長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

国境

2010年11月07日 19時09分00秒 | 歌舞伎三昧
 川端康成の『雪国』の冒頭に、「国境の長いトンネルを抜けると…」という記述がある。
 この国境はみな「こっきょう」と読むが、作者本人は「くにざかい」というつもりで書いたのだと、昔、誰かに聞いた。
 最近散見する、文章の読み仮名が滅茶苦茶だ。邦(くに)の言葉、訓読みで読むべきところを、音読みでルビが振ってあるので変なのだ。
 歌舞伎の大向うでも、間違った声のかけ方に、客席でヤキモキしていたことがある。
 「九代目」は「くだいめ」、「四代目」は「よだいめ」。「きゅうだいめ」とか「よんだいめ」なんて、言わんといて。車じゃないんだから。

 この感覚は、日常、日本語で読み書きしていた者には自然に身につくものだったが、平成時代になってから、気がつかないうちに、日本文化は日常に身につかないものとなっていたのだった。

 このところ、世の中が騒がしくて、本当に気が気じゃない。
 お隣との境界は、個人宅でさえ遠慮して、曖昧にしている。あまりに明確に主張し合うと、ぜったい争いになる。昔は生け垣だったりして、子供は植え込みの根方の隙間をくぐって、往ったり来たりできたから呑気だったねぇ。いい時代でしたョ。
 お互いさま、という言葉が日常にあって、隣同士のことだから…とご近所づきあいは持ちつ持たれつ、互いに遠慮したり気を遣ったりして、ある程度許せるようなことには目くじらを立てなかった。みな、お互いの我慢の限度というものを察知していたからだ。

 以前読んだ本にあったことで詳細は忘れてしまったが、元禄時代、とある人が朝鮮半島との国境付近にある無人島を開墾したいということで、幕府に嘆願書を出した。
 時の五代将軍・綱吉政権では、「あの島は隣国に近いので、相手の国のことも考えて、触らないようにしたほうがよい」という意味合いの理由から、却下したそうである。

 なんて奥ゆかしい、と、そのとき私は膝を打った。21世紀の日本の国がこのようになるとは思わなかったから、そういう曖昧な状態が容認される世の中に、喝采を送ったのだ。

 こんな感覚、古い日本人にしか分からない。
 最早、そういう奥ゆかしい隣人幻想は通用しなくなってしまったのだ。
 自分の主張をすることしかしない、ある意味、西洋的感覚に覆われた地球で、日本も何とか生きていかなくてはならない。
 …いったい、どうしたもんでしょうねぇ。

 江戸から明治にかけて七五調の名調子のセリフで大人気、現代にもファンが多い、歌舞伎脚本家の河竹黙阿弥は、「なんだか、世の中が戦争をしそうな感じになっちゃってきたし、もうこんな世の中イヤだから、俺はもう死んでしまおう」と言って、亡くなったそうである。
 その翌年、日清戦争がはじまった。

 このエピソードを聞いた時、私はもう、胸がいっぱいになってしまって、ぼろぼろ涙を流した。
コメント
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