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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

次の初日

2010-02-09 | 日記
 私の舞台を観にきてくれた知人のお母様が逝去され、そのお通夜に参列するため関越道を通ってI市まで行くことになった。帰り、練馬インターから目白通りを経て環七に入ったのだが、その辺りでなぜか急に胸がいっぱいになってしまった。
 なんのことはない、その付近は先月の舞台で共演したH君やSちゃんと稽古帰りによく車で通った場所なのだった。あの楽しかった日々を思い出して懐かしくなったという訳だ。
 いい年をしてセンチメンタルになったのは恥ずかしい限りだが、毎度のことながら、一つの舞台を創るために四六時中ずっと一緒だった仲間が、公演の終了とともにピタッと会わなくなるというのは実に不思議なものである。

 そんなことを考えていたら、当のSちゃんをはじめ、この間の舞台に出ていた女優たち3人が今週から新しく始まる公演にそろって出演するという案内が舞い込んだ。
 千秋楽からその初日までは10日ほどしかない、皆の稽古スケジュールは一体どうなっているのか、などと考えるのも莫迦らしいほど彼らのそのバイタリティは爽快である。過ぎた時間を懐かしんで胸をいっぱいにするなどというのはおそらく老人の仕事なのだろう。
 私も次の里程標をめがけて歩きださなければいけない時期なのだと肝に銘じよう。
 多分、私の次の初日は舞台の上ではないのかも知れないけれど・・・。

 別の話を書いておく。世の中はせまいというよくある話だ。
 特に芝居の世界はとりわけ狭いから、誰それが誰それの知りあいなんてことはしょっちゅうである。
 それにしても、今回、共演したSちゃんが、私の30年来の友人夫妻のそのまた友人の娘さんだったのは驚きだった。
 そんなことはまったく知らず、楽屋では私のヘアメイクをSちゃんにお願いしていて、よもやま話に彼女のお母さんが歌舞伎界でも活躍されている胡弓や箏の奏者であるといった話を伺いながら、友人との関係には気づきもしなかった。
 千秋楽の打ち上げで最終電車に間に合うよう急ぎ先に帰る私に「今度、この演奏会に出ます」といってもらったチラシを帰りの電車の中で開いてみて、ようやくその演奏会の主宰が友人だと気づいたのだった。
 その友人夫妻は二人ともアングラ時代の同じ劇団で、ともに私と共演した仲だった。

 慌ててSちゃんには携帯電話で話をした。翌日には友人夫妻とも話をしたのだが、Sちゃんのお母様は私も出席した友人の結婚式で箏の演奏をされていたらしい。お互いの子どもの年齢が近いので家族でのお付き合いも深いとのこと。そんな話を聞いていたら、急にSちゃんが親戚のうちの子どものように思えてきてしまった。

 あるプロジェクトのためにたまたま集まった俳優である私と彼女だが、その舞台を創るまでに長い長い時間をかけてそれぞれの時代を通り抜けてようやく出会った、それも気づきもせずに、なんてことが妙な実感とともに感得されるようで得難い感慨にひととき浸ったものだった。

 こんなプロセスも含めておそらくは「演劇」なのだといってよいのだろう。多分。


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