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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

文楽とイノベーション

2012-08-04 | 読書
 「『超』入門 失敗の本質~日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ」(鈴木博毅著:ダイヤモンド社)は、ビジネス戦略・組織論のコンサルタントである著者が、名著「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」をビジネスに活かせるのではないかと考え、ポイントをダイジェストにまとめ、忙しいビジネスパーソンが仕事に役立てられるような視点を提示したビジネス書である。
 この本が長らくベストセラーランキングのトップ10に名を連ねているのも頷けるような読みやすさと面白さではあるのだが、このことは、70年前の日本軍が抱えていた多くの問題や組織の病根と、現代の私たちが直面している新たな問題に、誰もが「隠れた共通の構造」があるとうすうす感じていたことの証左なのかも知れない。

 それはさておき、その中に「イノベーションを創造する3ステップ」というものが紹介されている。すなわち、
 ステップ1:戦場の勝敗を支配している「既存の指標」を発見する
 ステップ2:敵が使いこなしている指標を「無効化」する
 ステップ3:支配的だった指標を凌駕する「新たな指標」で戦う

 であるが、これらは日本陸軍においても堀栄三参謀のような優れた人材によって戦法として活用され、パラオ諸島のペリュリュー島における持久抗戦をはじめ、硫黄島、沖縄戦にまで活かされている。
 一方、米軍においてはそうした日本の編み出した指標を無効化し、凌駕する新たな戦法やレーダーなどの導入によって戦いを有利に導いていった。
 著者は、こうした事例を紹介したうえで、この「イノベーションを創造する3ステップ」は、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが生涯を通じて行い続けたビジネス上の変革にぴたりと一致する、という。
 併せて、世界市場で苦境に陥っている日本の主要家電メーカーの現状について、日本メーカーの閉塞感は、指標を差し替える意味でのイノベーションを忘れ、かつて自らが成功を収めた要因を誤解していることで生まれているのではないか、と分析する。
 同じ指標を追いかけるだけではいつか敗北する。家電の「単純な高性能・高価格」はすでに世界市場の有効指標ではなくなった、というのだ。

 さて、ここで私が思い浮かべたのが例の橋本大阪市長による「文楽」の補助金全面凍結問題である。
 凍結見直しの条件として、橋本市長は、技芸員との公開討論を要求、しかもそれは、技芸員の収入格差の是正、協会がマネジメント会社のように公演のマージンをとる仕組みに変える、という2条件とセットなのだという。文楽協会がすぐには無理だと断ると、橋本市長は激怒した。

 どちらの言い分に理があるかどうかは別にして、橋本市長の戦略を先のイノベーション創造の3ステップに当て嵌めれば、市長は、文楽側がいう所の伝統やならわしを「特権意識」と両断したばかりか、文楽の舞台そのものを「つまらない」と言い放った。
 これはまさに文楽側の「既存の指標」を無効化するとともに、組織改革という「新たな指標」を提示し、これを公開討論の場に引きずり出すことによって自らの理を一般市民の前で主張しようという高度な戦法であると言えるのだろう。

 これに対し、作家の瀬戸内寂聴氏は「橋本さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから」と言っているが、どうやらそんな意見に耳を傾ける市長ではなさそうだ。
 そればかりか、先月26日に国立文楽劇場で「曽根崎心中」を鑑賞後、記者団に対し、「古典として守るべき芸だということは分かったが、ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」と苦言を呈し、ファン開拓のため脚本や演出を現代風にアレンジするなどの工夫を求めた、という。

 これをどう考えるか。
 私としては、これまでの論点が文楽協会の組織のあり方についてであり、それは改善の余地があるだろうと思わないでもなかったし、新たな指標の提示という点で理解できないことでもなかったのだが、市長の批判の矛先が舞台や表現そのものに向かったことで、これはもしかしたら危険水域に入り込んだのではないかと感じている。
 補助金凍結という権力を握る為政者が、文化芸術の演出や表現に口を出すことは十分な配慮の上に行われなければならないことだろう。
 それが行き過ぎれば、時の権力者の好みによってシェイクスピアや近松門左衛門の台本を自由に書き換えさせるということにもつながりかねない。
 次第に市長の顔が、芸術好きだという北の将軍様だか元帥様と被さって見えてくるようだ。