35、6歳で念願のキャデラックを買った。
5.5メートル超の黒光りする車が積載車で届いた時は、ああ、果たしてオレはこんな最高級車に乗っていいのだろうか、と背筋がうすら寒くなった。
これからは映画「見知らぬ人でなく」のシナトラのように、「きみはキャデラックに乗っているんだって?」と尋ねられたら、「いえ、キャデラックが僕に乗ってるんです」と答えてやろうと思った。
ところがこのキャデラック、所有していた5年のうちの半分以上、ヤナセの修理工場に入っている、ニートな車だった。
最期に大きなトラブルを起こし、ヤナセの営業マンから高額な見積書を手渡された僕はさすがに癇癪を起した。
「大統領も乗っている最高級車がこんな体たらくって、どうなんでしょうね?」
すると相手は苦悩の表情を浮かべながら、ぽつんと言った、
「日本の風土に合わないんです。」
その一言に、あきれるより怒るより、なんだか妙に腑に落ちた。これまでの胸のつかえがすとんと落ちたような気がした。
修理をあきらめた僕は工場に入ったままの車を二束三文で売り払い、計10年に及んだ出費続きのアメ車生活に終止符を打った。
先日、息子から誕生日のプレゼントなのか、初任給で買った感謝の贈り物なのか、マネー・クリップをもらった。
これはまた、日本の風土に合わないものを。
初めはそう思った。
僕がマネークリップを持つのは二度目だ。
サラリーマンになってまもなく、ティファニー・ブティックでシルバーのシンプルなものを購入した。
背伸びしてしばらく使ってはみたものの、どうも日本人のライフスタイルに合わない。
受け取ったレシートは、キャッシュカードやクレジットカードは、小銭は、どうする。
意外に思われるかもしれないが、マネークリップでのお金の挟み方にルールはなく、自分が使いやすいようでいいのだ。
まとめて挟んでも、一枚ずつでも、縦に挟んでも、横でも、二つ折りでも三つ折りでも、順番は千円札からでも一万円札からでも。
自由というか、適当というか。
息子から贈られたものは、金属単体ではなく、革二つ折りの真ん中にクリップがついた、財布に近い形。僕には30歳若い日本のブランド物で、高かったろう。
でもなぜこの品物なのか、考えていてふと思った。彼は、自分の父親が「日本の風土に合わないもの」を好んで愛用していると誤解しているからではないかと。
ともあれ、それが誤解でも的中でも、相手を思って選んでくれたプレゼントを、これから末永く使わせていただこう。
初めて買ったシルバー925シリーズのマネークリップ
エルサ・ペレッティ・デザインのビーン・マネークリップ。可愛らしい。