脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

時間貧乏について。

2014年03月30日 15時30分50秒 | 雑談
先週、久しぶりに朝の通勤ラッシュ時の地下鉄に乗った。スシ詰めの車両
に入る気がせず、一本見送ったりしながら、比較的空いてるハコに何とか
乗った。大手町で降りたら、エスカレーターが混雑していて、駅員が叫び
ながら整理していた。駅中は何処でも、ヒトビトは列を成して歩き、整然
と機械の足運びで動いている。

なんかみんな余裕がないとゆうか、真っ直ぐ自分の前方だけ見詰めて、時
に手元の携帯端末を眺めながらも、周囲のリアルな風景はほとんど目に留
めてないかのようだ。武術的に見たら、全てがスキだらけで、物騒な事を
敢えて言えば、刃物を振り回せば簡単に何人でも殺せるなんて、妄想を抱
く不逞な輩が出るのも理解出来る気さえした。

誰もが例外なく、自分の世界・生活(仕事)に深く没頭している。脇目も振
らず真っ直ぐな感じ。私は、自分だけ取り残されたような気がしてきて、
早くヒトの波から外に出たかった。このようなヒトの溢れる空間は好きで
はない、人心地せず落ち着かないのだ。

こんなヒトビト風景は、朝夕の通勤時間帯のせいだからでもある。ヒトで
も車でも行き交うスピード感や我先がちな殺伐感は、昔から都会という場
所での生活全般を覆っていたものだ。それが今では、ネットのせいで日本
中何処でも似たような忙(せわ)しなさが、蔓延しつつあるのかもしれない。

みんな時間に追われ、仕事をするように、仕事以外の生活時間も、慌ただ
しく世知辛く過ごす習い性で、ついついセカセカ動いている。そう動かな
い他人がいると、異物でも見るかのようにイライラしたりする。

私も二十代の頃、当時はインターネットもケータイもなかったが、仕事や
生活が忙しく寝る時間さえなかった時期がある。そんな生活が嫌で最初の
会社を辞めた。自分が日本株式会社という巨大工場の部品にも思えてた。
当時一番欲しかったモノは、カネではなく、時間だった。もし時間が買え
たらばと、いつも思っていた。

今の私には売る程、時間はある。が、世の中のそんな状況は今尚変わらな
いどころか、益々時間の不足感、切実に時間が欲しいという飢餓感は強ま
っていく傾向にある。みんな時間がない、時間がもっと欲しいと慢性的に
感じさせる時代であり、時間貧乏は現代人の証し、サガなのだろう。

どうして「時間」が不足するのか? 
勿論、会社が仕事をハードに押し付け過ぎる、自分の事以外に親や子供等
の面倒が重なっている等々、個人の人生において様々事情や理由はあろう
が、今の一般状況を鑑みると、誰もが情報を持ち過ぎようとしていること
や、或いは「繋がること」に欲張り過ぎていることにも、大いに起因する。

「断捨離」だの言葉が流行り、捨てる技術を持とうとか言われる。最初か
ら持とうとしなければ良い訳だが、中々それが出来ない情況なのだろう。
モノだけでなく、情報やネットの繋がりも断捨離が必要なのだろう。とい
うか、自分で管理やら交通整理出来ない情報や繋がりは、持つだけ「お荷
物」であり、ハナから退けておいた方が賢明なのである。

これでは、繋がりを求めてくる相手には失礼かもしれないし、何らかのチ
ャンスを失っているのかもしれない。でも、そんな自主規制や自己防衛を
しないと、情報やヒトの渦に巻き込まれて、自分の豊かな時間やゆとりあ
る気持ちを見失うことの損失の方が大きいと、私は思っている。

有用なモノであれ、有用な情報や繋がりも、限度を超えるとゴミと一緒で
ある。何らかのお得情報だの、人生なんて、そんなもの、知らなければ知
らないで済んでしまうものだ。物事余計に知らなくとも、人生はちゃんと
流れてゆく。

馬鹿な横並びはやめて、自分の心の身の丈を、どう守りどう処すか、それ
を考え実践することの方が、豊かな時間やゆとり、ひいては自分自身を見
失わないためにも、重要そうである。

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