長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

紙衣ざわりが粗い、あらい

2013年02月10日 01時20分31秒 | キラめく言葉
 ここ暫く、最近とくに、雑踏のありようが変わってきた。
 歌舞伎十八番の一「助六」の歌詞中にも、

  ♪野暮は揉まれて 粋(すい)となる…

 というのがあるが、このところの人波は、揉まれるというよりも、人が当たってくる。
 街なかで歩いているのに、何かラグビーの競技でもしているようにタックルしてくる人もいる。 そして、ここからが不思議だが、人にぶつかっているのにゴメンナサイでもなく、そしてまた自分も痛いんじゃなかろうかと思うのだが、何事もなかったように往き過ぎるのだ。
 “これもん”のお方にぶつかられて話が始まるお笑いのコントね、あれはもう成り立たない前世紀のネタですょ。

 混雑した電車の中でもそうだ。降車時、スミマセン、ごめんなさい…と言いながら人混みをかき分けドアまで進もうとするわけだが。
 以前なら、芝居の鉄棒(かなぼう)曳きよろしく「かぁたよぉれ、かたよれ~」と触れて歩いたわけでもないのに、そう声掛けするとお互いさまのことであるからして、自然と片寄ってくれたのだが、今現在の電車に乗り合わせている人々は、ピクリともしないのだ。
 そしてまた、足を踏もうが鞄が当たろうが肘が入ろうが、気がつかないのか気がつかないふりをしているのかは不明だが、他人に対する配慮というものが全く存在しないのだ。
 おそろしい。
 欧米の映画で観た、殺伐とした土地柄に棲む荒廃した人心の群れ。
 思想も教義もない、道徳観念もなくなった日本人の歪曲した欧米化、ここに極まれり。

 むかしはよく、外国人が日本に来てビックリするのは、日本人がものすごく優しい、ということだと言われていたが、それらはもはや幻想ですから、お気をつけ下さいませ。

 出掛けるたび、私はつぶやく。
 ちょいとまー、なんでしょうねぇ……「紙衣触りが荒い、あらい」…粗いょ。
 年の瀬の遊郭の風情を写した芝居『廓文章』中の台詞。12月の歌舞伎というと、やはりこれが思い浮かぶ。
 放蕩の末に勘当されて零落し、紙の衣を着る境遇になった、いいとこの若旦那が、呑気にそう言う。このセリフの前句は「喜左衛門としたことが…」。
 ほんにまぁ、日本人としたことが。
 西暦1700年~1800年代、この地球上で百万都市だったのは江戸だけだ、と、むかし聞いた。
 狭い地域に密集して住んでいたからこそ、都市生活での知恵も生まれ文化も磨かれたのだ。
 他人を思いやる「しのびない…」という言葉は、トータルテンボスのギャグでしかない、21世紀。

 白と薄桃色の繭玉が飾られた、炬燵のある座敷。
 …あの街なかで他人に当ってしれっとして去っていく人にも、自宅でほのぼのすることもあるのだろうに。

 きょう2013年2月9日は、旧暦の平成廿四年師走の廿九日で、大晦日なのだ。
 明ければ平成廿五年の、新しい朝が始まる。

 
コメント
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