脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

御盆。

2017年07月16日 11時29分54秒 | コギト
昨年父が亡くなり今年は初盆である。いつもお盆は、近所にある墓参
りをするだけだったが、今回は玄関先に提灯を飾り、母と迎え火を炊
いた。仏壇には花と、父の好物だったアンパンとバナナを供え、藁の
牛馬を置いた。お盆の仕方に不案内だが、こんなもんで良かろうか。

お盆には死者が帰ってくるというが、束の間、故人が遺族の許に戻る
という「物語」は、美しい風習だと思う。それがフィクションであれ、
それを信じて故人を静かに偲ぶ心は美しい。こんな処に伝統日本人の
繊細な美意識が現れている。

でも故人の御霊は、どうして真夏の暑い時期に帰ってくるのだろうか?
例えば、年末に帰ってきて、新年の門松明けに帰る想定でも良さそう
に思える。仏教思想の理屈は知らないが、封建権力の支配下、暑い夏
の時期に農作業等の労働をやめ体を休める方便に、先祖供養をうまく
利用したのではなかろうか?

夏の暑中に一休みしたい工夫に、先祖供養のための「御盆」という文
化・風習を創出したとか‥。今風に言えば、御盆とはクールビズであ
る。為政者も先祖供養では「怠けず働け!」と文句言えまい。そんな
庶民の勝れた智慧であったのではと、ちょっと想像してみた。

今日は7月16日。東京地方では今夕送り火を炊く。御先祖さまはお
帰りである。少し賢(さか)しらに考えてみれば、御盆とは、あの世と
この世を地続きに繋いでしまうような行事である。さながらメビウス
の輪の「ねじれ」に相当するのが「御盆」である。

‥‥また見つかった! 海と番(つが)った太陽が!(A.ランボー)。

我々は「ねじれ」に留まることは出来ないが、「ねじれ」をひねり出
しては橋渡しを作り、表と裏を巧みに使い分けつつ行き来する。そこ
の智慧のひねりにこそ、人類(文化)が存続するヒントがある。


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