12月8日、太平洋戦争(日本では大東亜戦争と言っていた)の開戦日で昔を想いだした。軍国小国民だった私は、「鬼畜米英撃ちてしやまむ」を信じて、海軍予科練習生(予科練)に憧れていた。
当時、陸軍では少年戦車兵、少年飛行兵、海軍では予科練の募集が盛んに行われており、男だったら兵隊に行くのが当たり前の教育を受けていた。
1944年4月、予科練に志願、横須賀海軍通信学校に入学して、連日厳しい訓練で「帝国海軍魂」を叩き込まれた。
終戦は九州・佐伯航空隊で敗残兵に。遠い昔話になった。
今から思うと間違った教育によって洗脳されていた。真実を教える教育は、時代を超えて護っていかなかければならないと思う。
二度と戦争はしてはならないと誓う。
当時、陸軍では少年戦車兵、少年飛行兵、海軍では予科練の募集が盛んに行われており、男だったら兵隊に行くのが当たり前の教育を受けていた。
1944年4月、予科練に志願、横須賀海軍通信学校に入学して、連日厳しい訓練で「帝国海軍魂」を叩き込まれた。
終戦は九州・佐伯航空隊で敗残兵に。遠い昔話になった。
今から思うと間違った教育によって洗脳されていた。真実を教える教育は、時代を超えて護っていかなかければならないと思う。
二度と戦争はしてはならないと誓う。
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