長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

立川談志

2010年03月14日 23時16分34秒 | 落語だった
 こども時代からアラ厄のころまで、私がどれだけ立川談志を好きだったか、知ってる人は少ない。
 芸のことは私が言うまでもなく、昭和30~40年代、キュートなルックスと、なによりもあの、反骨精神と毒舌が、こども心をシビレさせた。
 日曜日のテレビ番組は正午から、大正テレビ寄席、ズバリ当てましょう(買いましょうだった??)、家族そろって歌合戦、そして、笑点だった。星の王子様で売り出していた円楽は、こどもの目線ではカッコイイとは思えず、いくら笑っていても目が笑っていない、何となく好かん人だった。
 私のオッカケが本格化したのは、談志が落語協会を飛び出して野に下った以降だ。ある時は多摩川線に乗り込み、鵜の木寄席というお寺に詣で、またあるときは東陽町は寄席若竹へテープマニアの集いという、当時TBSラジオの早起き名人会からスピンオフした企画集会へ、またあるときは千人規模のホール観衆となり…。独演会の切符があまりに取れないので、姿を観たいがために日暮里サニーホールでの漫談までも通った。
 小よし時代を知っている親戚は「源平」を絶賛する。私のリアルタイムでは…談志なら何でもよかった。ある時期はやたらと「野ざらし」ばかりかけてたこともあった。も一度聞きたいのは「桑名舟」。
 あの、立て板に水の名調子と、客をいじる機転の素晴らしさ。ことさら偽悪的な気風のよさ。好きだったなあ。
 21世紀になってから、落語も寄席も、一時ほどの熱狂を私に与えてくれなくなった。
 談志は高座で「業」を強調するようになった。私は、観客として、拘束よりも解放を欲する。

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