長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

蝶の遊び

2010年09月06日 23時23分00秒 | 美しきもの
 八月も終わりかけた、熱いながらもさわやかな風の吹く朝方、私はふと、吉祥寺稽古場の、奥の窓の外に目をやった。
 蝶がひらひらと舞っていた。黄みがかった枯葉色をしたところへ黒い斑点のある、なかなかに美々しい蝶である。タテハチョウの仲間でもあろうか。

 「こんなところまで…」と、私はちょっとびっくりした。吉祥寺稽古場は井の頭公園のすぐそばの、マンションが林立している一角にある。
 ここは9階で、鳩はよく飛んでくるのだが、蝶々がここまで上がってきたのは初めて見た。奥の窓はちょうど、Lの字形のマンションと別棟のIの字形に囲まれてコの字形になっている角のところで、吉祥寺公園通りを挟んで、ヒッチコックの『裏窓』のような景色になっている。
 たまたま、稽古場の窓の外は、上昇気流が生まれる地点というか、吹く風が、うまい具合に交差して、通り過ぎずにぶつかって渦を巻いて、上か下かへ逃れていく空間なのだろう。

 安西冬衛の「てふてふが一匹、韃靼海峡を渡っていった」という詩を、すごく久しぶりに思い出しながら、何となく、ふわふわ、ひらひらと舞う姿にしばらく見とれていたら、かのものが、不思議な動きをしていることに気がついた。

 たいがいの蝶は脈絡なく、ただふわふわと漂っていくだけのようにみえるのだが、そのキタテハは、何やら、規則正しく舞っているのである。
 最初は、らせん状に円を描いて廻り灯篭のように降りていくのかと思ったが、よく見ていると、そうではなくて、Cの字の形に円弧を描きながら往ったり来たりして、徐々に下の階のほうへ降りていく。スカイダイバーのように。ふわふわ、ひらひらと。

 風を翅に受けて、気持ちよさそうに、楽しそうに、ふわふわ、ひらひら。

 なんと、川風を受けて水路を往ったり来たりする燕のように、車輪で遊ぶハムスターのように、きゃつも遊んでいるのである。

 本能に任せてか、風の吹くままにだか、いつも心許なく、ただ漂流しているように飛んでいるという以外に、意思の在り処など考えもしなかった蝶々が、遊んでいるのだ。
 あそぶ、という知恵を持っているのだ。

 これこそまさに梁塵秘抄の、遊びをせんとや生まれけむ、というやつだ。

 すっかり感心して、急いで窓を離れて用事を済ませて、また窓際に戻ってきたら、先生、お隣のベランダに咲いている、紫色の花穂にとまって、ひと休みをしている。

 どうするのかなぁ…と、そっと覗いていると、また、例の遊びの続きをはじめた。

 ……蝶も遊ぶのだなァ。

 私は、昔観た、手妻師のあやつる紙の胡蝶の舞を想い出したり、『連獅子』や『鏡獅子』『英執着獅子』などの石橋ものの、戯れる蝶の合方のメロディを思い描いたりしながら、まったくもって、本当に、生き物の面白さに感服して、しばらくのあいだ息を詰めて、窓辺に佇んでいた。


 

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