長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

忘れじの桜③六世中村歌右衛門

2010年03月29日 00時35分36秒 | 歌舞伎三昧
 今の福助が襲名した時だから、もう十八年も昔になろうか。平成の福助が誕生するとて、歌舞伎座で一度きりの記念上映会があった。
 手元に記録がなく、記憶で述懐するので断定できず申し訳ないのだが、昭和28年だったか昭和32年だったかに制作された、六世歌右衛門の『京鹿子娘道成寺』である。舞台の記録映画というだけでなく、一部をスタジオ撮影していて、全篇物語映画風なつくりになっていた。
 その頃の大成駒は、神谷町との『二人道成寺』などで、一人で道成寺全曲通して勤めることはもうなくなっていた。『伊勢音頭』の万野役など、遣り手婆のようないやらしさをこれでもか、と、ねっとり愉しそうに演じていた。
 芝居はライヴ感がすべてである、と思っていた私は、舞台映画を観るのは気が進まなかったのだが、この映画が上映されることは滅多にない、大変珍しい機会なのである、という福助の番頭さんの言葉に促されて、観に行った。
 ありがたい。親の意見と番頭さんの言葉に、百に一つも無駄はなかったのである。
 おなじみの道成寺の釣鐘をぼんやりと眺めているうちに、私はもうその世界に引きずり込まれていた。ただただ美しかった。成駒屋だけではなく、成駒屋を取り巻くすべてが美しかった。山門の朱、草木の緑、舞い散る桜の花びら。一心にくるくる舞い踊る白拍子花子。
 舞台のなかの野山の春。柳はみどり、花はくれない。戦争に負けて焦土と化した国破れて山河ありの、あの時代に、あの失意のどん底にいた日本に、こんなにも美しいものがあったのかと、大道具の書割の青い空を観ているうちに、私は心が空っぽになって、ただただしみじみと感動して、ただただ涙を流していた。
 映画を観て虚心坦懐、悲しいとも可哀そうとも嬉しいとも思わず、滂沱の涙を流したのは、後にも先にも、これと、あと、中学生の時に観た、フランコ・ゼフィレッリの『ブラザーサン・シスタームーン』だけである。


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2 コメント

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Unknown (rallizes)
2010-03-30 00:25:35
ご無沙汰しております、越南渡世人でございます。ブログ、大変面白く、Mixiでの我が駄文に嫌悪増す今日この頃、反省と自戒を込め精進の糧とさせていただきます。ということで今晩はブラザーサン・シスタームーンからドノバンの唄でも聴こうかな、と。
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ありがとうございます (徳桜)
2010-03-31 00:08:00
越南の空の下からのご閲覧、深く感謝申し上げます。
ドノバンをぜひ三線で奏でて下さいませ!
旅情もひとしおでありましょう…
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