ミューズの声聞こゆ

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キャプシーヌ

2021年07月30日 | ハリウッド

 またもや、買い集めたビデオテープを捨てる話である。

だいぶ寂しくなってきた棚から、僕は運悪く「ピンクの豹」(1963年)を掴んでしまった。

うわー、オレにこれを処分しろというのか、、いや、誰も言っていないけれど、こんなモノを残されても子供たちが困惑するだけだからな。

ピンクパンサー・シリーズの記念すべき第一作の、この楽しいジャケット写真、クルゾー警部(ピーター・セラーズ)の肩に顎を載せている超美人が、パリのトップモデルからハリウッド女優に転身したキャプシーヌだ。

 

キャプシーヌはクルゾー夫人役でその後、同シリーズに計3本、出演している。美貌のコメディエンヌなんて、最強だ。

下はまだ駆け出しだったウッディ・アレンが脚本を書いたドタバタお色気コメディの傑作「何かいいことないか子猫チャン」(1965年)。この、ロミー・シュナイダーがピーター・オトゥールを踏みつけているスチール写真が大好きだ。

 

 初めて観たキャプシーヌの映画はジョン・ウェイン主演の西部劇「アラスカ魂」だったか、それとも、ウイリアム・ホールデン主演の「第七の暁」(1964年)だったか。
後者については以前書いた。第二次大戦中、マレーで抗日ゲリラとして共に戦ったゴム園主(ホールデン)と現地人リーダー(丹波哲郎)。強い友情と信頼で結ばれていた二人だったが、数年後、独立運動が激化する中、モスクワ帰りの丹波は共産主義テロリストを指揮して次々と過激な事件を起こし、ホールデンもまたその渦中に巻き込まれて行く-。
 映画評ではあっさり「凡作」と片付けられていることが多いけれど、僕はこの映画が好きで、テレビにかかるたび観ていた。
大霊界へ行ってしまう前の丹波は、ホールデンを敵に回しても持ち前の押し出しの良さ(=態度のデカさ)で一歩も譲らない大好演。さすが中央大学法学部卒(ただし裏口入学)だ。
そしてこの二人に愛される役が、キャプシーヌだった。

 

一本前にホールデンと共演した「ライオン」(1963年)。二人は当時恋仲だったという。その後別れてしまうのだが、深酒の果てに孤独死したホールデンは遺言でキャプシーヌに5万ドルを贈っている。

原作はジョゼフ・ケッセルの小説(白水社刊)

 

その彼女も、1990年にうつ病が高じてスイスの自宅マンションから飛び降り自殺している。このニュースを新聞の朝刊で読んだときは心底驚き、悲しんだ。

 

 デビュー作でフランツ・リストの伝記映画「わが恋は終わりぬ」(1960年)。リスト役のダーク・ボガードはLGBTだが、唯一、キャプシーヌだけは結婚したいと願った女性だったとのちに語っている。

この作品のビデオはボガードの小説集とともに書棚に並べている。ああ、それらもすべて処分するのか、、。

 

バービーになったキャプシーヌ

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