猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

まど・みちおさん、ほんとうにありがとうございました。これからもよろしく…

2014-03-02 07:17:06 | あんじゃあない毎日

Photo_11まど・みちおさんが逝かれました。
敬愛してやまない詩人でした。
心から感謝しています。

 

 

みずき中学の生徒の皆さんにお話ししたとき、お話のおしまいは、まど・みちおさんでした。写真は、「詩人まど・みちお百歳の言葉」(新潮社刊)からお借りしました。

 

 

 

昔、「大人になりたくない」と思った私が、今は67歳にになってさ、今度は、「爺さんになりたくない」と思っています。
老人になるのが怖いんだな。意外と意気地なしなものですから
その怖さから、今、一番助けてくれているのは、詩人のまど・みちおさんです。

童謡の「ぞうさん」知っているよね、あの詩を書いた人です、まどさんは。
童謡の作詞家だったんだけど、67歳の時に初めて曲をつけないで、詩集という本の形で詩を発表しました。それから、たくさんの詩集を出して、一昨年100歳になった時にも、詩集を2冊出しました。

これから読むのはね、「詩人まど・みちお100歳の言葉」という本に載っているまどさんの言葉です。

 

Photo 私は人間の大人ですが、この途方もない宇宙の前では、何も知らない小さな子どもです。
そして子どもに遠慮はいりませんから、私は私に不思議でならない物事にはなんにでも無鉄砲に飛びついていって、そこで気がすむまで不思議がるのです。
何かについてハッとしたら、自分で考え続けます。
これは何だろう、どうしてこのようなものがあるんだろう、どうしてこうなんだろう、と。
一生懸命考えるんですね、

 

2_2 これって、100歳のおじいちゃんの言葉です。
人ってね、100歳になっても子どもでいられるんだって。
不思議なことに飛びついて、考え続けることが大切なんだよね。

そうすれば、大人になることも、ジジイになることも、嫌がったり、怖がらなくても大丈夫みたいなんだ。

私はただのおじさんなんで、中学生諸君に贈る言葉をもってません。だから、まどさんの詩を一つ朗読します。

        

 

      ぼくがここに

 

      ぼくが ここに いるとき
      ほかの どんなものも
      ぼくに かさなって
      ここに いることは できない

      もしも ここに ぞうが いるならば
      そのぞうだけ
      マメが いるならば
      その一つぶの まめだけ
      しか ここに いることは できない

      ああ このちきゅうの うえでは
      こんなに だいじに
      まもられているのだ
      どんなものが どんなところに
      いるときにも

      その「いる」ことこそが
      なににも まして
      すばらしいこと として

 

  

 

Dscf3021<おヒゲはさ、山形でも、「どうせ棺桶一直線じゃ、まどさんお手本にして、楽しく行こうぜ!」ってお話をしてたよ。
まどさんが100歳のお誕生日を迎えたちょっと後だったいね…>

 

そうなんです、定年退職を目前にしている皆さんにしたお話しのおしまいも、まど・みちおさんでした。 

 

山川草木、すべての中には、いのちがあります。木でも草でも何でもそうです。その中の、人間は一匹にすぎないんです。私は、この中で、「逃げの一手」を貫いてきたことになると思うんです。詩の中へ逃げること、臆病な自分から逃げるということでもあります。むしろ、大胆といえるかもしれません。だから、逆に、私はそのことで私を生かしてきたんです。
                (まど・みちお『逃げの一手』小学館刊より)

 

人も猫もこわがりです。
こわがりながらも、笑って生きて行きたいです。
そんなくらしのできる場所が必ずあると思います。
まど・みちおさんにもあったんですから、私にもあると思っています。

 

 

Dscf9742 <昨日はさ、おヒゲは家から一歩も出ませんでした。まどさんの詩集を読んで、ブログやお話しで助けてもらったまどさんのことを振りかえっていました。
キキはさ、隣の椅子からずっと見てました。
おヒゲが100歳まで生きられるかどうかは別として、まどさんの生き方が夢なんだいね…
これからも、お世話になって生きてくって言ってるんで、どうぞよろしく頼みますね>

 

 

2直派若柳流舞踊会『美登利会』は、この春、71回目を迎えます。前橋の春の催事として、みなさまに支えられて、長く続けてまいりました。今年は、4月6日に前橋市民文化会館で開催いたします。
どうぞよろしくお願い申し上げます 

                             直派若柳流  若柳糸駒

 

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「ぞうさん」…ですね。コメントは止めようとしてい... (林 知行)
2014-03-02 21:21:38
「ぞうさん」…ですね。コメントは止めようとしていましたが、一つだけ。一生懸命→一所懸命にして欲しいです。この用語は誤用が完全に流布したので今や無意味かも知れませんが、私は違和感のある表現なのです。私のこだわりです。すみません。生きている間はだれでも命を懸けておりますが、そこで頑張っているのではありません。「一所に(それが例え畳一畳程の場所であれ自分と一族の生存に関わるからこそ)」命を賭けて戦ったから生じた言葉のはずです。ブログは厳密な言葉のやりとりではなく言わば流れて行くと以前おっしゃいましたが。でも記録は残りますね。ご検討ください。
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林さん (ヒゲクマ)
2014-03-03 07:43:10
林さん
『一所懸命』は、中世の武士が親から継承した所領を守ることを意味する言葉として使われ始めたみたいですね。音は『いつしよけんめい』、それが江戸時代に入ると武士の所領維持の意味が薄れて、発音が変化し、『いつしやうけんめい』という仮名表記も使われるようになったみたいです。
言葉は時代の変化につれて意味も表記も変わることが良くあるようです。この用語も、今は、『誤用』としないのが普通みたいです。
学校の国語教育で教えているのは『一生懸命』(いっしょうけんめい)、新聞用語も『一生懸命』(いっしょうけんめい)です。国語辞典でも『一所懸命』を本見出しにしているのは岩波国語辞典だけでそれ以外の国語辞典は『一生懸命』本見出しにしています。
最近読んでいる読み物でも、本来の所領維持の意を含むときは『一所懸命』を使っているのを見ることがありますが、普通にいちずにするという意味ではほとんど『一生懸命』が使われてるみたいです。
私も、『一生懸命』を使うようにしています。
   
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