も来ている筈ですが このコースを歩いたのは初めてでした しかも雪の残った林の中の雪の上を歩くことが出来たのですから感激でした
今回は上高地の中を 2日間で20キロ近く歩き回り堪能しました 内訳はホテルと河童橋の間を3往復 明神池往復 大正池往復 これです 夕方の明神池や早朝の大正池往復では カメラを持つ手がかじかんでしまう寒さだったのに 山を下ると30度 この差は大きかったですね・・・・ 
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薬師寺 安田 暎胤管主の言葉

2005-04-13 21:52:49 | 二人の旅
4月13日
最終の目的地である薬師寺へ行った 今年はこれで二回目に成る ここへ来て
何時もの説教を聞いていると何か落ち着く ママはまたお写経の用紙を2部求めていた
昨年買って私が書くと部屋に持ってきている分も何かまだ手がつけられていないもに
夫々の家に送って書かせるつもりらしい なかなか無理だとは思うが 日常の中に何か
非日常的なものを取り込む幅の広さがこれからますます必要になる時代が来る気がする
そんな意味ではママの提案は是非皆でやってみて欲しい所だ
お正月に来たときから懸案にしていた 薬師寺・玄奘三蔵奉賛会に入会してきた
ここまで薬師寺さんに肩入れするのは何故だろう 自分にも良く判らない 一つはママも 
私も高田好胤師のフアンだったことが挙げられるのかもしれない しかしそれでも本当にフアンになるほど知っていたかについてはこれまた疑問だが・・・・・
それでも薬師寺へ来ると何かホッとすると言うか 着々と進化する様子が感じられる 今お写経の奉納数は700万巻を超えると言う そしてお写経1000万巻を目指して運動を進めるという しかしその運動の中心におられる安田 暎胤管主の掛れたものを読むと主要伽藍の7割が復興できたとの事です さらに一千万巻写経勧進を目指し、七堂伽藍の完成に向けて精進します しかし宗教者として「何のお返しができたか」を思うとこれからは伽藍復興の速度をやや緩めて、伽藍の活用、日本人の精神復興に力を注ぐことではないかと思っていますと 書かれています 何か非常に重い言葉に思えます
「創建当初の薬師寺は、今日の大学のような学問をする場所であり、人間形成の修行道場
でした また病気平癒を願い 人の心の癒しのために建てられた寺です そうした創建精神に近づけることが現代の寺にも求められていると思うのです」とも述べられています
自分自身もう少し理解できたら・・・ また書いてみたいと思います 

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毘沙門堂には 桜より素晴しいものがありました

2005-04-12 21:46:54 | 二人の旅
4月12日
さすがに今日は 雨になりそうだ 何処へ行くか少し迷ったが 結局昨日行くつもりであった
山科の毘沙門堂へ行くことにした 随分前から満開と表示されており もう散ってしまっていることを覚悟で 以前から何度も行こうとして行っていなかったのを果たすことにした
行ってみて驚いた 桜は満開であった そして今年のJR東海のキャンペーンの桜 これはしだれ桜だけれど 満開で咲いて居る 沢山桜があるわけではないが それぞれがその場所を得て咲いて居るような落ち着きが感じられる その雰囲気はあるいはこのお堂の座主さまの気持ちが然らしめているのかも知れない と言うのは ここに居る寺の方々が参拝者に非常に優しくゆったりと接してくれているからそのように感じるのかも知れません ご本尊が居る本堂は全員が参詣できるようにと拝観料を取らず その奥を見たい人だけ参拝料を納めさせるところにもその心意気が現れて居るようです そして醍醐寺の三宝院と違い自由に写真を撮らせているのです 安らぎの庭となずけられたそこは丁度雨が音を立てて池の水を打っていた事もありますが 芽吹きの始まったかえでを中心に何とも風情があり 何としても12月の始めにもう一度きたいと皆に思わせたことでした
道が狭くて大変では有りますが 今日のようにホテルから直行で来れば大丈夫かなと思っています
2時間くらいもいたろうか そのまま奈良へ向かうこととした 初日に醍醐寺から来た道を逆に進み 奈良へ向かった 我が家のナビはパナソニック製のくせに京都から奈良や宇治への案内が下手で途中いつも迷わされる 今回も変な所で高速に乗るように指示が出ていたが 載れなかったことが幸いして スムースに奈良へ行く京阪奈道に入ることが出来た 今日は何処へ行ったか 何と
私の希望で東大寺の大仏様を見に行ったのですよ 前回奈良に泊まった時には 朝早く置きだし2月堂の周辺は歩いていたのですが 大仏様には近寄らなかったのです だから大仏様には半世紀振りくらいにお眼ドウリを願ったわけで・・・・ やっぱり大きいわ そのためか大仏様の写真は全て 手ブレを起こしておりました ん~~~~ん今度のカメラは手ぶれ防止のはずなんだけれど

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原谷苑と常照寺

2005-04-11 20:56:12 | 二人の旅
4月11日
朝起きてみると 夜のうちに降った雨の名残が 地面に水溜りを造っていた しかし今日は完全に雨降りを覚悟していただけに 昨日に続き雨が降っていないことに感謝した
だから 直ぐに原谷苑へ行くことにした ナビに検索させるとちゃんと出てきた ホテルから10キロ弱の所であった すぐじゃん・・・と甘く見たのが大変の始めであった 一見道路が途切れているようなところへ行き着いた たまたま人がいたので聞くと がけのような細い道を降りて直ぐ右へ曲がり 橋を渡ると聞いていたはずだが 何を勘違いしたか左へ曲がってしまった 今のナビは優秀で直ぐに修正した道を示すのだがどうも 違うようなので 来た道を戻ることとした ところが途中何回もすれ違いが起こり 二度目などは塀との隙間が5センチくらいも無かった ママの優秀な技術が無ければ完全に擦り傷が付くところでした 元の道に戻ったが道幅はクルマ一台がやっと通れる幅です どうもナビが一番近い道を選んだようです 実際にはもっと広い道があるのでしょう タクシーには一台も会いませんでした やっと原谷苑に着きましたが 駐車場はタクシー専用で駐車できないと言うのです 戻れといわれ戻ろうとしていると 親切な係員がこの道を行けと轍の後だけがついている道というか踏み分け道を示し 上の駐車場で足の悪い人がいるので 下から指示されたと言えというのです 上の駐車場もタクシー専用になっていました そして脇の目立たないところに 今年から自家用車の駐車場は無くなりましたと表示されていた
しかし こんな苦労してたどり着いた原谷苑は期待に違わずなかなかの場所であった 斜面の一角をしだれ桜を中心に植えられ 今日は紅しだれ桜は6分咲き位になっていました しかし枝垂れ桜も満開で咲いており 2種類の枝垂れ桜を一度に見る稀有の機会で有りました 原谷苑でゆっくりしているとなんと青空が出てきました 青空の下の桜を写真に撮りましたがうまく取れていれば良いのですが・・・・
原谷苑に2時間くらいいて その後定照寺へ行きました 静かな良い寺だとサライに紹介されていたからです またあの狭い道を戻り 急な崖のような道を逆に登り 定照寺へ行きました 門に続く30メートルほどの参道には桜が満開に咲き 本堂やそれに続く書院も真新しく整備されていました 
その後 途中にあった「いづくら」に入り 昼食を摂った 中華料理の楼蘭なるところで食べたが なかなかの味であった 時間が5時少し前になってしまったので 今日の行動はそれまでにして 早めにホテルへ引き上げた

写真はこちらです
http://komainu.exblog.jp/

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醍醐寺と紅しだれコンサート

2005-04-10 20:51:54 | 二人の旅
4月10日
3時半起床 5時20分出発 市ヶ尾へ向かう 天気予報は京都地方は午後から雨
首都高も渋滞も無く1時間ほどで到着 義兄夫婦を乗せ7時少し前に出発した
東名は渋滞こそ無いがかなり込んでいた それも御殿場まででその後は順調に進んだ
途中4回ほど休憩したが大津サービスエリアには11時前に着いた ここで運転者を交代
ママが運転した 目的地は醍醐寺 幸い雨の降る様子は無い 醍醐寺の前は大変渋滞していて何時もの駐車場には駐車出来ずに 別の場所に誘導された 正月にも醍醐寺に来てはいたのだけれど 何年前か知らないけれど地下鉄が開通しており駅とショッピングセンターが2棟も出来ており大きな駐車場も出来ている 連絡バスが次々と来て皆を運んでいた
乗客を整理していた人が 今日は太閤花見行列が1時から行われるので丁度良い時間でしたねという 毎年4月の第二日曜日行われるのだが 何時もは桜が散ってから行列が行われるので 人気が無かったそうだが 今年はまさに満開の中で開かれるので10年に一度のチャンスだと言っていた 連絡バスに5分くらい乗り醍醐寺に着くと境内は人手一杯で何がどうなっているか判らないまま 三宝院唐門前で人波に飲み込まれてしまった 行列の出発は1時からとの事で知らぬうちに40分もただただ人波の中で待つこととなった
一時に行列は始まったが何も見えないカメラを頭の上に思い切り掲げて運を天に任せてシャッターを切る 周りを見回すと三脚につけセルフタイマーでとっている人がいました
ちくしょ~~~~もっと早く気がつけば・・・・・・
醍醐寺は本当に満開でした というよりもう桜吹雪が始まるところでした とにかく太閤が輿に乗っているところを見て何時もの雪月茶屋でお昼を食べようと思いましたがとても、
入れそうもありません 庭に縁台が出ていたのでそこでお弁当を買い食べました ところが5分も経たない内にお弁当も売り切れていました 危うく昼食を食べ損なう所でした
昼食後宝物館に入りました 大収穫でした 立派な桜が満開に咲き誇っているのです 紅しだれは終わっていましたが その他のしだれさくらと桜が満開なのです あれだけ立派な桜はなかなか見ることは出来ません
ホテルに荷物を置いて もう一つの目的である 平安神宮の紅しだれコンサートへ行きました 平安神宮の紅しだれは丁度7分か8分咲きで色も鮮やかな紅色をしていましたそれがライトアップされた照明の中幻想的な雰囲気をかもし出していました そんな中 琴とピアノのコラボレーションによる演奏が繰り広げられ池の畔を巡りながら聞く 此れは贅沢ですよね しかし最初は人の多さに圧倒されこのコンサートをどのように受け止めたらよいか判りませんでした しかし何度も会場で再入場できますとアナウンスされ我々も再入場券を受け取り もう一度最初から歩いてゆきました 最初とは打って変わって人も少なく園内を歩き 演奏を聴くことが出来ました ところが・・・・・終わる直前に雨が降り出しました 今日一日雨のはずだったのに 終わる10分前になって降りました
醍醐寺も 平安神宮も今年一番美しいときに出会いました 感謝しています

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上高地 初日の宿泊をゲットしました

2005-03-02 22:05:20 | 二人の旅
悪い癖が出てしまった 新しいソフトを使えば思いのままの事ができるのではないか・・・・・・
そう・・・サクラやで見つけてしまったのですよ 「ズバリ 巨大プリント」なるソフトを・・・
何でも私の持っているプリンターでも2メートルХ2メートルの大きさの印刷が出来るというソフトです やって見ましたよ勿論 それは出来そうです 出来そうですがA4判を何枚貼れば2x2メートルの大きさになるか計算しませんでした 何と10枚x8枚80枚も必要とするのです それを糊代をあわせながら貼ってゆくのは いかに楽観主義者の私でも 無理!!!! キンコウーズにでも頼んだ方がましに思えます まあその前に何を印刷するか内容を詰めるのが先なのですが、私の習性として出来るか 出来ないかの見極めが出来ないと先へ進めないのです そうーーーー
キンコーズへ行けば何とかなりそうという結論が出たことはソフトの代金1980円を投資した効果がありました・・・・ 何処からか「馬鹿でないの」という言葉が聞えますが無視します・・・
今週は明日まで休みだ 今日も何を遣ったか考えている 昨日は上高地帝国ホテルの宿泊予約の初日だった 11時からの受付との事で11時に電話をしたが 繋がらない 結局1時間くらい電話をかけ続けてやっとつながり 今年の営業初日の宿泊をゲットした 以前初日に上高地へ日帰りで行ったことがあるがそのときは駐車場にまだ雪が残っていた 当時はまだ自分の車で上高地へ入れたのですから ある意味ではよき時代でありました 今年はどんな状況になっているか楽しみです
初日に行っても上の池までは行けるんだろうか 秋に行ったときには猿が居たけれど春はどうなんだろう・・・・ 天気 はれるかな~~~~~ 
写真は12年前秋の明神池です
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デジカメだけのせいだけでは無さう・・

2005-02-10 23:21:48 | 二人の旅
同じ所を写真に撮っても 何故こんなに違うのだろう 機材の違いはさて置いても 素材そのものを浮き上がらせる アングルの撮り方が全く違う 雪祭りの名古屋城の写真です 何でも天守閣と西洋の城は毎年の定番だそうで 今年は愛知万博にちなんで名古屋城なのです そしてこの城の見所の一つは瓦  単に雪に形をつけたものでなく 雪を型に押し込んで一つづつ造り組上げていったものだそうです その表現が自分には出来ていない 悔しい所です

この人のBLOGで名古屋城を見てください ここです
http://newbeetle.exblog.jp/


私の撮った名古屋城です
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流氷は今年も空振りでした

2005-02-06 23:14:45 | 二人の旅
3日から5日まで北海道へ行っていました 今日は一日バイトでした 何しに北海道へ言ったかですって??? 決まっているでしょう流氷 流氷を見に行ったのですよ!!
去年は3月の11日過ぎに行ったので流氷がないのは分っていましたが 海岸の砂浜に大きな氷が連なっており晴れた空の下真っ青な海をオーロラ号に乗ってそれはそれで楽しめました 今年は少し早い気がしましたが丁度7日から札幌雪祭りがあり氷像も殆ど完成しているに違いない 両方見られるのならこれに勝るものなしと言うことで この日程を選びました 
コースは昨年と全く同じで 初日は千歳に下りてバスで日勝峠を越え足寄を通り 阿寒湖温泉へ、宿は恐怖のホテル御前水 昨年の待遇と部屋の悪さは想像を絶しておりましたから 所が今年は、千円UPするだけで湖側の部屋が取れ 部屋も少し広く 畳も普通でしたし 食事も昨年より向上しておりました また阿寒湖冬華美も昨年よりずっと楽しめる雰囲気がありました 花火も予想より数多く打ち上げられておりました 同じ所に泊まっても昨年より良くなっている所が有るのは楽しいものです 風がすごく強く早々にといっても一時間以上は外に居ましたが寒さは昨年がマイナス15度有ったのに 今年はマイナス11度しかありませんでした 風呂に入って早々に寝ましたが風はますます強く雪は降っていませんが嵐のような雰囲気でありました
翌朝8時の出発でしたが まず摩周湖へ行く道が閉鎖との事で摩周湖キャンセル 暫らくすると強風により網走から出るオーロラ号が全便欠航とのこと!!!!!!! そんな~~~~~これで今回の旅行の目的の半分はなくなってしまいました 残りの半分の半分は雪の道を走るのを楽しむこと もう半分は雪祭りの氷像を見ること いずれにしても少し気が抜けたのは確かです そんな中
屈斜路湖へゆき砂湯の所の白鳥を見ました 本来もっと南に行くはずの白鳥が居ついているそうで
やはり温泉が出ていることと関係が有るのでしょう 少し甘く考えて何気なく外へ出たのでしょう
・・・やーーー寒かった 摩周湖の変わりに硫黄山へより その後一路網走へ 気になったのは雪が少なく地肌が見える斜面が多いことでした 厳寒の北海道のイメージが崩れてしまいます
オホーツクの海は鉛色の空の下 にごった波が海岸に何列もの列を作って波頭からしぶきを吹き飛ばされなが打ち寄せておりました はるか水平線に白い線が引かれておりました
泊まりは層雲峡でした 層雲峡氷漠まつりは うん良かったけれど・・・ 去年と違って氷のツララのトンネルにも入れたけれど ツララは素敵だったけれど・・・ なにが足りないのだろう 何かが足りない・・・・う~~~~~~~ん
札幌ではmitsuguさんnanaさんに大変お世話になりました 一日を潰させてしまいました なごやか亭のお鮨は本当においしい 何かすごくお安い札幌ステイプランもあるんだって・・・・・
札幌から紋別か 日帰りもいいね

大通り公園に居たトーマス(??)

画像は何時ものこちらにUPします
http://komainu.exblog.jp/
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ランチ客はゴミ? 瓢亭のランチ

2005-01-16 22:33:33 | 二人の旅
昨日の続き
丁度時間になったので 瓢亭に向かった 夜食事することなど出来ないがランチならと言うことで出かけたのです しかしこれは大失敗でした 要するに瓢亭ではランチの客など客と思っていないのです 裏口に近い所から狭い部屋に何組も押し込み 冷たい弁当と称する物をドンと机の上に載せて えさのように食べさせるのです こんなことなら街の定食やさんかホテルで食べる方がよっぽどましです 何を勘違いしているのでしょうか ランチを出すと決めたときランチの客も瓢亭の客だと決断しているはずです どうせ二度と来ないのだからと思っているとすれば 全くその通りで 二度とどんなときも行くつもりはありません
さっさと座を立ち(追い出され) 隣の無隣庵の見学ををしてから寂光院へ出かけた 季節外れであるので途中快適に進む 川沿いを登ってゆくと所々に雪が見え始めてくる寂光院に入る道の入り口で車を止め 1キロほど歩く 畑には雪が残り白いカーペットが畑と畦にかかっている 川向こうの森にやや傾いてきた日が当たり キラキラ輝いている 林の縁にある家の屋根にも白く雪が映える 空は真っ青にどこまでも青い 時々車が追い越してゆくが 歩かなければこの風情はわからない 残念ながら寂光院はまだ工事中だった 勘違いをしていた もう工事が終っていると思っていたのです 心配なのは本堂の前にある松の古木が枯れているように見えることです 春には元気になればよいのですが・・・

画像は何時ものこちらです
http://komainu.exblog.jp/  
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御札のききめ

2005-01-15 23:16:25 | 二人の旅
今日の予定は瓢亭での昼食だけであったが ふと思いついて豊国神社に行った 境内に駐車場があり 料金も出ていたがご参拝の方は頂戴しませんとのことで そのまま止めた 秀吉の遺構にしては何か小さいような感じがしたが 立て札を読むと案の定豊臣氏滅亡後徳川により取り壊され 明治13年に再興したものであった 矢張り皇室には豊臣家を好ましいと思う気持ちは強かったのだろう 何か護国神社の原型を見ているようで 私には違和感のある神社であった 
その後三十三間堂へ向かい昨年も来た国立博物館の駐車場へ車を入れた ここは無料だから入れたのですが 三十三間堂へ言ってみるとここの駐車場も無料でした まあいいか・・・・
去年もここまで来たが寄らなかったし 昨日はホテルへ入る前に寄ろうとしたが 市内へ入る渋滞に巻き込まれ時間切れになったし 予定を立ててないから良いようなものの やっと拝観することが出来ました 4人とも何度京都へ来ているか知りませんがここへ足を延ばしたのは本当に何十年ぶりの人たちばかりで とにかくスゲーヤの一言でした 千躰の千手観音像も中尊千手観音坐像も
二十八部衆と風神・雷神像も・・・・ そしてここにあったのです お札に厄払いをする人の名前を書いて一週間経を唱え その人の所へ送ってくれるという御札が 薬師寺へ行ったときもそうでしたが 御札の効き目は一年間です また来年も新しく受けて送ります
でも・・・良く解らない事もあります 神社のお札は伊勢神宮で新しい年のお札を発行すると全国の神社の前年の御札の効き目が無くなるそうです お寺さんの御札は誰が効き目を決めるのでしょう????
写真は大弁功徳天像 繁栄や幸運を司る女神像です

何時もの通り他の写真をここにUPします
http://komainu.exblog.jp/ 
コメント
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