長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

秋の色種

2010年03月19日 22時11分30秒 | お稽古
 夏の終わりから晩秋にかけて鳴く、虫の音を聞きながら眠りに入るのが、たとえようもなく好きだ。熱かった昼の日差しに痛めつけられた身体を、湿気を含んだ夜のとばりが降りた寝床に、虫たちの柔らかくやさしい声に包まれて横たえるのは、なんとまあ、愛おしく、心やすらぐひと時であろうか。
 長唄には、そんな秋の虫の声を模したメロディの、虫の合方がたくさんある。
 自然界の中で起こっている森羅万象を、音楽の中に取り入れる。音楽だけじゃなくて絵画やお菓子のデザイン的なもののモチーフもそうだけれど、日本人はなんてやさしい視点の、そして広い着眼の持ち主なんだろうと思う。
 三味線には「さわり」があって、一の糸にわざと雑音が入るような仕組みにこしらえてある。あまりにクリアで単純な音だと、面白くないのだ。
 西洋音楽では無限にある音を合理的に12音階に区切って、音の重なりを楽しむような作曲に進んでいったが、日本の音楽は、発想がまるで違う。唄と三味線のメロディラインが全然別で、でも不即不離の関係で成り立っていて、そのズレが絶妙にマッチしているところが面白いのだ。
 だから三味線にはフレットがない。どんな音でも出せて、その揺らぎと移ろいがたとえようもなく、美しく素敵に情緒的な世界をつくりだす。正確にドレミを弾けば弾くほど、邦楽としての含蓄や面白みは失われていく。
 昔、聞いた話だが、日本人は虫の声を、芸術を司る機能がある右脳で聴いているのだそうだ。それに反して外国人は、虫の声を左脳で聴く。左脳は言語や事務的な能力を司る。それで、外国人には虫の声は雑音にしか聞こえないそうなのだ。
 なんて、モッタイナイ。
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