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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ミレニアム

2012-07-03 | 読書
 スティーグ・ラーソン著「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」を読んだ。
 2005年にスウェーデンで刊行、日本でも3年ほど前に発売されて評判になり、本国で映画化された作品も世界中でヒットしたばかりかハリウッド版のリメイク作品も主演女優が米アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされるなど話題になって久しくすでにDVD化されているのだから何を今さらと笑われることは百も承知で言うのだけれど、いやあ面白かったなあ。
 文庫本の帯にあるような読者の「面白すぎて徹夜してしまった」「どうしても読むのがやめられない」という言葉もウソではないと素直に納得するほど夢中になってしまった。こんなに集中して頭がフラフラになるほどのめり込んで読書するのは最近では滅多にないことなのだ。
 ついでにスウェーデン版の映画もDVDで観て堪能してしまった。

 本作は、ジャーナリストであったラーソンがパートナーの女性エヴァ・ガブリエルソンと執筆した処女小説にして絶筆作品であり、ラーソンは第1部の発売もシリーズの成功も見ることなく2004年に心筋梗塞で急死した、ということも伝説を象る大きな要素となっている。
 シリーズ全篇を通して女性への偏見・軽蔑・暴力がテーマとなっているが、そればかりではない社会的スケールの大きさがある。それでいて読者の興味と集中力を一刻も逸らさないこの求心力は一体何によるものなのか。

 物語は雑誌「ミレニアム」の編集者ミカエル・ブルムクヴィストの視点を中心に描かれるが、もう一人の主人公、身長154cmのまるで少年と見紛うような、無表情の、背中にドラゴンのタトゥーを背負った天才ハッカー、女調査員リスベット・サランデルの抗しがたい魅力は読む者の心を捉えて離さない。
 映画は3時間、映画館では興行上の都合からぐっと短縮されているから、上下巻900ページに及ぶ原作のいくばくかは省略やほのめかし、大胆なカットによって改編せざるを得ない。そのどこをどうやって料理したかも監督の腕の見せどころなのだろう。
 ミカエルの放縦ともいえるセックスライフがお行儀のよいものになっていたのはまあ仕方ないとして、ラスト近くで描かれていたリスベットのミカエルへのほのかな恋の芽生えや切ない思いが、跡形もなく消えていたのは残念としか言いようがない。

 さて、本作にはもう一つ経済小説という側面も隠し味としてあって、構想の大きさを感じさせる要素になっている。
 少しばかりラスト近い場面から引用する。
 最後、ミカエルは宿敵となった実業家の不正を暴き勝利を収めるが、その結果、ストックホルム市場で株価が急落し、窓から身を投げるしかないという若い投資家が続出する。そうしたスウェーデン経済の破綻に「ミレニアム」はどう責任を取るのかとマスコミの取材者に問い詰められた場面でのミカエルの対応だ。
 スウェーデン経済が破綻しつつあるというのはナンセンス、と彼は即座に切り返す。
 「スウェーデン経済とスウェーデンの株式市場を混同してはいけません。スウェーデン経済とは、この国で日々生産されている商品とサービスの総量です。それはエリクソンの携帯電話であり、ボルボの自動車であり、スカン社の鶏肉であり、キルナとシェーヴデを結ぶ交通です。これこそがスウェーデン経済であって、その活力は一週間前から何も変わっていません。」
 「株式市場はこれとはまったく別物です。そこには経済もなければ、商品やサービスの生産もない。あるのは幻想だけです。企業の価値を時々刻々、十億単位で勝手に決めつけているだけなんです。現実ともスウェーデン経済とも何のかかわりもありません。」

 カッコいいなあ……。
 日本の小説の主人公がこんなセリフを口に出来るだろうか。わが国の産業について、私たちはこれほどの矜持を持って熱く語ることが出来るだろうか。
 問題は、グローバル化や空洞化の進展するなかで企業家たちが誇りも何もかなぐり捨てたかのように生き残りだけを自己目的化したかと思える事業戦略の中で、産業そのものがこの国から失われつつあるのではないかとの疑念を拭いきれないことである。そんな国で若者はどんな夢を見ればよいのか。
 ミステリーの面白さに現実を忘れたその後のふとした時間にそんな思いが忍び寄る……。



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