猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

冷たい風が吹きまくった日、十六本堰は前橋城下のはずれ、川向こうは一毛村、「九牛の一毛」の故事を想わせます。

2022-02-26 07:51:57 | あんじゃあない毎日

昨日の9時半、広東橋から見た十六本堰下流の広瀬かわです。朝から冷たい西寄りの風が強く吹いていました。風は昼前からは北風となり、さらに強く吹きました。

 川底の溜水には氷が張っていました。寒い一日となりました。

 

  十六本堰下流の広瀬川あたり その2 
第2回は、『一毛村』です。


諏訪橋から文学館やリバティー、Droitの広瀬川シルクスタジオなんかがある上流方向を眺めています。実はね、明治の初めまでは、この広瀬川の左側が「前橋」で、右側は「前橋」でなかったんです。前橋は広瀬川が境、それを越えると前橋城下でなく、田舎だったんです。昔々、江戸時代の広瀬川あたりを眺めてみます。


この絵図は1767年に松平守家が前橋城から川越城に移城になる以前、松平家支配下での前橋城下の絵図です。群馬県立文書館所蔵で国の重要文化財に指定されています。北から南を見ています。右を流れるのが利根川、手前の青線が広瀬川、その上の細い青線は風呂川です。前橋城下は、広瀬川を境に、南に作られたんです。2012/11/25の記事で紹介しています。もっと詳しくという方は、文書館の「前橋の城と城下町」を見てください。絵図をよく見ると、広瀬川には橋が三つしか架けられていません。今の国道17号の厩橋あたり、立川通りの諏訪橋あたり、そして中央前橋駅南の桃井橋あたりの三ヶ所です。川に橋を架けるのはとても大変なことだったみたいです。


絵図の写真に寺の名前やなんかを入れて見たのがこの写真、現在の三河町と城東町あたりです。明聞寺は国道50号と前橋駅前通りの交差点の坂下にある駐車場のところにあった寺です。他の五つの寺は現存しています。寺の上の青い線は馬場川、下の太い線が広瀬川です。十六本堰もきちんと存在し、現在と全く同じに端気川を分水しています。この文字を入れた絵図の写真で街巡りした記事は2019/04/30です。橋は桃井橋あたりの橋だけです。前橋城下は、広瀬川を防衛線としてその南に作られたんですね。それなので、十六本堰は前橋城下の一番はずれに位置していたのです。

 交水堰あたりから下流の左岸は前橋城下でなく「一毛村(いっけむら)」という独立村でした。城東町1丁目から5丁目までのほとんどが一毛村でした。江戸時代の後半に、諏訪町が町人町として前橋城下に編入され、明治維新後の1889年の前橋町誕生時に前橋市一毛町となりました。そして、住居表示が実施された1966年にその名が失われました。

 一毛町の名は上毛電鉄の駅名に使われていましたが、今は城東駅に改名されました。一毛村の地名は江戸時代の初めごろから使われたようですが、その名の由来は明らかでありません。不思議な響きの地名です。私は、荒れ地を開墾し、用水を整え、秣場から肥料を運び、豊かな農地をつくり出し、そして村を開いた人たちの中にすごい博学な人がいて、『史記』を書いた中国古代の司馬遷の「九牛の一毛」ことわざを知っていたのではないのかと思っています。自らをちっぽけな存在としながらも、大きな志を抱いていた人々がいた、一毛村という名にはそんな響きを感じます。

 今は更地になってしまった旧前橋二中跡地の北に「一毛町記念碑」があります。住居表示が実施されたとき、当時の旧一毛町の前橋27区の646世帯2493人の皆さんが旧町名の名残に建てたものです。「一毛」という名に強い愛着を持っていた住人が多かったのでしょう。江戸時代の絵図に残る十六本堰とそれがあった場所の話で、全然前に進みませんでした。明日は少し進むよう努力します。

 

 月曜の朝は買い出しです。めぼしいものは芽キャベツぐらいでした。あと、サバの水煮缶だの鶏肝だのを買い込みました。

  
それから総菜づくり、水で戻して茹でこぼした芽ヒジキと鯖の水煮缶を醤油と味醂で煮ています。それに加えるのは、乾煎りした削る節、粉末ピーナッツ、炒り胡麻、松の実です。水分がほぼなくなったら仕上げは鳥山海苔店のや金利を刻んで加えて出来上がり、錦松梅風鯖ふりかけです。あと、鶏着藻のワイン煮を作りました。年寄りの健康食の柱になる総菜です。

 
総菜づくりやなんかを済ませてからDroitのトレーニングです。目下休業中の鮨屋「いわまる」の前を歩いて行くで猫に会いました。「いわまるの大将、元気にしてんかな?」って尋ねたら、<知るもんか!>だって。薄情な猫です。いわまるの大将と相性が悪いのかな…

 弁天通は風だけが吹き抜けていました。昨日はBスタジオ、更衣室の洗面台が新しいものになっているのに気づきました。しっかりトレーニングして、どっかでお昼でもしてこうかなと思ったのですが、風が強くてくじけちゃいました。

  トレーニングはちゃんとやりました。でも、あとは街の路地を抜けてまっすぐに家に戻りました。この冬最後の冷たい風となってほしいです。<こんな日はさ、のんびり身体休めるといいよ…>、顔見知りの窓猫のアドバイスの通り、家に戻ってのんびり過ごしていました。

 PCで作業するときの椅子はCOCOが占拠していました。私をのんびりさせる手助けのつもりかもしれません。しばらく、うとうとしてしまった午後でした。

 COCOが煩くするので時計を見たら6時前、夕食の時間になってました。COCOの食餌風景です。キキに比べると、食べるのがすごく早いです。COCOに夕食をあげてから、人間の夕食を用意します。

 

 
夕食は寒い夜がおしまいになるように、温かな鍋にしました。チゲ風の煮込みうどんです。白菜、大根、人参、ネギ、シメジ、豚肉をキムチの素を加えたみそ汁で煮て、茹でた吾作のひもかわうどんを煮込んでいただきました。温まります。

 
それと、ニラのチヂミ、きゅうりとウド、スナップエンドウの胡麻ダレかけをいただきました。寒い夜は温かな鍋が一番です。

ロシアがウクライナで始めた戦争が気になって、ネットニュースを見ながら記事の原稿を書いています。大国ロシアの武力行使を阻止できない国際社会に限りない悲しさを感じます。なおのこと、「九牛の一毛」の故事を想います。

 

2月25日の体温  7:30 36.5℃  14:00 36.6℃  22:30 36.7
 2月26日  7:45  体温 36.6℃  血圧 最高122 最低72

 ヒゲおじさんの連れ合いのユキ子こと三代目若柳吉駒でございます。
私が祖母の初代吉駒の手ほどきを受けたのが2歳の時でした。3歳で美登利会の初舞台を踏ませていたいて以来、伯母の吉啓師と二代目吉駒の指導の下、精進してまいりました。そして、第75回の舞踊会から美登利会を引き継いでおります。
第78回美登利会は、今春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第77回美登利会と三代目吉駒リサイタルの舞台はこちらでご覧になれます
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます

お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください。

 

 


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