院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ポルトガル管見記(名所旧跡篇)

2011-09-27 06:23:36 | Weblog
 ポルトガルでは名所旧跡に案内された。さすがキリスト教王国、案内されたほとんどが大聖堂や教会だった。

 それらは古くても13世紀の建築。キンキラキンの教会が多く、新しいものは19世紀の作だった。中にフランシスコ・ザビエルの肖像画が展示されている教会があった。

 ポルトガルは、大航海時代に栄華を誇った。往時の航海者を記念したモニュメントがあった。あのころはポルトガルがスペインと共に、ローマ法王から世界を2分してもよいというお墨付きをもらった時期でもあった。

 ザビエルを初め、ポルトガルが宣教師たちを世界に放ったのには領土的な野心があった。このころがポルトガルの絶頂期だったかもしれない。

 今やポルトガルは、国土は日本の4分の1、人口は半分で、経済的にも破産寸前である。航海者たちのモニュメントは、昔はよかったと懐かしんでいるような雰囲気を醸している。

 大航海時代、鉄砲が日本に伝来して、戦国時代の日本の勢力地図を一変させてしまったことを現在のポルトガル人は知らないらしい。カルタ、コンペイトウ、昨日も触れたカステラはポルトガルのものである。コンペイトウはすでに現地にはない。

 もっとも、カルタはドイツ語ではカルテだ。カルテは札のようなものを表す用語で、ドイツ語で切符のことをラントカルテという。英語のカードも同語源だろう。

 キリスト教建築遺産を多数見たけれども、さしたる感動を覚えなかった。建築については日本のほうが格段に勝っている。法隆寺、唐招提寺などはポルトガルの教会よりもずっと古く、かつ日本独特である。

 ポルトガルには自然遺産にも見るべきものがないようだ。ユーラシア大陸の西の端という「名所」があって、私も行ってみたが、ただの海岸である。そこの土産物屋で、ここに来たという証明書を有料で書いてくれた。妻がそれを求めた。氏名が幅広のペンで独特な字体で書かれた。昔、製図の授業で習った字体だ。私のほうが上手かったと思った。

 後で分かったことだが、娘もこの海岸には行ったことがあり、妻と同じく証明書をもらってきたそうだ。

 私にとって印象に残ったのは名所旧跡ではなく、ポルトガルの家並みである。ポルトガルでは焼くと赤くなる粘土しか採れないそうで、家々の屋根瓦がみなエンジ色だったのが思い出深い。壁は一様に白かった。別に法律で統制されているのではないという。

 旅行で心動かされるものは名所旧跡にはなく、何気ない日常の風景にある。