脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

ウサギに居眠りを許せ。

2008年07月17日 12時27分26秒 | コギト
ウサギとカメが競争するという誰でも知っている話がある。
ウサギはカメが余りにのろいので、遥か先まで走り抜けると、
途中で一休み、一眠りしてしまい、カメに負けてしまうという話だ。

この教訓話は、様々に解釈されて良いと思うが、
概ね、実直な努力家のカメを讃える「読み」が期待されているものである。
私は、ウサギはカメを競争相手として意識しているが、カメはウサギよりも
ゴールすることだけを考えて、自然体で歩んでいることに着目したい。

だがこの文章では、ウサギに着目してみよう。
このレースを仕事にたとえれば、能力のある者が仕事に目途がついたなら、
一休み、一眠りしても良いのではないか、と思うのである。
でも結局ライバルに負けてしまった点、その慢心や不注意は咎められよう。

今日の企業社会では、労働生産性の低いカメよりも、ウサギが求められる。
しかも居眠りなど許されず、余裕のある限りのレース数をこなせ、となる。
ウサギもやがて疲れ果てると、企業は、次の若いウサギと取り替えるだけ。
こんな労働力の使い方が、現代では横行しているのではなかろうか。
(かのアキバ事件の背景にも、そんな一面が見え隠れしているのでは‥。)

もしカメとウサギが同じ給料ならば、ウサギは一休みする権利位はある。
だがさらに突き詰めて考えると、事情さえ許されるならば、
余裕のあるウサギはカメを背中に乗せて、一緒にゴールすれば良いのだ。
カメは、このレースの勝利を、ウサギに譲るであろう。
あるいは、両者でゴールを、達成を、分かち合えば良いのである。

私だって、世の中がこんなに甘くないことは承知である。
老獪なカメがいて、自分の交渉力で敵をうまく利用しゴール出来たのは、
自分の駆け引き能力がいかに優れているかの証しである等、
ウサギよりも自分の方が雇用価値が高いとアピールするかもしれない。

話がややっこしくなった‥。

単に、ここで私が言いたいことは、
ウサギは余裕の範囲を見定めて、居眠りする権利があるということ、
またカメのようにのろまでも、実直な努力型が報われるべきであること、
出来得うれば、ウサギとカメは能力が異なるので、能力や特性に応じて、
用いられ、お互い助け合い、補い合いながら、
仕事や生活で共存できる社会モデルが、今後一層求められるものと思う。

「今後一層求められて」も、所詮は、強い者勝ちの社会は変わらない、
そんな見方も依然と強いであろう。

格差社会と言われているが、例えば、所得格差を是正する所得の再配分
を制度化するような仕組み、黒字の企業や年収二千万以上の所得者から
一定率の「所得格差是正税」を吸い上げて、ワープア層に還流させる、
など考え方や政策は色々とあると思う。
とにかく、資本主義社会には、「修正」政策が不可欠なのである。

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