seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

リンカーン

2013-05-09 | 映画
 すでに旧聞に属するが、オリンピック招致運動のために渡米した東京都知事が米紙のインタビューに応じた際の発言が大きくクローズアップされた。
 真意が伝わっていないとか、そんな意図はなかった、いやいや記事には絶対の自信があるといったやりとりがあり、結局謝罪・訂正したということは、おそらく報道された内容の発言があったことは間違いないことなのだろう。
 それが記者によって仕掛けられたトラップによるものなのか、知事自身の油断、慢心が呼び寄せたものなのかはさておき、その発言が及ぼしたかも知れない招致レースへの影響や言葉そのものの品格、オリンピックの歴史や相手国への敬意の欠如には多くの人が失望したに違いない。

 有名な老子の言葉、「大上は下これ有るを知るのみ。其の次は親しみてこれを誉む。其の次はこれを畏る。其の次はこれを侮る。」を引用するまでもなく、人民に莫迦にされるのは最低ランクの政治家である。その発言にはよくよく留意しなければならない。
 さりとて「もっとも優れた君主というものは、ことさらな政治はせず、人民はその存在を知っているだけである」と言われても、おさまり返ってばかりはいられないのが、現代の政治家というものなのだろう。誰もがあるかなきかの指導力なるものを最大限に発揮して後世に名を残そうとやっきになって走り回る。
 しかし、優れた指導者、政治家というものは、何を成し遂げたかという事実よりも、残した言葉によってこそ長く記憶されるのではないだろうか……。

 今からちょうど150年前、南北戦争下のゲティスバーグで行った演説があまりに有名な米国第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、自身の発する言葉の力を知悉し、その効力を最大限に発揮させることにおいて卓抜な戦略家だった。
 スピルバーグが監督し、タイトルロールをダニエル・デイ=ルイスが演じ、アカデミー主演男優賞に輝いた映画「リンカーン」は、奴隷解放宣言の恒久化に向け、憲法改正に必要な下院での賛成3分の2以上の議席確保のための言葉による戦いを、裏工作やポストをちらつかせての懐柔策などを交えて描いた作品である。
 2時間半に及ぶ長尺の映画であるが、少しも飽きさせることのない緊迫感に満ちた演出や演技の力はまさに見事だ。トミー・リー・ジョーンズの演じる奴隷解放急進派の代議士スティーブンスが、憲法改正こそを最優先として自らの主張を封印しながら演説するシーンはその心理戦の綾を的確に描いて観る者に感動を与える。私はこの場面で思わず涙してしまった。

 さて、当のリンカーンであるが、はじめから奴隷解放論者だったかどうかは分からない。彼にとっての最優先事項は合衆国の統一であり、奴隷解放はその交渉のための道具に過ぎなかった、との見方もできるだろう。それが戦争の長引く中、次第に引くに引けないところに自身を追いやった、つまり、ほかならぬ自らの演説=言葉そのものが自分自身の実体や本質に先立つ形で牽引していったということが言えるのではないか。
 リンカーンは、黒人の奴隷制度廃止に政治家生命を賭して挑んだが、反面、先住民であるインディアンには容赦のない殺戮をもって対したという。(もちろん映画では描かれていないけれど……)
 そうした矛盾に満ちた人間が時に偉大な指導者となり、神格化される。まさに政治は一筋縄では捉えることのできないアートであり、トリッキーなサーカスのようなものだとでも言うしかないのだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿