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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の音楽遍歴(4)

2011-09-07 11:15:50 | Weblog
 中3のとき同級生のY君が音楽室のピアノでブギウギを弾いていた。初めて聴く音楽だった。別のY君はピアノでバロックを弾いていた。

 私もブギウギのピアノを練習した。そこそこ弾けるようになった。Y君や別のY君と話が合って、軽音楽で何かとツルむようになった。ギターを弾いていたO君も加わった。Y君宅や別のY君宅で、私のクラリネットも参加して軽音楽の合奏をするようになった。

 こうして私たちはエスカレーターで高校1年生になった。そのころMJQ(モダンジャズカルテット)という知る人そ知る黒人ジャズグループが来日した。私たちはその演奏を聴きたくて聴きたくてチケットを買いに行った。しかし、よい席はプレイガイドには回ってこない。そこで私たちはプロモーター(外人タレントの呼び屋)のところへ学生服で直接訪問した。

 詰襟の少年たちを好ましく思ったのか、プロモーターは親切に応対してくれて、私たちの希望である「最前列の中央」の席のチケットを譲ってくれた。

 初めて聴くモダンジャズの生演奏である。しかも、最前列の中央。ものすごい迫力だった。しかし、メロディアスな演奏で私たちは陶酔した。この時の演奏は今でも忘れない。

 MJQの演奏とは以下のようなものである。
http://www.youtube.com/watch?v=UmpLtYmSlvM

 これをきっかけに4人はモダンジャズへとはまりこんでいった。新宿や渋谷道玄坂のジャス喫茶に入り浸った。ジャズ喫茶とは風紀の悪いところではなく、みな静かにジャズのレコードを聴いていた。名曲喫茶というクラシックを聞かせる店もあった。要するに、レコードは高く買えないので、みんなで聴いたという時代のことである。

 ギターのO君はエレキベースに乗り換えた。別のY君はドラムに。彼はいつもスティックを持って、机でも段ボールでも器用に叩いていた。主にY君宅に集まって、しばしばモダンジャズ演奏の練習をした。至福の時間だった。モダンジャズのサウンドは、実に新鮮だった。当時、絶頂だったビートルズよりも、私たちはモダンジャズに魅了された。(O君はビートルズを聴いていて、LPを何枚か持っていた。)

 こうして、このグループは高3の9月まで続き、高校最後の文化祭に出演し、講堂部門賞を獲得した。他のバンドは、ベンチャーズ風のロックばかりで、私たちの相手ではなかった。

 ビートルズに触発されたか、当時、グループサウンズが全盛となった。女の子たちがキャーキャー言って、大いに人気があった。けれども、一度、高度なモダンジャズのサウンドに触れてしまった私たちは、グループサウンズを覚めた目で見るしかなかった。

 高3の9月まで勉強がおろそかになっていた。文化祭が終わってから大学の受験勉強を始めたけれども、ちと遅かった。4人全員、現役では大学に入れなかった。でも、後悔はしていない。以下にマイルス・デビスとジョン・コルトレーンの珍しい映像を提示する。多感な高校時代を受験勉強だけで棒に振らず、豊かな音楽ライフを過ごせたことは、一生の宝である。
http://www.youtube.com/watch?v=qlIU-2N7WY4

(5)へ続く