あるサイトで「茶の湯しりとり」というのをやっていて、めでたく1000回を迎え、現在2巡目である。わたしも勉強のため真似っこして週に一回程度エントリーしてみよう。
ということでまずは
「千利休」
千利休については皆さんよ~くご存知なので、ここでは以前から気になっていることを書いてみる。利休さんは幼名を田中与四郎という。利休の名は、1585年の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号。ではいつから「千」姓を名乗ったであろうか。ウィキペディアの「千家」にはこう書かれている。
元々、利休の祖父で足利義政の同朋衆だった田中千阿弥(新田里見氏の一族)とされ、その名をとり千姓としたとされている。しかし、これは「千利休由緒書」の著者である江岑宗左(利休の曾孫)が初出とされるものであり、利休在命の時代にはその史料が見当たらないため、確証性はない。
いつから千姓を名乗ったか・・・利休在命の時代にはその史料が見当たらない・・・か・・・。では初めて文献に千姓が現れるのはいつかな・・・。
画像は不審菴の長谷川等伯筆利休像。
次回は「う」です。