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長崎ブリックホール

2017年09月16日 | ライブ・公演・舞台

ヒロリンさんから、昨日の長崎ブリックホールのご報告を頂きました。

早速どうも有難うございました


 

Saoさんお久しぶりです。長崎無事終わりました。
2時間半立ちっぱなしでしたので疲れはて報告今日になりました。

 ジュリー上機嫌でした。声も伸びて特に高音は最高でした。

MCは台風の心配と古稀のコンサートで長崎にも来たいと言ってました。
上機嫌にしてはあまり喋りませんでした。
きっとお疲れだったのでしょう?
博多のチケットを買ってて良かったです。
ジュリーに怒られるけど博多と長崎では気持ちの入方が違うかな? 

でも長崎のファンは凄い熱気で熱かったし満足出来たと思います。


ヒロリンさん、ずっと立ちっ放しでお疲れ様でした 

最近の神戸や名古屋に参加した方が、その中でも長崎の声が最高に良かった!と言われていたそうです。

連日のLIVEで熱唱のジュリーは、ほんとに凄いです!

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週刊新潮の連載コラム、森茉莉のドッキリチャンネルでジュリー

2017年09月15日 | 新聞・雑誌 記事

昨日の市村羽左衛門さんのブログを見て、J友さんがその当時の週刊誌の画像を送って下さいましたので、貼っておきます。どうも有難うございます(^-^) ※一部切れています

ジュリーと森茉莉さんが「婦人生活」で対談した時の画像。

この時のジュリーは、おそらく60を過ぎてから髭をはやすなんて、思ってもいなかったのでは??

森茉莉さんは、文豪の森鴎外の長女です。(ファザコンとの噂も)週刊新潮の連載コラム(ドッキリチャンネル)でジュリーの「悪魔のようなあいつ」や「太陽を盗んだ男」を激賞したところ、ファンだということで平凡で対談することになりました。いかなる権威にも尻尾を振らないのがジュリーで、茉莉さんにはそれほど愛想がよくなくて 話が弾まなかったらしい。輝くスーパースターを期待していたのに、ジュリーはセーター着て普通のカッコしてやってきたと、かなり茉莉さんはガッカリされたようです。

しかし、文句を言い過ぎた、沢田に謝りたいと後から書かれていました。ファンの1人1人に、こんなジュリーであって欲しいという願望がありますもんね。茉莉さんもそういう気持ちが強かったのだと思います。

J友さんから、下は週刊新潮「ドッキリチャンネル」より(ちょっと読みにくい所は、コントロールキーで拡大して見て下さい。一部切れています)1981年頃か

※下が切れています 

「歌手の年齢には限りがある。あまり歳喰っては出来ない」と書かれていて、このへんにジュリーとの齟齬があるんでしょう。ジュリーは70歳目前で今も歌い続けていますよと、87年に亡くなった茉莉さんに教えてあげたい。

ショーケンが、この後 蜷川さんの監督で民谷伊右衛門を映画で演じて居ます。

ジュリーが森茉莉さんのことをラジオで話していたことがあって、「悪魔ようなあいつ」や「太陽を盗んだ男」は褒めても「源氏物語」は褒めていなかったと、いささか不満そうでした。

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②神戸国際会館こくさいホール

2017年09月12日 | ライブ・公演・舞台

日曜日という事もあったので、昨日の神戸は地元民以外の遠征のJ友さんたちも多かったです。映像が始まったら大きな歓声、嬌声が上がって、ジュリーはヴィヴィッドな反応を嬉しく思った事でしょう。始まる前から大きな期待と熱気に包まれていたと思いました。

映像の最後の口の動きは、断然「ありがとう派」でしたが、昨日は「愛している」と動いたようにも見えて、まぁ どっちでもいいか~ どちらでも嬉しいです(^-^)

8日の浪切では特に声が良かったと聞いています。神戸は初めはチョっとガラッとしたところがありましたが、歌うごとにどんどん声が出て、声の力強さ、繊細さ、甘さと、ジュリーらしい持ち味が十分に発揮されていると思いました。若い時の声の透明感のある美しさに、年齢を重ねた分 さらに味わいが加わって包容力のある、豊かな声だとつくづく思います多くの歌手たちが、年齢を重ねるごとに声量や声の艶を失っていく人も多い中、ジュリーの豊かな声は本当に素晴らしい・・・A面曲はほんとにどれも素晴らしいのだけど

今回の曲の流れで 特に好きなのは 

20 愛の逃亡者 THE FUGITIVE
21 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~
22 STEPPIN' STONES
23 CHANCE
24 ラヴ・ラヴ・ラヴ

「愛の逃亡者」は今までのライブで長く歌っていないので嬉しい。何たってジュリーが超売れていた頃の、様々な思い出がい~っぱいある 高校生だった我が青春の1曲です。

アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」「STEPPIN' STONES」「CHANCE」は映画「リボルバー」の前年辺りの87年くらいです。もう30年も前だけど、この3曲はジュリー自身に色々あった頃ですが、そこに深く触れたくないので、曲をじっくり聴きこんでいませんでした。ジュリーもTVのベスト10番組に出ることも無くなっていました。すでに歌番組自体も減っていった頃ではないでしょうか。そうなると、ますますジュリーの新曲を聴く機会がなく、印象が薄いとしかいいようがない3曲(アリフはCM曲なので、そう印象薄いわけじゃないけど)

今回「アリフ」の腕をシュッシュッと何度も切れよく降り下ろすところが、心からカッコイイ~!! 当時のおそろしく色っぽいジュリーの姿と、今の髪の短いジーさんのジュリーが思わず重なるの。ぜ~んぜん 変わり果てちゃったんだけどさー(笑) 「STEPPIN' STONES」「CHANCE」も今回のライブで見直しました。長らくライブでは聞いていなかった曲を聴けることは、ファンとして幸せです。

そして「ラヴ・ラヴ・ラヴ」もちろんタイガースのフィナーレを思い出すけれど、今はそこをとうに超越してジュリーとファンとの間の、まさに愛の賛歌。思わずジンワリと涙が浮かびます

1階後方席のJ友さんによると、いつの間にか通路に観客が多数立っていて、押すな押すなだったのだとか。まるで、昔昔 少しでもジュリーに近寄りたくて、通路に押し寄せた頃を思い出してしまいました 全然 係り員の注意もなかったそうで、あんまり大勢でどうしようもなかったのかしらん?

終わった後の混雑がまた大変で、人人人人人 

ロビーが人波で埋まってしまって、下りエスカレターの場所がどこにあるのかも わからない 係員が声を出して整理していましたが、あんまり役には立っていなかった気がします。いや~ ほんとに凄い混雑ぶりでした。気がゆるむと危ないという、身の危険を感じました。

ちょうど30年前の1987年、ガ~ラガラの神戸文化センターの客席を知っているので、この大盛況ぶりはまさに隔世の感。地道に信念を曲げずに真っ直ぐに、ジュリーが歌ってきたからこそで、結局 時代の方がジュリーに寄り添ってきたのだわ。


ライブが終わった後は、遠征のJ友さんたちと、お互いに遠慮なく飲んで食べての楽しい宴会になりました。ご一緒してくださった皆様、お世話になり有難うございました。

宴がはねた後、夜の神戸国際会館。

また来年の古希までサヨウナラ

       

 

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①神戸国際会館こくさいホール

2017年09月11日 | ライブ・公演・舞台

J友さんから、神戸ライブから帰る途中にメールをいただき、ジTVの『27時間TV』で日本の歴史をやり、タイガースが登場し「素晴らしい旅行」の曲とともに、田コロの映像が少し流れたとご報告をいただきました。タイガースもジュリーも、もちろん日本の文化エンタメの中で、語るに欠かせない歴史に違いありません。


1年ぶりのジュリーの神戸のコンサートは、いつも盛り上がりますが、いつもよりもさらに、もっと大きな熱気に溢れた 熱い熱いライブになりました

早々にチケットは売切れて、立見席も販売していました。大勢の人が開場前に行列していたので、早めに開場した会館の入り口の横には、立見席の観客の長い列がありました。立見の観客は、開演前にまとめて入場の誘導があったようです。還暦コンサート以降、神戸の会場はいつも盛況で、タイガースのライブの時も立見席が出ていましたが、今回は さらにそれ以上の観客の熱気を感じました。

ジュリーのTシャツを着たジュリーと同年代の男性が目についたのは、気のせいかしら? はるかに高い4階席までにも観客が入っていました。

今日も声がよく出ていて、「グリーンボーイ」では とても丁寧に思いを込めて歌詞を歌っていると思いましたが、もちろん どの曲も手を抜かないというのがジュリーです。髪もかなり伸びてきて、さらに体型がスッキリ!したと思いました

取りあえず、簡単ですがMC・・

50周年で50曲歌いますが、ヒット曲ばかりではありません。来年は70歳。困ったもんた&ブラザーズには笑いました。神戸の震災の話がでたので 神戸を気にかけてくれているのだと、嬉しく思いました。あの頃はポケベルだったが、震災から携帯電話が普及した。みなさんはSNSをやっていますか?(このブログもSNSの端くれには違いない)僕は一切やらない。便利と言われても僕はガラケー。調べたら新神戸近くの居酒屋がいっぱい出る・・(※あの付近の居酒屋にいったのかしらん?? )昨日は1万歩以上歩いたらしいです。

タイガースが解散する頃の自分は、69歳になるまで やっていると思っていなかったはず。ジジーになったら杖を突いて歌うけど、裕也さんが足が悪くなって、杖をついているので、マネをしていると思われたら困る・・裕也さんは目が悪い。裕也さんの杖の先にはラバー(?)が付いている。50代の半ばにカッコイイ杖をこーたんです。「俺には つえー見方があったのだ」と、国定忠治ばりに無い杖を振り回していました。車いすでも歌いまっせ!

これだけ進歩しているのだから、スゴイものが出来るはず・・瞬間移動ができる、空中に飛んでる。落ちたら困るけど。できるだけ長く歌えるように、一番大事にするのは喉よりモ耳。聴こえないと音程がとれないので、耳を大切にする。ヘッドフォンやイヤホンは使わず、家の中でエアで聴く。耳を大切にする、酷使している。(酷使で)国士無双・・ 

今日の日まで元気で来れて本当に嬉しい。ひとえに皆様の声援の賜物と心よりお礼申しあげます。(※これまでは、皆様のお蔭とは言わなかったのに、今日は素直に皆様の声援の賜物と、いつもより殊勝なジュリーでした)

これまで努力はしましたが、品行方正な人間では有りませんので(ファンが)逃げるチャンスはあった。見に来て下さって有難う・・60~70まで随分長かったと思う、世間のペースとは違う。皆さんも元気でいて下さい。

「品行方正な人間では有りません」に、2度の暴行事件だけではなく、離婚再婚の事も含めてなのかと思いましたが、ジュリーの歌が聴きたいから、ジュリーから逃げたりなんかしないわ。それよりも、言葉にして「有難う」と言ってくれたことが嬉しいの。

 

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御影公会堂

2017年09月09日 | 紀行(建築・桜)

左上に、六甲アイランドへ渡る二重の橋が見えるここはどこ?

画面下の道路は国道二号線です。

私がいるのは御影公会堂の塔屋です。特別に入れていただきました。有難うございます、ラッキ~♪

夏の終わりの どこまでも澄み切った青い空に突き刺さるのは、屋上の避雷針。

塔屋からの景色は、北には六甲山、南には海と360度のパノラマです。

この春、耐震改修工事をして1年ぶりにオープンしました。→御影公会堂HP

8月末に、この春に改修された御影公会堂に行ってきました。御影公会堂は「火垂るの墓」にも登場する、東灘区の石屋川沿いのランドマークです。

改修によって1年間閉鎖されていましたが、美しくなって再び姿を現しました。茶色いスクラッチタイルの外壁、船のような丸い窓、特徴的な階段状の屋根など、毎日横を通るので見ている建物ですが 辿ってきた歴史を改めて感じます。

昭和8年から、災害、戦争、震災の何度もめぐってきた苦難をくぐりぬけて、住民に愛されながらこの地に変わらずに建ち続けています。

レトロな姿はそのままに、玄関ホールなどは使いやすく改修されました。意外に低い天井にどっしりとした太い柱が特徴です。戦争で内部は全焼して改修されたとかで、華美な装飾はなく質実剛健の印象です。改修前は柱周りや壁の塗りがボロボロでした。

いくらなんでもこれはひどい、綺麗にしてくれたらいいのに・・ と思っていたので、ほんとに綺麗になりました!柱のアーチが優雅で素敵です。

初めて入れて貰えた、1階の広い会場。ここでは、企業のフェアなどが よく開催されています。

        鶴の緞帳は、白鶴酒造から多額の寄付で この公会堂が建ったから

        

2階から3階への白い階段に、明り取りの天井から柔らかい日が差して 白い空間は静かに穏やかです。このレトロで柔らかい雰囲気が好き!

天上の明り取りも綺麗になって、レトロな空間がさらに清潔感が増して、とても素敵です

2階の部屋は貸し室になっていて、人気があるそうです。

地下には人気の洋食店があり、新たに御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーが開設されました。嘉納治五郎さんといえば、講道館柔道ですが教育者でもあり、その縁の灘高には石碑があります。東洋人初のオリンピック委員で、日本にオリンピック招致を尽力した方です。

再来年のNHK大河はテーマがオリンピック、嘉納治五郎さんも登場するかも?そうなると、ここも さらに注目されそう!

 嘉納治五郎さんの銅像の前で、若い男性が数人たむろしていたので、柔道関係?にしては茶髪やわ?と思っていたら、人気洋食店に入るのを待っている人たちだった。相変らず洋食店は人気です。また私も食べに行きたいわ~   

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③リボルバー

2017年09月08日 | TV・ラジオ・CM・映画

「リボルバー」関連の手持ちの記事を探してもなかなか無くて・・・ やっとプリンツに記事があるとJ友さんから情報をいただきました。ちゃんと記事に「ゼイ肉のついたお腹をさらすという潔さ!」って書いてあったのね~(笑) 今まで、全く読んではいませんでした。ジュリーのコメントもあります。

おおさか映画祭主演男優賞をとったなんて、全く知らなかったわ。この時はファンクラブが解散してたので、そういうお知らせが全くなかったんでは ないのかな?

記事の全体(頁の半分)

上映後に、脚本家の荒井晴彦さんを囲んでトークショーが行われました。観客の入りの多さは、映画マニアさん達の このトークショー目当てが多かったんじゃなかろうか? 私達は、ジュリーの映画の裏話が聞けたらいいな!それも この映画上映の楽しみでした。

が、しかしいまいちトークが盛り上がりませんでした。どっちかというと、偏屈そうな狷介そうな感じの荒井晴彦さんは、愛想笑いなど全く無し、的を得ない司会者のトークには冷めたく「シナリオ全部読んだのか」と辛口で返事を返し、あまり盛り上がらないトークに どうなるのかしらん?と思いました。

上映中に度々笑いが起こったけど、そういうのを想定して脚本を書きましたか?に荒井さん、冷たくNO!

私たちが聴きたいのはただ一つ、ジュリーはどうしてこの冴えない巡査部長役に選ばれたのかしらん?およそ、それまでのジュリーのイメージとはちがう役柄でした。しかしこちらの願いも知らず、そういう話は全く無しで、荒井さんのそれまでの作品のエピソードが語られました。荒井さんには「Wの悲劇」などの作品があります。

やっと「ジュリーは柄本明の役をやりたいと 言ったそうですよ」と、ジュリーの話題に 荒井晴彦さんは「沢田研二は脚本がわかるんだね」と繰り返しましたが、そこには「わからないだろうと思っていた」という反対の思いが汲めて、ジュリーをバカにしてない? 

それはともかく、ジュリーがやりたいと言っていた柄本さんの役は、飄々としてある意味間の抜けた、自由な人物です。拳銃に関しては蚊帳の外で高みの見物。ジュリーがやっても面白いとは思うけれど、「遠くから様子を見ている蚊帳の外ジュリー」よりも、やっぱり「拳銃を取り戻そうと追いかける一途なジュリー」のほうが、ファンにはドキドキする役だわ~

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②リボルバー

2017年09月07日 | TV・ラジオ・CM・映画

高校生の時に藤田敏八監督の「炎の肖像」を姫路の大きな映画館でみましたが、客はパラパラ・・ いや、ポツポツ 程度でした。その監督の作品を今はシニア割引で見に行く年齢になり、ちょっと感慨深いものがあります

シネヌーヴォの待合は映画ファンとおぼしき中年やシニア男性達が中心で、我々のようなジュリーファン女性は少数派でした。座席はほぼ満員(60数席)に近く、この上映後に脚本家のトークショーが開催されるせいかもしれません。 


たまたまだけど、「リボルバー」は先日直木賞を受賞したばかりの 佐藤正午さんの原作です。

映画あら筋→ 巡査部長の清水はある日、公園で自分のリボルバーを奪われます。奪った男・阿久根は愛人の女を殺そうとしましたが果たせず、その拳銃をゴミ箱へ。進という高校生がそれを偶然見つけて拾うことになります。阿久根同様、進は恨みに思う相手を殺そうと札幌へ。警察を辞職していた清水は自分の拳銃を取り戻そうと、進のあとを追うのですが……。


始まってすぐから、小さなエピソードにけっこう男性達の大きな笑い声があがり、ビビッドな反応です。昔見た時は ダーレも笑っていなかったわ。

「リボルバー」の舞台背景は製作当時のバブル時代。女性たちの肩パットの入った派手なスーツや、当時のクルンと前髪を巻き上げたロングヘアスタイルは、今やダサイとしか思えないのだけど。ジュリー演じる警察官はどこでも煙草を吸い、禁煙車両の無い夜行列車に、30年前はすでに大昔なのだと 時の流れの速さを感じました。

冒頭、警察官という職業に特別な思いいれがあるようでもなく、覇気も見えず、結婚もしたくなさそうなジュリー演じる巡査部長の顔が、スクリーンに大写しになりました。いかにもジュリーの、大きな目の甘い顔立ち。でもそこには歌っている時の研ぎ澄ましたようなジュリーの鋭さが微塵もなくて、丸くてボヨン・・ まさに芒洋としたジュリーの顔が。 この顔、これから10年後の「大阪物語」の漫才師の龍介そのままやん。1988年頃のジュリーって、こんなに太っていたっけ?と焦りました~💦 

海辺で見合い相手とのデートでは、隠すことなくさらけ出され、映し出される水着の腹のタルミを見ていたら、タイガースで登場した時からずっと美紳であり続けたジュリーでも歳をとるという、時の流れの残酷さを実感させられました。

巡査部長は情けなくも拳銃を奪われて職を辞し、手塚里美演じるホステスのヒモ同然に・・ 女の部屋に転がり込み だらしなく寝転ぶステテコ姿に、またまた汗がっ💦 けっこう衝撃的だった「大阪物語」のステテコ姿の もう10年も前に、ステテコファッションをしてたのね 全く覚えていなかったわ いえ、哀愁漂うダメ親父の「大阪物語」は大大好きなの ただ、40歳になったとはいえ まだまだファッションリーダーだったはずのジュリーが、とっくに親父丸出しのステテコファッションをしていたなんて・・・ 全く覚えていなかったのよ。

カッコイイ自分のイメージに囚われる事なく、柔軟に、ずーっとジュリーは挑戦していたんだねと 今頃気がつきました。実際、映画の中には歌手ジュリーの姿やイメージは全くない、拳銃を奪われた情けない巡査部長の役がとても似あっている・・

物語は、小林克也演じる不倫オヤジから、男に暴行されて復讐をしたい高校生へと拳銃が渡ってゆき、鹿児島から北海道へと舞台も変ってゆきます。そこに柄本・尾美の気ままなコンビが思いがけず絡んでゆく。少女に、巡査部長の見合い相手と、全員が北海道に集結した時に起こった、思いもかけない出来事。札幌まで拳銃を追いかけてのクライマックスで、拳銃を取り戻そうとする元警官 ここだけはジュリー、カッコよかったです

しかし思いがけない結末に、え?あんたが まさかそんな事を? 1丁の奪われた拳銃から巻き起こった様々な人間模様は絡みあい、人間たちの運命を夫々に変えてゆき、見事に北海道の地で終結したのでした。

ラスト、別れを告げた元警官のジュリーに対して その後ろ姿に向けて、バーンと指鉄砲を撃つ泣き笑いの女。撃たれた胸に倒れそうな衝撃を受けながらも、ちょっと歪んだ笑顔で微笑んで 女から去ってゆくラストシーンが心に残り、観客の大きな拍手がおこりました。もちろん私達も 複雑な人間模様の群像劇を描き切った、脚本家と監督、演技陣に大拍手です。

全体を見て、映画の内容を殆ど覚えていなかった事がよくわかりました。

疑問は何故、このショボくれた警官の役をジュリーにオファーしたのでしょうか? 80年代末のジュリーは、スーパースターの名前を欲しいままにした頃から歳を取ったとはいえ、まだカッコイイ男の代名詞であったはず。70年代の藤田監督の「炎の肖像」は、ジュリー本人だからこその映画でした。 

でもこの「リボルバー」は別にジュリーじゃなくてもいいよね・・ そう思いつつも、スクリーンの40歳の甘さの有るジュリーの顔に それまでの辿った人生の深みが 確かに加味されているのを感じました。昔は絶対に感じなかったであろう、警官の制服を着たその身体から漂う哀愁と、人間の「おかしみ」を感じられた作品となりました。

まだ続く

 

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①リボルバー

2017年09月06日 | TV・ラジオ・CM・映画

4日に1988年公開の「リボルバー」を大阪の九条の小さな映画館、シネヌーヴォで見てきました。

→ 「荒井晴彦映画祭 70になった全身脚本家」

九条の商店街の一角にある映画館の間口はとても狭い。10年近く前に、ここで「パリの哀愁」を見ました。映画館の入り口を飾る特徴的な大きな金属の装飾の薔薇は、当時よりも錆びて茶色く変色した部分が増えたような気がします。

さんごさん、J友さんと3人で行ってきました。映画館で産まれて初めての、記念すべきシニア割引を利用!身分証明書がないので、初めてマイナンバーカードを持参しました。初めてジュリーの映画を映画館でみたのも同じ日活で、やはり同じ藤田敏八監督の「炎の肖像」だった。あれから40数年・・ 遂に私もシニアの仲間入りか~ 安く見られるのは大歓迎です(^-^)

今日の作品はロマンポルノが低迷していた日活が、新たにロッポニカを立ち上げて一般映画製作に再び乗り出した一作である「リボルバー」。いまから29年前の映画公開時には、今回も一緒のさんごさんやJ友さんらと見に行きました。

元ロマンポルノを上映していたと思う日活の映画館は、三宮の駅裏あたりの商店街の並びにあり 小さく古く穴倉のようで、新作の上映にも関わらず侘しさが漂っているのを感じました。入れ物が小さいのにもかかわらず、観客はさらに少ない7人くらい・・ だったかな。


1988年の公開時、映画の冒頭で40歳になったばかりのジュリーの水着姿がスクリーンに大写しになりました。覇気のないぼんやりした貌に、いささか張りを無くした体、何より問題は腹がたるんでいるように見えたこと・・ 映画の筋より、まずこれがジュリーファンには大問題で、ジュリー水着なんかやめて~! さんごさんと、そこばかりが気になったような記憶が残っています。

仕事があんまりできそうにない ジュリー演じる警官は、いつもの歌うカッコイイお姿とは大違い。なんだか太ってない?しかも映画はジュリーが主役の筈なのに、出てくるのは小林克也や柄本明や尾美としのりばっかりで、出番が少な~い!ジュリーはどこ!と不満タラタラでございました

1988年という年にジュリーはそんなに太っていたっけ?この前年の1987年に離婚、私生活に関して世間から非難を浴びた翌年でした。思わず1988年という年を振り返ってみました。1987~1989年

87年はアルバム『告白』で、今回の50周年で歌っている『STEPPIN STONES』『CHANCE』の年ではありませんか。今回のライブで見直しました、もっと曲が好きになりましたよ! 翌88年の1月からはアラビアに行っていて、映画の「リボルバー」はいつ撮ったんだろう?

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88年は大阪のMIDシアターに行った、セゾン劇場で「ドン・ジョバンニ」も見た・・「ザ・ディーラー」ジュリーが切れ者のビジネスマン役のドラマでしたが、視聴率は悪かったです 翌89年から、ACTシリーズが始まっています。無駄な年なんて一年も無いのだと、ジュリーの活動を見て改めて思います。

映画を撮った時のジュリーが 色々と気になるのでしたが、長くなるので感想はお次

続く~!

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夕焼けエッセイ「八番目の虹色」色つきの女でいてくれよ

2017年09月05日 | 新聞・雑誌 記事

J友さんからです。→ マキタスポーツ・オフィシャルブログ 

娘が結婚したいと言い出しました。相手は… 


 

J友さんから画像をいただきました。どうも有難うございます♪

昨日の産経新聞夕刊大阪版、63歳の女性のエッセー

夕焼けエッセー 『八番目の虹いろ』

 拡大します

「八番目の虹色」って?すぐにピンときませんでしたが、

虹は七色、その次の八番目の色は、

自分自身の人生の色のことだったのですね。

 

残念だけど、私は「君だけに愛を」も「銀河のロマンスも

それが絶対に我が身に巡り来ると、たやすく信じられるほど

ロマンチストでも楽天的でもなかったわ

でも、ジュリーの美しい姿と甘い歌声は

少女時代の私に どれほどの甘やかな夢を与えてくれたか・・

あの頃の私は 先の人生の事など考えない、予想すらしない子供だった。


そうそう 現実は甘くはないと、年齢を重ねるごとに

日々 実感していく年月。

神様に愛されているので 絶対に歳をとらないのに違いない!

と、根拠なくそう信じていたジュリーも

平凡すぎる自分も、同じく等しく歳を取ってゆくというのが現実だった。

それでも古希を目前にして ジュリーは私の目の前で

いっそう深みを増した声で

ずーーーーっと歌い続けている。

 

この先はすでに見えてきたと思うこの頃だけど

ジュリーの存在が 間違いなく毎日に元気を与えてくれている。

ジュリーさまは わたしたち女性の希望。


八番目の色は、まだまだ残されていると確信する

色鮮やかな 希望の色だと思いたい・・


たった一粒のこぼれ種から芽を出して 毎年咲くようになった朝顔は

9月になっても まだまだしぶとく元気で

色鮮やかさを失うことなく

咲き続けています


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恋人よ我に帰れ

2017年09月04日 | TV・ラジオ・CM・映画

ジュリーの50年間の出演した、映画にTVドラマは数々あれど、私の間違いなく大好きな作品の一本が「恋人よわれに帰れ」その作品が数十年ぶりに新文芸坐のスクリーンで見られる!→大林宣彦さんが監督した代表作を連続上映する『大林宣彦映画祭2017』が9月3日から17日に新文芸坐で開催されている。

恋人よ われに帰れ LOVER COMEBACK TO ME*(1983/106分/BD/TV作品)
12:40/16:35/20:35  終映22:20(9月7日)

1983年だけでなく、25周年の時にNHKBS「沢田研二スペシャル」でも放送されましたが、今まで見たことが無い方にはおすすめの作品です。翌年の「山河燃ゆ」でも日系アメリカ軍の軍人に扮したジュリーですが、この作品でも同じく日系人のGIに扮しています。役柄は同じでも その性格は大きく違いました。どちらの作品も戦争の苛烈さ残酷さを描いていますが、こちらは広島の原爆で被爆した少女と、日系2世GIの切ないラブストーリー。

これまでの映画やTV作品でも、多くの女達に愛を語ってきたジュリーですが、正直に言って「ほんとの愛」を見せられたとは思えませんでした。歌で愛を語る時は、身をよじるように 切々と愛をその身の内から吐き出すように歌うジュリーなのに、演技で愛を語る時は・・・

マリー、今日子、多くの女達。ジュリー、あなたはほんとに その女性を心から愛している? ジュリーの潤む瞳の見つめる先は、目の前の女の姿を遥かに通り越している。 その大きな目は何にも見ていないように見えました。そう、悪魔のような良ちゃんのように、あなたは誰も愛してなんかいない。光る源氏の君のように、女は多くの遍歴の中の一コマにすぎない。あなたの愛しているのは自分だけでしょう?

ところが・・ 「恋人よわれに帰れ」のケン・オータは 被爆した哀れな少女を心から大切に思い、愛していのました。初めてジュリーが女に恋した姿を演技で見せられたと思いました。誰も愛したことが無いガラスのジュリーの瞳に、初めて愛の灯が宿ったのを見ました(個人の感想です) 

戦争で破壊された焼け跡の中で、GIが少女に寄せる一途な愛と、寄り添い抱き合う二人の姿は哀しく美しくいじらしく、ジュリーさまの甘いジャズの歌声とともに切なさを誘いました。戦争と愛と死、リアルな戦後の描写と共に 名作だと思います。

沢田研二の名前の前に「スーパースター」と冠しているところに、当時のジュリーの活躍ぶりがわかるというものです。

大林監督は、先日TVに出演されていました。重病で闘病中と伺いましたが、TVではお元気な姿で安心しました。大監督なのに温かい笑顔を絶やさない、穏やかな優しいお話しぶりに、お人柄が現れているように思いました。

 


 

ふみりんさんからコメント欄に、ジュリーのお母様との遭遇話をいただきました。有難うございます『お母様にお会いしたことあります。高2の修学旅行の自由行動の時、ご実家の前で写真を撮っていたら、家から出てきました。お顔が似ていたので、お母様に間違いないと思いました。目のあたりは、そっくりでした。』こちらのコメント欄で詳しくどうぞ→80歳 

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