名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
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保守と言うこと(2018年10月)

2018年10月16日 23時51分08秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載

保守と言うこと

 戦後の一時期、手塚治虫の漫画は、「鉄腕アトム」も含めて悪書追放運動の標的にされた。曰く、暴力的、破壊的な絵が多い。擬音語を多用し、まともなセリフが少ない。果ては、高速列車や高速道路、ロボットなどを「荒唐無稽」と批判し、手塚のことを「デタラメを描く、子どもたちの敵 」とまで称した者もいたという。
 あれから半世紀。手塚治虫は漫画の神様と呼ばれ、宝塚に記念館が造られ、豊中の名誉市民になった。批判された当時、手塚の漫画を否定した人達の理屈も判らないではなかった。しかし、子供ながらに、「人間は、それほど理性的に理屈に従って生きてはいない」だろうという思いもあった。
 「保守」というのは、理性に対して懐疑的だ。決して理性を否定するのではない。ただ、理性に対して、全幅の信頼を置かない。ざっくり言えば、「理屈は判るが、どうもしっくりこない」という感覚を大切にするのが保守の特長だ。それだからこそ、人間が長い歴史の中で積み上げてきた伝統や伝承にも一定の敬意を払う。「保守」と天皇制や国旗国歌とは、直接につながっているわけではない。
 他方、「革新」は、理屈が通っていれば、急激な変革も厭わない。人間の理性を何より大切にする。しかし、理屈に走りすぎて自滅した例は山ほどある。ロシアやキューバの社会主義革命しかり。近代保守主義の祖E.バークは、フランス革命直後の悲惨な状況を観て『フランス革命に関する省察』を書いた。
 最近、ポリティカルコレクトネスと称して、社会的な差別・偏見が含まれていない、公正・公平な表現・用語を使えという主張が勢いを増している。歳のせいか、私には、これがまた、「理屈は判るがどうもしっくりこない。」
親から受け継いだ言葉を、理屈で強引に抹殺して良いのだろうか。もっとゆっくり変えていっても良いような気がするのだ。


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